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90.復活!1
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季節は秋。
早いもので蒼と圭が出逢って1年半が過ぎようとしている。
この1年半を振り返ってみると、色々なことがあったと思う。
自分の大好きな場所である星音堂。
久しぶりにやってきたら、そこには見たことのない男が入り込んでいた。
それが蒼である。
自分の馴染みの場所を汚された気がして。
最初は意地悪をしてばかりだったのに。
結局。
自分も蒼に掴まるハメになってしまった。
しかし、今になって思えば、蒼との出会いは必要不可欠なものであったと思える。
自分の人生において、彼がいないなんて到底想像できないからだ。
蒼がいなかったら。
自分はどうしているだろうか?
東京とこことを行ったりきたりしているだろう。
それに。
コンクールに挑戦しようなんて思ってもみなかっただろう。
きっと、今でも明星オケの第一ヴァイオリンの一人。
地方市民オケのコンマス。
ヴァイオリンの講師。
そんなことを延々と繰り返していたに違いないのだ。
圭一郎を通して、ショルと出会っていたかもしれないけど。
蒼抜きだったら、そんなに意識することもなかっただろうし。
それに、ゼスプリになんか参加する勇気もなかった。
ゼスプリに出ていなかったら。
高塚との出会いもない。
桜たちとの出会いもない。
むろん、レオーネやブルーノとも出会っていないだろう。
蒼と出会ったと言うことだけで、自分の人生は一気にいい方向に転がった気がした。
ふと視線を感じて、顔を向けると。
小さいけだもがじっと自分を見上げている。
圭がぼんやりしていたから不思議に思ったのかも知れない。
「大丈夫だよ。けだも」
圭は苦笑して、それから目の前に置かれた相棒を見詰める。
一ヶ月。
放置するわけにはいかなかった。
一日でも放置すれば楽器の調子はたちまち悪くなってしまう。
自分が触れられない間、この楽器は桜のところにお世話になっていた。
彼女だったら、この楽器の手入れをしてくれたり、一曲くらい弾くことは朝飯前だ。
そして。
今日。
久しぶりに自分の手元に戻ってきた。
午前中に、主治医に許可をもらったのだ。
弾いてもいいと。
ドキドキした。
子どもの頃。
初めてヴァイオリンを目の前にした時と同じくらいの緊張だった。
大丈夫だろうか。
弾けるだろうか。
楽器を手にし、構えてみる。
左手の痛みはもうなかった。
一ヶ月、みっちり休養したおかげで完全にいい状態だ。
痛みがないことで第一関門はクリアだ。
次に問題なのは、以前のように動くかどうかだ。
一ヶ月も練習をサボっていたのだから、思うとおり動かないのは当然でもある。
しかし、この怪我が影響しているのかどうか。
その当たりが問題だ。
怪我の影響がないのであれば、これからしっかり練習をして遅れを取り戻すことが可能だ。
しかし、怪我の影響があるのであれば。
もう、これ以上、自分がヴァイオリンを弾くことは叶わない。
肩に乗せた楽器をあごで押さえながら、空いた両手で弓を調整する。
その様子を、じっと黙ったままのけだもが見ていた。
練習室で弾くのはなんとなく憚られた。
病院の帰りに、桜の店に寄って楽器を受け取ったまま、居間のソファで思い悩んでいたのだ。
軽く弾くくらいなら、外に音が洩れても平気だろう。
平日の日中だし。
そんなに苦情が来るほどでもない。
ぴっちり締められた密室では緊張感も昂ぶる。
軟らかな秋の日差しが射すこの居間で弾いてみようと思った。
緊張したまま、弓の調整を終え、弦に宛がう。
軽く引いてみると、艶やかな音色が響いた。
軽い。
ふとそう思った。
久しぶりの感覚なせいで、新鮮に感じられるのかも知れない。
軽く音階を弾いて見る。
懸念していたが、思ったよりも指はスムーズに動いた。
縫合した傷はすっかり塞がっているものの、違和感は残る。
弦を押さえるために、左指を動かす度に、つっぱった感触は感じられるものの、危惧していたほどの支障はないようだった。
なんだかほっとした。
楽器を下ろし、けだもを見る。
彼は相変わらずじっと圭を見ていた。
「大丈夫みたいだ。けだも。神様はおれに、まだ音楽をやらせてくれるみたいだ」
にっこり笑ってみせると、けだもは「にゃん」と軽く鳴いて、圭の膝の上に飛び乗る。
「ありがとう。心配してくれてたんだな」
「にゅ~」
ごろごろと頭をこすり付けてから、膝の上にすっかり収まるけだも。
楽器をまじまじと見詰めて、圭は大きく息を吐く。
「充電完了だ。今日から、また。宜しくな」
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