アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
言い聞かせるしか手立てはない
-
手を伸ばせば、霙の部屋のドアノブに届きそうな距離。
忙しなく動いていた俺の足が、ぴたりと動きを止めた。
―― どくん
心臓が大きく、ひとつ鳴った。
俺の鼻を突いた臭いに、目眩を起こしそうだった。
【遮断マスク】など意に介さない程の濃度で漂うフェロモンに、瞬間、目が眩んだ。
嗅ぎ取った臭いは、Ωの発情期を示す独特なものだ。
近づいた扉に、耳に届いたのは、ギシギシと一定のリズムで鳴る軋んだ音。
無機質な音に紛れ、喉奥から押し出されるような熱の籠る嬌声が耳の奥にこびりつく。
その声の主が誰であるかなど、歴然としていた。
「はぁ、……す、…ぇ。と……ねぇ…っ」
媚び甘えるような啼き声とは別に、聞き取れないほどの音量で紡がれる言葉。
微かに聞こえた声は、駒野ものだろうと察しがついた。
その場にいるコトへの居たたまれなさが胸を埋める。
霙の声に、拒絶や抵抗の雰囲気があれば、乗り込んだかもしれない。
でも、俺が感じ取ったのは、同意の空気。
まるで盗み聞きでもしているような背徳感に、踵を返した。
平静を装い廊下を歩む。
床を踏んでいるはずの足に、感覚がなかった。
柔らかすぎる床に、身体が飲み込まれていく気がした。
専務室へと戻り、扉の前にずるずると座り込んだ。
「はっ…………、は……」
無意識に止めていた呼吸が再開され、荒く息が継がれる。
どんなに深く呼吸しようとも、俺の心臓は大人しくならなかった。
熱く昂ってくる神経に、翻弄されそうになる。
大きく頭を振るい、腰を上げた。
机の上に出しっぱなしになっていた“鎮静剤”を掌へと転がし、口に放る。
バリバリとまるでラムネを食むように薬を噛み砕きながら、椅子に身体を埋めた。
空になった手に、瞳を向ける。
革の手袋が、じわじわと朱色に染まるような幻覚に、瞳をきつく閉じた。
遮断した視界でも、俺の手は赤く赤く染まっていった。
鮮明な赤は次第に濁り、両手が真っ黒に染まっていく。
こんな穢い手で、霙に触れられない。
俺は、霙を楽にしてやれない。
……良かったんだ、これで。
霙は、αが嫌いだ。
その点、駒野はβだから、霙の恋愛の対象と為り得る。
1週間、身の回りの世話をしてくれ、傍に居た駒野。
少なからず、好意は持っているだろう。
俺ではなく、他の誰かと恋をしたいというのなら、止める権利はない。
俺は、霙が幸せになれるなら、それでいい。
俺が求めるのは、霙の幸せだけ…、なのだ。
思うのに。
胸の奥がジンジンとした痛みを放っていた。
でも。
霙が幸せならそれでいい…そう自分に言い聞かせるしか、俺に出来るコトはない。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
72 / 116