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18 マエストロ1
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病院というところは案外ざわついている。
人が多いから仕方が無いのかもしれない。
空は、広間でみんなの様子を眺めていた。
気分がいい。
最初は、なぜ自分がここにいるのか分からなかった。
蒼と引き離されてしまって、不安と怒りでいっぱいだった。
スタッフに対して暴言を吐いたり、同じ患者のことを憎たらしくて、叩いたりしたこともあった。
そのせいで、個室に入れられてベッドに縛り付けられたことも多々あった。
でも。
今は分かる。
自分がどんなことをしてしまったのか。
蒼には辛い思いをさせてしまった。
ぶったり、傷つけたり。
身体的な傷は時間が癒してくれる。
自分は治療を受けて癒された。
でも、蒼はどうなんだろう。
自分がいなくなってしまってから。
彼は癒されたのだろうか……。
最近の気がかりはそればかりだった。
自分は病気だったとしても、蒼を殺そうとしたのだ。
首を絞めて、ナイフで刺した。
母親からそんなことをされた子どもはどう思うのだろうか……。
絶望か?
恐怖か?
それとも悲嘆か?
負の感情が交じり合って、ごじゃごじゃになっているのは分かる。
ただ、自分が感じたことのない想いを想像するのは難しいことだった。
何年もこの場所で悔いていた。
あの子をあんな目にあわせてしまったこと。
本当に大切だったのに。
大切過ぎてあんなことになってしまった。
悔やみきれない。
死をもって償ったとしても、きっとそれは無意味だろうと悟った。
自分は生きて、残りの人生を彼の母親として出来るかぎりのことをしなければならないのだと思う。
だけど、ここにいてはなにもできなかった。
蒼がいないのだから。
栄一郎は定期的に面会に来てくれていた。
だけど、蒼は。
蒼はあれ以来一度も来てくれなかった。
栄一郎は多感な時期は避けたほうがいいと何度も言っていた。
だけど、彼に逢って、きちんと謝りたいと思っていたから、何度も蒼を連れてきてくれるようにお願いしていた。
そんな時間がどれくらい経っただろうか。
もうお願いし、疲れて諦めかけていた頃。
蒼は逢いにきてくれた。
あんなにひどいことをしたのに。
親として最低のことをしてしまったのに。
蒼は笑顔で逢いに来てくれた。
十数年ぶりに見た彼はちゃんと大人になっていた。
もしかしたらあの時、彼の命を絶ってしまっていたら……。
ここに彼はない。
すらっとした容姿。
少し、あの人の面影を感じさせる顔立ち。
優しい笑みを浮かべて、恥ずかしそうにやってきた蒼は自分にとったら天使のような存在だった。
神に感謝した。
あの時、この子が命を落とさずに済んでよかった。
自分はこれからの人生、罪を悔い改めていきたい。
そう思うと心が安らいだ。
空が入院した頃は、精神科といったら長期に渡って入るものが常識だった。
下手すると死ぬまでここにいなければならなかっただろう。
しかし、現在の医療情勢は長期入院は好ましくないとされている。
ほとんどの患者は身内をなくし、帰るあてもなくただ入院を続けているが、自分には帰る場所があった。
主治医から退院の話がちらほら出ているのだ。
しかし、不安は大きい。
もう十数年も社会から隔離されたここにいるのだ。
蒼の成長を見てもそれは明らかだ。
時間の流れは早い。
退院のことを考えるといろいろ不安になった。
胸の辺りに手を当てて、深呼吸をする。
こうして日の光を浴びて深呼吸をしていると落ち着く。
あの時もこうしていればよかったのに。
今更考えても後の祭りだった。
「母さん」
ふと視線を上げると、長い廊下の向こうから蒼がやってきた。
「……蒼」
彼はゆっくり空の前にやってくる。
「母さん。調子はどう?」
「ええ。とてもいいの」
空の顔色に安心して隣に座る。
「お友達は?」
「……」
いつも来るときは関口と一緒だった。
一人で来たのは初めてのことかも知れない。
「どうしたの?蒼?」
「別に……」
そうは言っても蒼の表情は晴れなかった。
取り繕ったように笑って見せるけど、笑えないのだろう。
彼は切ない顔をして空を見る。
「……よく分かるね。母さん」
「分かるわよ。十数年も離れていたって、あなたの母親だもの」
「……」
「蒼?」
軽く笑みを浮かべる空に反して、蒼は表情を曇らせた。
「ねえ。母さん」
「なに?」
空は愛おしい自分の息子を見つめる。
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