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20.妻と愛人
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「本当に吉岡さんには、何から何までお世話になって。感謝し切れません」
目の前で頭を下げる加奈子。
自分はそんな資格はない。
彼女だって薄々は感付いていただろうに。
自分と夫の関係を。
勘のいい女性だ。
「こちらこそ。本当に申し訳ありませんでした。大切なご主人の残された時間を……」
言葉が続かない。
こんな言い訳。
おかしいのに。
ただただ謝罪の言葉だ。
この半年。
吉岡は保住との時間に酔いしれた。
妻である加奈子には、顔向けできないくらい。
加奈子がいるのに。
そう思いつつも、何も言わない彼女に甘えていたのだ。
しかし、彼女は笑みだ。
「そもそも風のような人でした。結婚しても、あの人と過ごした時間は数える程です。でも、それでも。あの人が穏やかに笑顔で逝けたのは、吉岡さんの協力があったからだと確信しています」
雪解け。
春の香りを感じる風の中。
二人は歩く。
黒い喪服を纏った彼女はとても美しかった。
「あの人は、病気になってから貴方のことばかり気にしていました。本当に好きだったんだと思いますよ」
「加奈子さん……」
吉岡は頭を下げる。
「それに、あの人を大事に思ってくれている貴方とだったら、これからいつでも思い出話が出来るじゃないですか。心強いです。私が嫌なのは、あの人が忘れ去られてしまう事ですから」
吉岡は再び頭を下げる。
「息子が……」
「え?」
彼女はそっと雪をかぶる山に視線を向けた。
「市役所に入ろうかなと言っています。まあ、まだ大学3年生ですからね。まだまだ先なんですけど」
「しかし、息子さんは……」
「ええ。地方公務員になるには、少しやりにくい大学に通っています」
彼女は笑う。
「あんなに夫のことを毛嫌いしていた息子なのに、市役所に行くと言い出したので驚きました。まあ、表向きは私やみのりが心配だから、傍で転勤がなくて安定している職場だから、って言っていますけど。その時の息子の顔を見たら『ああ。あの人そっくりね』って思ってしまって」
保住そっくりな息子か。
「贔屓して欲しいって事ではありませんけど」
「いや。贔屓しなくても、確実に息子さんは入庁してくると思います」
「まあ、そんなことありませんよ。息子はあの人そっくりですから。きっと市役所のみなさんにはご迷惑をおかけすると思います。ですから、むしろ。吉岡さん、その時は面倒見てあげてくださいね。貴方にしか頼めませんから」
「もちろんです。お任せください」
「まあ、嬉しい」
彼女は更に笑う。
今日、夫の葬儀だった妻には見えないくらい笑顔だ。
「加奈子さん……」
「あら、大声で笑って。不謹慎って思われるかもしれませんけど。沈んでいる事を夫は望みません。いろいろ心残りだと話してはいましたが、こうも言っていました。『自分の残した物は吉岡たちがやってくれるから、もういいのだ。心残りはない』と。私は本当に良かったと思っています。貴方と知り合えた夫を。そして私たち家族も。どうぞ佐和子さんにもよろしくお伝えください。そして、夫はおりませんけど、今後も私たち保住家とお付き合い願いますね」
彼女はそう言うと頭を下げて歩き出した。
まだまだ咲くことはない桜だけど。
蕾は大きく膨らんできている。
保住に託された思い。
そして、彼の家族。
『お前との時間は、なによりも大事な宝物だ。ありがとう。吉岡』
最後に会った時に言われた言葉が耳から離れない。
自分もいつかは傍に行ける日が来るのだろうけど。
それはきっと、まだ先だ。
それまでは、彼に恥じることないよう。
自分は生きなければならない。
吉岡は歩き出す。
自分は前を向いて歩く義務があるのだから。
「保住さん……」
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