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◾️下っ端のいない日
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下っ端がいない日。
それは思ったよりも面倒な一日だ。
いかに自分たちが下っ端に仕事を押し付けていたのかがよく分かる日。
「蒼~、悪りぃ、これファックス……」
星野はそこまで言いかけて我に返る。
そうだった。
今日、蒼はいないのだった。
星野の行動に気付いた尾形は笑う。
「ついやっちゃいますよねえ。おれもさっき、お茶入れてって頼もうとしちゃいましたよ」
書類を机に置いて、大きく伸びをする。
「そうだったよ~。あいつは今頃、遠い異国の空の下」
「なんだか古い言い草ですねえ」
吉田は頬杖をついて手を休める。
昼下がり。
そろそろ仕事に飽きてくる時間だ。
他の職員も水野谷がトイレに行っている隙に、一斉に仕事を中断する。
「どの辺りなんでしょうか?」
「もう着いてるんじゃないのか?関口と会ってるかもしれないな」
吉田の問いに星野が答える。
「いいよな~。海外か。何年前に行ったきりだろうか」
「え、氏家さん、行ったことあるんですか?おれなんて一度もないんですけど」
「高田は旅行が好きじゃないもんな」
「それとこれとは別ですよ。おれだって海外くらい行ってみたい」
二人の会話に尾形が口を挟む。
「今は結構、国内旅行よりも安かったりしますけどねえ」
「でもおれ、食べ物が苦手で」
とほほと吉田も口を開く。
「そうそう。日本人は海外の食事に順応できないってよく言われてるもんな~」
「そういう星野さんはどうなんですか?」
日本人としてくくられたのが面白くないらしい。
吉田は膨れて星野を見る。
「おれ?おれはなんでも平気かもな。野宿でも平気だ」
確かに。
興味の対象以外には無頓着な星野なら可能だろう。
一同は納得してしまう。
そこに水野谷がいそいそと帰って来た。
はっとして、仕事に戻る。
だべっていると水野谷に怒られる。
彼は一瞬、違和感を覚えた様子だが、すぐに席に着いた。
そして。
「蒼、お茶を頼む……あれ?」
湯のみを高らかに掲げている水野谷は間抜けだ。
一同は吹き出した。
「そうだった。今日は蒼、いないんだっけ」
「今日はどころか数日休みなんですよね?」
星野が揚げ足を取る。
水野谷は咳払いをして顔を赤くした。
「やだなー。課長。どうせマエストロと取引していたんでしょう?蒼を売ったくせに」
星野は意地悪だ。
吉田もそういえば……と思う。
先日、関口の父親が星音堂にやってきたとき、二人はなにやら怪しかった。
秘密の相談でもしているかのように。
「課長、なんの話をしていたんですか?」
「そうですよ」
「悪巧みしないで教えてくださいよ」
職員に詰め寄られてしまうと弱い。
水野谷は頭を掻く。
「蒼には言うなよ。さもおれがあいつを取引に使ったみたいなんだから」
「現に利用しているじゃないですか」
尾形の茶々に彼は苦笑する。
「蒼に休暇をとらせる代わりに来年の星音堂文化祭に出演してもらうことにしたんだ」
「え!すごくないですか!?」
「世界のマエストロですよ??」
ものすごい取引だと吉田は思う。
しかし、星野は大笑いだ。
「いやいや。あの人にとったらお安い御用だろうさ。ギャラも名声も関係ない人だもの。自分の振りたいところで振る。それが関口圭一郎だろう?それに、今回は息子の一大事だ」
彼の言葉に一同は納得する。
「確かにな」
「そういえば忘れていたけど、関口の父親なんだもんな」
高田も唸る。
それを見て水野谷はほっとしつつ話題を変える。
こんな悪巧み、本庁に知れたら大変なことになる。
「いやいや。それにしても蒼がいないと調子が狂うな」
彼の言葉にはっとして氏家が同意した。
「それはそうですよ。なにせ下っ端ってーのは一番仕事量が多いですからね」
「自分にもそういう時代があったってことを忘れがちだ」
「そうですね。蒼がいなくて困ることってたくさんありますね」
高田も同意する。
それを横目に吉田は席を立った。
「いいですよ。蒼がいない間はおれがやりますから」
彼は水野谷の湯のみを持ち上げる。
お茶いれなんで久しぶりだ。
なんだか新人の頃を思い出す。
「おお!新人時代のかわいい吉田が復活だぞ~」
尾形は茶化す。
「ちょ、ちょっと」
「本当だ。かわいい吉田も随分擦れたもんだ」
「星野さんまでっ!二人のお茶は煎れませんからね!!」
「ほらみろ~。だから擦れてるって言うんだ」
半分怒りながら煎れたお茶は渋い。
目の前に乱暴に置かれた湯のみを手に取って、ふと視線を向ける。
ぽつんと空いている蒼の席。
目の前では吉田や尾形、星野がわいわいじゃれあっているけど。
その場所が空いているとなんとなく寂しい気がした。
関口の父親の申し出を呑んだものの、やっぱり職員は一人もかけることなくいて欲しいものだと思う。
水野谷はお茶をすすりながら思いを馳せた。
早く蒼が帰ってこないかなと。
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