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98.剔抉5
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もう冬だった。
雪の季節になった。
圭一郎のコンサートから1か月が経過していた。
雪国の冬の到来だ。
ちらちら雪が舞っている。
積雪まではいかないが、今年になって雪を見るのは3度目だった。
「寒いなー」
「早く帰りたいですね」
車の星野は顔をしかめる。
「この季節の何が嫌って。帰りだよな」
「そうですよね。道路は凍るし」
「車の窓もカッチンカッチンだぜ?」
「車は温まればいいですけど、それまでが時間かかるし。運転も怖いし。危ないです」
「なんだよなー……。でもチャリは勘弁だな」
「寒いですからね。結局」
遅番の星野と蒼は他愛もない話をする。
雪の夜の利用は少ない。
予約が入っていても、人の集まりも悪いのか、キャンセルをする団体も多い。
静まり返っている星音堂。
ついこの前の圭一郎のコンサートが懐かしい。
あんなに人が集まったのは、始まって以来かもしれない。
「少し早めに閉めるか」
「いいですよね」
二人はいそいそと片づけをする。
「おいおい。そういえば、星音堂が民間に下りるかもって話あっただろう?」
突然、星野が口を開く。
「ありましたね」
「お前はどうする?」
「どうって……?」
「だから」
星野は日誌を片づけて、蒼のところに来る。
「残るか、本庁に戻るかだよ」
そうだよね。
そうだった。
そんなことも考えないといけないのだ。
「自分は……」
「本庁に戻れば、公務員としての身分はある程度保障される。請け負う民間がどのレベルのところになるかで給与なんかも違うだろうし。まだまだ分からないよなー」
「そうですよね。でも、かといって、いまさら。本庁に戻って仕事できるでしょうか?」
「できるだろうけどさ。ここみたいに、自分の好きなことやって……てわけにはいかねーよな」
「そうですよね。やったことのないところもやらなくちゃいけないし」
それに。
異動も多いし。
人との付き合い。
できるかな?
それにもまして。
大好きな星音堂を離れるのは心苦しいのだ。
身分の問題なのだろうか?
それとも。
仕事に誇りを持って。
市役所だって立派な仕事だけど。
自分はここで、もう少し星音堂と付き合いたい気持ちも大きい。
「なんだか、まだわかりませんね」
「そうだよな」
星野が珍しく弱気だ。
「星野さんは……」
「おれだって悩み中だ。決断なんかできっこない。追い込まれないと、重大な決断は難しいからな」
「そうですよね」
来年か、再来年か。
はっきり決まって、締め切りが近くなったら考えると思うけど。
大丈夫かな?
決められるのかな?
自分はここにいてもいいのかな?
圭とのことも新たに考えられるチャンスなのかもしれない。
こういう機会でもないと、なかなか決断もできない。
星音堂に残る決断。
市役所に戻る決断。
もう一つ。
すっぱり仕事を辞めて、圭を支えていけるような仕事に就くという決断。
それとも、まったく違う仕事でもしてみる?
無理だろうな。
自分にはそんな勇気はない。
自分は、小さいところでやっていくのが性に合っている。
ここが一番なのだ。
よその世界は見たことがない。
ここでいい。
そう思う。
ぼんやり考えていると、いつの間にか星野が戸締りをして戻ってきた。
「帰ろうぜ。誰もいねーし」
「はい!」
二人は身支度をして、そそくさと外に出る。
星野は駐車場へ。
蒼はいつもの通り、駐輪所へ向かった。
と。
黒の国産車が道路脇に止まっている。
こんなところに、この時間に停めて用事を足そうとする人は皆無だ。
珍しい。
立ち止まって、ちらっと視線をやると、運転席から一人の男が出てきた。
あれ?
あの人って。
蒼が瞬きをしていると、そこには紳士風の若い男性。
あれって。
確か。
「こんばんは。失礼いたします」
男は、羽根田重工の若い男。
確か。
以前、羽根田が星音堂を視察に来たとき、慌てふためいてやってきた男だ。
「申し遅れました。社長の秘書をしております、岩見と申します」
先日の慌てふためきの彼からは想像もできない。
静かな態度。
この人が。
「あ、あの。こんばんは。熊谷……」
「蒼さんですね」
「え、ええ」
彼がここにいるってことは……。
いるってことは。
「やあ。悪いね。仕事の帰りなのに。少し話を聞いてもらいたいことがあってね」
後部座席から顔を出したのは羽根田章その人だった。
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