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93.陰り1
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温泉旅行は無事に終了した。
その後、圭一郎はすぐに復活するかと思われたが、彼は一向に活動を開始する気配はなかっ。
マスコミでは時々、彼の引退説を流していた。
しかし、旅行の様子を見ていると、そういう気はなさそうだと言うことが分かったので、圭も蒼も安心しているところであった。
「いつになったらマエストロは出てきてくれるのかなー」
クラシック好きな三浦はため息を吐く。
「そういうな。彼だって駆け足で来たんだから。しばらくの休息が必要なのだ」
氏家は彼と話しをしている。
そんな様子を見てから、蒼はそっと外に視線を向けた。
白い雪が空から舞ってくる。
新年を向え、新しい年が始まっていた。
今年の年越しはのんびりアパートでの年越しだった。
けだもと寝てばかりのお正月だったけど、すごく楽しかった。
三人で過ごす時間が一番だと感じたのだ。
「すみません」
ふと視線を上げると、長身のしっかりした体型の男が受付を覗いていた。
周囲を見渡すと、誰も気付いていない。
水野谷は来客中である。
「はい?」
蒼は席を立つ。
「なにか……?」
「中、見せてもらえるの?」
ため口?
ちょっと生意気な感じ。
蒼は呼吸を整える。
むっとしちゃダメだ。
「どうぞ」
男を連れ立って、星音堂の中を歩く。
「こちらが、練習室です。練習室は全部で七つあり、それぞれ違った用途に対応しております」
男は蒼の説明に反応することもなく、きょろきょろして辺りを見渡している。
「こちらから大ホールに入るようになります。ここの大ホールは……」
「ねえ」
「え?」
「あんたさあ。ここに務めて何年になるの?」
「え?」
「だから」
「どういう意味ですか?」
男は呆れたように蒼を見る。
「なんか、ちっとも分かってないって言うか」
「分かっていない?」
「そうそう。おれたち音楽家が知りたいことってそういうことじゃないって言うかさー。ねえ。本当にここの職員なの?なんかレベルが低いね」
面と向って言われるとショックが大きい。
蒼は言葉に詰まった。
「ねえ、なんとか言ったら?」
「……えっと」
「?」
どうしよう。
ショックだ。
言葉が出ない。
困っていると、ホワイエから声が響いた。
「なにしている?勝手に見て回っちゃダメじゃないか」
鋭い男の声。
蒼と話しをしていた男はとぼけた顔で肩を竦める。
「ごめん。小西」
「蒼?どうした?」
小西と呼ばれた男と一緒にいたのは、水野谷だった。
「課長……」
「課長さん。この子、本当にダメだよ。本当にここの職員なの?もっと教育しておいたほうがいいと思うけど」
「蒼……」
申し訳ないと言う顔で水野谷を見る。
「申し訳ありません。私の教育が不行き届きでした」
水野谷はすぐに頭を下げる。
「課長さん。きちんとしておいたほうがいいと思うよ。せっかくのホールが職員で台無しになっちゃうよ」
「こら!そういうことを言うものじゃない。これからお世話になるのだから。本当にすみませんでした」
小西は男の頭を無理無理つかんで下げる。
「ちょっと!」
ぶうぶう怒っている男をなだめるように小西は頭を下げて、さっさと帰っていった。
「それでは、詳しい内容は後日ご連絡いたします」
「大変申し訳ありませんでした」
水野谷と蒼はぺこっと頭を下げる。
なんだかバツが悪かった。
二人が見えなくなり、蒼はおずおずと水野谷を見る。
「課長、すみませんでした」
「どうした?蒼。珍しいな。お前がお客様からクレームもらうなんて」
「すみません。おれも悪かったんです。少し調子が悪かったって言うか」
相手との相性が悪かったと言うか。
「仕方ないだろう。少し気ままな感じのする男だった。誰が対応しても同じだと思うが」
「すみません」
蒼は何度も謝った。
いい子でいたいタイプ。
失敗と言う言葉が重く圧し掛かってくる。
後で知った。
蒼に文句を言ってきた男は金子祐。
新進気鋭の指揮者。
圭と競演する予定になっている男だったと。
そして、この男との出会いが大事件に発展することになるとは……。
この時の蒼には思いもよらなかった。
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