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09.愚痴と優しくして
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春先の慌ただしい日々はあっという間に過ぎていく。
係長になって、一か月以上が経つのか。
無我夢中でやってきたから、自分のことを振り返る余裕するらない。
自分のやってきた仕事が、係長として適切であったのか?
部下たちのことを見てあげられているのか?
記憶に留まらないくらい、ぼんやりとしていて、意識に残っていたことに気が付くと恐ろしくなった。
それに、いつもだったら自分から言い出しっぺのように開催していた歓迎会も未だにできていないことにふと気が付いたのだ。
「二人の歓迎会をしていなかったな」
––––心の余裕がなさすぎだろう。
廊下を歩きながら、ふと渡辺は呟いた。
「なあに?」
するとすぐ目の前を歩いていた課長の野原が振り向いた。
「あ、いえ。すみません。あの、独り言でした。––––まだ歓迎会もしていなかったなと思い出したもので」
「歓迎会? そうだね。他の係はもう終わったみたい」
「課長はそういうの参加されるんですか?」
野原は、課レベルの懇親会にはもちろんの如く参加しているが、係レベルの飲み会に顔を出しているのを見たことがない。
新年会に誘った時は断られた。
あの時は、忘年会で彼をいじり過ぎたから、嫌がられたという理由がくっついてくるが、そもそも彼は係の懇親会には顔を出さない。
野原は無表情のまま渡辺には目もくれずまっすぐに前を向いていた。
「誘われない」
「え?」
「誰にも誘われないだけ」
––––それって。
「じゃあ誘ったら来てくれます? うちの歓迎会、まだなんですよね」
野原はゆっくりと渡辺を見てから、静かに首を横に振った。
「渡辺さんのところのは行かない」
「え~! それって虐めですよ。パワハラ!」
「違う。おれにだって選ぶ権利あるはず」
「そんな~。嫌だってことですよね?」
「嫌」
はっきりと拒否されると、どうしたらいいのかわからない。
渡辺は黙り込んで自分よりも年下である野原にくっついて歩いた。
周囲から見たら情けない構図だ。
––––いや。そんなのいつものことだ。
昨年度まで自分の直属の上司だった保住だって、渡辺よりはずっと若かった。
人事の内部評価はあるものの、正直いって昇進ペースは人それぞれだし、どういう意図があって配置されているのかは、渡辺からしたら理解しがたい。
ただ入庁してからずっと思って来たのは「一生平がいい」ということだ。
元々、野心のかけらもない男だ。
人並に給料をもらって、そんなに責任もなく平穏無事に退職を迎えたいのだ。
妻もそういう自分の性格をよくわかってくれているから、昇進しなくてもなにも言われることはないのだ。
管理職まで上り詰めた人と、管理職にもならずに退職する人とでは、退職金の差額はそう大きくはない。
だったら過度な重圧を受けながら疲弊するよりも、気楽な平職員で退職するほうがいいに決まっているのだ。
「行ってこい」と言われた研修を蹴り続け、なんとか役職をもらわずにここまでやってきたというのに、この年になって係長に上がってしまうとは思わなかった。
年功序列のおかげで、押し出された格好だ。
––––別におれじゃなくても誰でもいいだけだ。ただ順番が回ってきただけのこと。
「なんだか歓迎会をする心の余裕がなくて参りました」
渡辺は素直に弱音を吐いた。
さすがに係長の大変さを、部下に愚痴るほど落ちぶれてはいない。
しかし誰かに聞いてもらいたいという思いは強いのだった。
「心の余裕?」
「そうです。結構いっぱいいっぱいなんですよ。こんなんですけどね」
渡辺自嘲気味に笑顔を見せた。
「ふうん」
野原は興味もない様子で渡辺を見る。
––––やっぱ、興味ないんじゃん!
「課長、もっと優しくしてくださいよー」
––––素っ気ないんだから!
渡辺は野原の肩を掴んで泣きつく。
「離して」
「バイ菌扱いなんて酷いです……」
「あのね。泣いてどうにかなるなら子どもでも出来る訳」
「……ごもっともです」
野原はいつも正論。
––––この人が弱ってしまうような事ってあるのだろうか? ああ、そう言えば。去年の忘年会でいじってみたら、少し顔を赤くして困っていたっけ。あの時の課長は可愛かったけどな。
「渡辺さんはどうしたいの?」
「どう? ……ですか?」
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