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「これな、わかる?」
額についた薄い傷跡をトオルさんは指差した。
テーブルには、アボカドの刺身と鳥軟骨の唐揚げ、タコワサとすり身揚げが並んでいる。
ふたりで舌鼓を打ちながら、食べ進めていた。
「傷跡?」
「そう。」
ビールで唇を濡らしたトオルさんは、瞳をうろうろと彷徨わせた。
「・・・これな、俺の悪行の証なんだ。」
「不良、してたの?」
首を振った。
「恋愛対象が男って話したよね。」
「うん・・・。」
グラスに着いた汗が、ツッとテーブルに流れ落ちた。
「俺の親、俺が小さい時に離婚してさ。」
エドワードにも、もちろん会社の同僚にも話したことがない。
大学の友だちにも、高校の友だちにも言っていない。
早くに離婚したから母親の顔も覚えていなかった。
「おばあちゃん家に住んでたんだ。父親は俺が中学のときに再婚して他に住んでた。」
でも、おばあちゃんが好きで、素行も勉強も良い子でいた。
ただ、俺は恋愛対象が男性だった。
それが親不孝ならぬ、おばあちゃん不孝になるのか分からない。
女性はどうしてもそういう意味で好きになれなかった。
「同級生には言えない秘密。それでも、俺は思春期の男の子だったから、性的な興味はあった。」
貴志は静かに頷いた。
「火遊びしたんだ。欲求さえ満たされれば、何だか寂しさが紛れた。」
優等生だった。
勉強も、部活動も、人から指を差されるようなことはしなかった。
「・・・馬鹿だよな。一晩だけの相手がちょうど良いと思っていた。」
消えていく炭酸。
消えていた倫理観。
「高校生の時さ、ラブホの前で父親とバッタリ会ったんだよ。」
男性同士でも入れるラブホは限られている。
もちろん、専用というわけじゃない。
「父親さ、なんと再婚した嫁じゃない女と一緒に出てきたんだ。」
貴志は、トオルの中で未だに血を流す古い心の傷を痛ましく思った。
「そのくせ、気持ち悪いって言って殴るんだ。・・・どっちが気持ち悪い、だよ。」
思いっきり看板にぶつかって流血騒ぎ。
一緒にいた男性は、いつの間にか消えていた。
ジョッキを掴むその指が、白くなっていた。
そっと手を重ねると、トオルさんはハッとしたように俺を見つめた。
「・・・ごめん、こんな話。」
「ううん。・・・それから、どうなったの?」
過去を思い出す、遠い目になった。
「そうだな。・・・お決まりの絶縁宣言。それからしばらくして、おばあちゃんも亡くなって。」
大学へ行く資金、留学するための資金は、おばあちゃんが残してくれていた。
遺言書にこう書いてあったのだ。
『透が大学へ行き、勉強したいという語学の勉強をするための資金として、生命保険の受け取りを透、ひとりにします。』
古びた家屋は、透の将来の負担になるからと父親へと分配された。
いまでは顔も知らない親戚が住んでいた。
おばあちゃんは、何もかも先を見越して動いてくれていた。
現金は、透へ。
その他の処分に困りそうなものを、他へと振り分けていた。
「愛してくれていたんだね。」
「そうだね。」
両親の愛情以上の愛を、注いでくれていた。
「大好きだったよ。」
お墓参りは、好きだ。
おばあちゃんの側に行くことができる。
位牌は残念なことに、父親が祀っていた。
しわしわのおばあちゃんの手は、魔法の手だった。
ワイシャツのアイロン掛け、あっという間に付けたボタン。
俺を毎朝起こしてくれるその手、くるりと巻く卵焼き、テキパキと動いて、よそってくれた温かい白ごはん。
新聞を読み、掃除機をかけ、またご飯を作り・・・。
テストの点数が良ければ、子どもにするように頭を撫でてくれた。
「もう!子どもじゃないんだから!」
恥ずかしくて払い除けていたその手。
生きていれば、触って欲しかった。
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