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10. 前任者と現任者
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「仕事……」
「仕事。どうって……」
––––おれは保住係長がいた時みたいに……。
「みんなが仲良しで、頼りあえて、補い合えて、チームとしてうまく回って欲しいのです」
それだけ。
「それって保住の振興係だ」
しかし野原の言葉にドッキリしてしまう。
「保住係長の……ですか?」
「そうだ。保住はもういない。––––ほら」
野原に連れられてやってきた会議室に入ると、中には懐かしい顔。
いや、ほんの一ヶ月ぶりなのに。
なんだか遥か昔の人のような、懐かしい感覚に陥った。
「渡辺係長。お久しぶりです」
にこっと艶やかな笑みを見せられると––––敵わない。
「保住係長……いや違った。保住室長でしたね。ご無沙汰しております」
「やだな。他人行儀ですね」
彼は渡辺にまっすぐ視線を寄越す。
緊張しっぱなしの心が緩んだ。
野原は保住と渡辺の間に座ってから保住を見る。
「お前、顔色悪い」
保住は苦笑いをした。
「わかります? 新しいチームは暴れ馬揃いです」
「お前でも苦労するんだ」
「しますよ。苦労だらけじゃないですか。振興係が懐かしいです。本当によく協力してくれるメンバーに恵まれました」
––––この人でも苦労するのか。いや、するだろう。
結果ばかり見ていた自分に気がつく。
チームワークの良いあの状態まで持ち上げたのは彼の努力。
自分たちの間で上手く立ち回ってくれたからだ。
忘れていた。
「おれたちのときもご苦労されましたもんね」
渡辺は昔を思い出し呟く。
「みなさんがおれよりも先輩で、大目に見てくれていたからではないですか。今度は全員年下の部下です。総当たりしてきますからね。受け止めきれません。おれ、結構打たれ弱いのです」
「打たれ弱いのはわかりますよ」
渡辺は苦笑した。
「渡辺さん、なにか業務で不明な事とかあれば、いつでも電話ください」
「保住室長……」
いつもは仕事のことで頭がいっぱい。
爆発寸前だったのに。
こうして前任者から問われると、なにも浮かばないのはどういうことなのだろう。
渡辺の戸惑いを感じ取ったのか。
保住と野原は顔を見合わせた。
「渡辺係長。もうすっかり業務はこなされているのではないでしょうか」
「迷うのはその場その場の判断、決断。本当にこれでいいのかどうか」
「……お二人とも、よくおわかりになりますね」
––––本当に鋭いんだから。年下のくせに。
心の中で笑ってしまう。
「それは経験値からしか学べませんね」
「そうは言いますけど……保住室長も野原課長も一年もしなくてもサクサクっと判断出来たではないですか」
––––自分は無理。迷うのは自信がないから。
「自信がないのは、根拠が不確かだから」
野原は真っ直ぐに渡辺を見据えてきた。
「費用対効果をいかに素早く算出できるか。幾通りもの予測、それに伴うリスクの計算。それらを統合して判断すること。それが即断できるかの違い。それが仕事の速さ」
「それは」
「渡辺係長は、おれと一緒にそれらを見てくれていたではないですか。今までの積み重ねです。センスの問題ではない。知識や経験の問題だ」
––––この二人と比べたら、自分は凡人でセンスも危うい。だけど知識と経験。それだったらある。なにせ……。
「振興係の一番の古株ですからね」
保住の言葉に、なんだか胸が躍った。
ここ一か月は自信の喪失ばかりだった。
いいところなし。
係長として不相応――自己否定的なことばかり考えていたのに。
––––それって、おれの強み?
「こんなに精通している人はいませんよね。課長」
「おれの知らないことを渡辺さんは知っている」
「課長……」
「お互い大変ですけど、なんとか立て直していきましょうね」
なんだか泣けてくる。
相談できる人もいないし。
一人で気張ってきて疲れたのだ。
「渡辺さん……」
「お二人とも、本当にありがとうございます」
「悲しいのか? 目が痛いの? どこか痛い?」
野原は心配そうに渡辺を見てきた。
––––本当にこの人は面白い。
「違いますよ。嬉し泣きのようです」
保住は渡辺の状況を説明した。
すると彼は唸る。
「嬉しいと泣くのか? 嬉しい時は泣く。これが嬉し泣き……」
「天然ぶりを発揮するのはやめてくださいよ。課長。ちゃんと渡辺係長の相談に乗ってあげてくださいね」
「乗る。おれ暇だし。乗れる」
「暇って」
渡辺は吹き出す。
保住も呆れた顔をしていた。
「あの。間違ってもその言葉は使わない方がいいですよ」
「え? どうして? だって課長の仕事って暇。昼頃には終わる。––––そう言えば槇も言っていた。『暇だ』と言ってはダメって」
「はあ……」
言葉が続かない。
まさかの「暇」発言。
能力の高い出世コースを歩くだけのことはある。
課長クラスで暇と言って退けられるのはこの人くらいだろう。
「分かりました。暇な野原課長によく相談しながら頑張ります」
野原はぱっと顔を明るくする。
嬉しいらしい。
「誰も来ない。一人で詰まらない。渡辺さん、来てくれる? 隣で仕事してもいいよ」
「それはちょっと……」
「いちいち行ったり来たりは面倒くさい」
「面倒くさくありません!」
妙に懐かれたらしい。
なんだか笑うしかない。
しかしこの三人で和やかに過ごせるのは、渡辺にとったら懐かしいような、そして心安らぐ時間だった。
なんとなく失いかけていた自信が満ちてくる気がした。
––––少し整理ついたみたいだ。もう少し頑張ろう。
渡辺はそう心に思っていた。
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