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ピアス。
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仕事帰り、腐れ縁の真理子に連れられてハンドメイドの店に入った。手作りのアクセサリーや装飾品が置かれた場所は煌びやかで、雑貨が並んだテーブルは洋風になっている。
店は閉店前。客より作品を出品しているクリエイターの方が多かった。クリエイターは女性ばかりで、真理子の友人がいるらしく、自己紹介する羽目になった。
「どうも、二階堂誉幸です。」
仕事が終わったのに営業スマイルをしてしまうのは、最早性分だ。
「写真より、実物の方が素敵ね。」
クリエイターたちは俺のことを何故か知っていた。
「どういうこと?」
小声で真理子に訊ねると、真理子も同じように小声で答える。
「スペイン行ったときの写真を見せてって言われたから見せたのよ。あんたサングラスなんかかけてかっこつけてるから、みんな興味持っちゃって。」
俺の頭の中にスペインでの思い出が駆け巡る。初海外で浮かれまくっていた俺は、ハリウッドスターになったような気持ちでビーチで写真を撮ったのだ。
今思うと恥ずかしい。
「チャラ男かと思ってたけど、普段は真面目な方なのね。」
クリエイターの容赦ない突っ込み。穴があったら入りたい。
「あれは悪ノリというか、どうせなら海外っぽく写真撮ろうかなみたいな。あんなことしたのは初めてなんですよ、ははは。それにしてもこれ全部手作りなんですか?素晴らしいですね!」
傍にあったピアスを手に取り、話題を変えた。
「そうなんです。それはトモッチの作品かな。お客さんにも好評で、ネットでは予約待ち状態なんですよ。」
「へえ、トモッチ……」
あだ名なのかクリエイター名なのか知らないが、とにかくトモッチという人の作品らしい。ピアスを見てみる。シルバーでリング状になっている。模様は細かく彫られていて、凝って作られていることが分かった。
「つけてみますか?」
男の声がして振り返った。
スタッフルームから出てきたばかりの男が、こちらに向かって歩いてくる。金髪に髭を生やした、大柄の男。一目見ただけで圧倒されるオーラを放っている。
屈強な体つきなのに、ぴったりした革ジャンがよく似合っている。
「あ、いや、僕は穴空いてないので。」
「それ、イヤリングなんですよ。」
「えっ、あ、そうなんですか。」
アクセサリーに縁のない俺には違いなんかわかるわけがない。
「今ちょうどトモッチの話してたのよ。」
「あらやだ。悪口?そういうのよくないわよぉ。」
堂々と出てきた男が急に女性らしさ全開で喋るもんだから、俺は呆然とする。
「トモッチ、二階堂さんが引いちゃってるよ。」
周りが笑っている。
「あら、免疫がないのかしら。」
「いやっ、そんなっびっくりしただけで引いてなんか。」
俺は焦って否定する。
焦りすぎてテーブルの角に腰をぶつけた。
「いてっ。」
「大丈夫ぅ?」
「だ、大丈夫です、はい。」
「ちょっと、なにこのイケメン。めちゃくちゃタイプなんですけどっ。」
「トモッチ、彼はストレートですよ。」
「そうそう。真理子とスペインに行く仲なんだから。」
「なぁんだ、真理子ちゃんの男なのねぇ。残念だわぁ。」
トモッチと呼ばれる男が俺に迫ってくる。
「いや、真理子とは幼なじみですよ。」
トモッチと距離を保ちつつ否定する。
「そうよ。いまさらこいつとどうこうなんてないわよ。だからトモッチ、全然いけるよ。」
真理子が笑いながら言った。何がいけるんだ。
「やだほんとぉ。とにかくっ、つけてみてよ、これ。」
トモッチは俺の肩を掴むと、無理矢理鏡の方に向けさせた。鏡に作り笑いをした自分の顔が写る。背後にはトモッチがいて、鏡の中で目が合った。口元は笑っているが、目は笑っていない。俺のことを悟られたような気がした。
「私の作品は、基本的にユニセックスだから、男性にも人気なんですよ。」
「はあ、そうなんですか……」
トモッチは慣れた手つきで俺の耳たぶにイヤリングをつけた。長めのリングが、揺れる。
「どう?どう?」
トモッチが俺から離れた。俺を見た真理子が笑う。
「スーツにそんなイヤリングしてると、ゲイ丸出しね。」
真理子の言葉に心臓が大きく跳ねる。
「お、俺には似合わないでしょ。」
笑いでごまかしながら外そうとすると、トモッチが言葉で遮ってきた。
「そんなことない。よく似合ってる。素敵よ。」
「……。」
「私も似合ってると思います。服が悪いんですよぉ。」
女性陣がトモッチに続く。
俺は激しく脈打つ心臓を感じながら、鏡を見つめた。
イヤリングをするだけで、がらりと雰囲気が変わった。どこにでもいるサラリーマンの風貌に、女性らしさが現れる。俺の心が炙り出されたようで、苦しかった。
同時に、どこかほっとしている自分もいた。
二階堂誉幸、二十七歳。
ホテルでベルボーイとして働いている。無駄に感じるほど広いエントランスを客が闊歩してくる。部屋番号を言われる前にルームキーを準備しておく。客がフロントに辿り着くと「お疲れ様です、白石様」と名前を呼んでルームキーを出した。キーを受け取った客は満足そうに笑んでエレベーターへと歩いて行った。
「二階堂さんって、お客様を全員覚えてるんですか?」
ベルガールの花咲が誉幸に尋ねる。
「まさか。でもなるべく覚えるようにしてるよ。」
誉幸は笑顔で言った。
花咲は感心しながら誉幸を見つめている。
「二階堂さん、ピアス空けたんですか?」
花咲は二階堂の耳朶で控えめに光っているピアスを見つけた。小さな物で、一瞬見ただけでは気付かないような大きさだ。
「うん、ちょっと気分転換。」
「なんか、意外ですね。」
「変かな?」
「全然!わたし、ピアスしてる男の人、好きじゃないんですよ。なんかチャラッてて、男らしくないっていうか。でも二階堂さんだと、色っぽいですね。」
「え?」
「あ、すいません。変なこと言いました。」
花咲が顔を赤くして俯く。
「いや、嬉しいよ。思い切ったものの、やめようかと思ってたから。」
「大丈夫ですよ。似合ってますから。」
「ありがとう。」
誉幸は笑んで言った。
整った顔立ちの誉幸は、無自覚に女性を取り込む。
誉幸は誰もが憧れるホテルに入社し、研修ではトップの成績を出した。ベルボーイを希望し、働き始めると、瞬く間に主任になった。誰から見ても彼の人生には曇りがなく見える。常に平常心で、ブレない志。
誉幸が人格者でいられるのは、恵まれた容姿や優れた頭脳のお陰ではない。幼少期から自我を隠して生きる訓練をしてきたからだ。
誉幸がピアスを開けたのは、真っ当を第一に生きる自分へのせめてもの抵抗だった。本当はもっと、自分に正直でいたい。自分をさらけだして、自由に生きたかった。
「二階堂さん、お疲れ様です。」
「おつかれさま。」
誉幸は仕事を終えてホテルを出た。誉幸にとって繁忙期前の静けさは有難い。
少し飲んで帰ろうと繁華街に足を向ける。人混みの中歩き続けていると、いつかの店が目に入った。
誉幸が幼なじみの真理子と行ったハンドメイドの店だ。ドアにはCLOSEDと札がかかっているが、ガラス張りの店内は見えていた。
立ち止まり、中を覗く。電気はついてるのに、人影がない。スタッフルームにいるのだろうか。
誉幸はがっかりしている自分に気付く。
あの日、イヤリングをつけてもらった。女口調で堂々としている男と、鏡の中に映る自分が忘れられなくて、誉幸はピアスを空けた。ひとり、部屋で鏡と向き合いながら、ピアッサーを耳朶に突き立てた。痺れる痛みと、僅かに溢れる血を見て、これから自分は変われるんじゃないかと幻想を抱いた。
現実は、耳にピアスをつけられるようになっただけで、一切変わらなかった。本当に何も、変わっていない。
何かを期待する己が恥ずかしくなって、誉幸は踵を返す。コンビニでワインでも買って帰宅しよう。
……その時だった。
「二階堂くん。」
ドアベルの音ともに、店のドアが開いた。振り返ると、店先から顔を出す男がいた。あの日会った、トモッチと呼ばれていた男だ。
「あ……」
「久しぶりだね。仕事帰り?」
オネエ口調だったはずの男は、ごく普通に話した。
「素通りなんてつれないなあ。寄っていきなよ。」
「あ、いや、でも、俺……」
「ピアス、開けたんだね。」
そのことばに、全てを見透かされたような気がした。その上人混みの中、立ち止まる誉幸は通行の妨げになっていた。誉幸は肩を落とす。店に入ることにした。
店内は暖かく、電飾がやけに多い。明るさに、目が冴える。
「みんな本業で忙しくてさ、最近は俺しか店にいないんだよ。」
男は自嘲ぎみに言いながら、入口のカーテンをざっと下ろした。レースカーテンで、外に行き交う人々はなんとなく見えるのに、一気に世界から遮断された気がした。
「あの、トモッチ、さん?」
誉幸が覚えていた名前を呼ぶと、男は笑った。
「それさ、作品を出すときに適当につけた名前なんだよね。本名はトモヒロっていうんだ。」
「それで、トモッチ。」
「そうそう。最初はネット通販しかしてなかったから、女性っぽい名前の方が受けるかなと思って。まあ結局、顔出してオネエキャラなんかやってるけどね。」
「キャラなんですか?」
「そう。でも100パーセントキャラってわけでもないよ。周りにオカマっぽいとか言われてる内に、度が過ぎていったというか。」
「キャラじゃないですか。自分を作ってる。」
「まあそうだね。でもそのお陰で、ゲイだって言っても誰も驚かなかった。」
呆気なくカミングアウトするトモヒロに、誉幸は言葉を失った。
「二階堂くんは、驚いたみたいだね。」
トモヒロは楽しそうに笑う。
「ピアス開けたんなら、つけてみて欲しいやつがあるんだ。ちょうど昨日出来てさ、店に出すには惜しいと思ってたとこで……」
トモヒロが近くの戸棚へ行く。誉幸の心臓は激しく鼓動し始め、鼓膜にまで音が届くくらいだ。
「なんで、」誉幸が出した声は上擦る。「俺に、そんなこと言うんだ……」
誉幸は明らかに様子がおかしい。
トモヒロは不思議に思いながらもあっけらかんとして言った。
「別に深い意味はないよ。ただの自己紹介。」
「そんなこと、普通、言わない。」
「普通?まあ確かに会社とかでは言わないけどね。プライベートでは全然関係ない。普通もクソもないよ。」
「俺がホモ嫌いだったらとか、考えないのか。」
「だから、今言った。後で知った方が嫌でしょ。」
黙り込む誉幸に、トモヒロは聞いた。
「なに、二階堂くんはゲイが嫌いなの?嫌悪してるの?」
「違う。言う必要がないだろって思うんですよ。ただそれだけで……」
誉幸は片手で額を抑える。動揺を抑えようとした。
「二階堂くんさ、前に店に来たときのこと、覚えてる?」
トモヒロは穏やかに話す。
「覚えてますよ、もちろん……。」
「ここでイヤリングつけたときに、真理子ちゃんが言ったの覚えてるかな。二階堂くんに『ゲイ丸出し』だって言ったの。そのとき、二階堂くん動揺してたでしょ。俺らからしたら、真理子ちゃんの言葉は、ゲイみたいって意味に聞こえてたよ。これなんだけどさ」
トモヒロは話しながらピアスを取ってきて、誉幸の隣に来た。
「つけていい?」
誉幸は頷いた。トモヒロの指が耳に触れる。つけているピアスを外す大きくて優しい手。
誉幸は息を潜めた。
「俺は大っぴらすぎるけどさ、二階堂くんは意識しすぎなんじゃないかな。」
誉幸は顔を上げた。すぐそこにトモヒロの顔がある。日本人離れした彫りの深い顔立ち。陰る瞳の色は、少し灰がかった色をしていた。
「俺も、そう思います。」
誉幸は意を決して答える。
息が詰まる。まるで誰かに追われているような毎日。指名手配された犯罪者のように、息を潜めて、本当の自分を封じ込む。
「俺は、トモヒロさんと違う。バレたらって、そればっかり考えてる。」
ピアスを刺されて、小さな痛みが走った。
誉幸は顔を顰める。
「わ、ごめん。血が出てきた。」
「開けて間もないから。大丈夫です。」
「ティッシュ取ってくる。」
「いいです、気にしないで。もうひとつも、つけてください。」
「分かった。」
誉幸に促され、トモヒロはもう片方もつける。
「やっぱり似合ってるね。」
トモヒロが言った。誉幸は息を吐いた。
「俺がゲイだって、気付いてるんですよね。」
「最初はそう思わなかったけどね。」
「真理子、あいつ、俺が隠してるのおもしろがって、いつも余計なこと言うんだ。」
「面白がってるんじゃないと思うけど。心配してるんじゃないかな。」
「心配?まさか。」
「じゃないとここに連れてきてないでしょ。」
「どういう意味ですか?」
「さあ、俺もわからないよ。それより鏡、見てみて。」
トモヒロに連れられて鏡の前に立った。鏡で耳についたピアスを見る。店内の電飾に反射して輝く。
「これダイヤ?」
「まさか、ジルコニアですわ。」
「ですよね」
「でも一応いいやつ。」
「はは。」
「似合ってるよ。」
トモヒロが言うように、誉幸にも似合っているように見えた。
「トモヒロさんみたいにはいかないけど、もう少し、堂々としてみます。」
「そう。」
「これ、買います。」
「いいよ。試作品だから、あげる。」
「……じゃあ、もう少し地味なのありますか?仕事でつけられるようなやつが、欲しくて。」
「勿論。見てみる?」
ガラステーブルの上に並べられた無数のピアス。二人で話していると、もうずっと前から知り合いだったように、話が弾んだ。
「そんなんつけたら、ほんとにオネエだよ。」
誉幸は青いリングが連なった大ぶりのピアスを指して笑った。
トモヒロはそのピアスを揺らして見せた。
「イベントにはよくつけていくわよ。」
トモヒロは笑いながらピアスをつけて、くるりと回転した。
誉幸は声を上げて笑う。
「普通にしてたら、かっこいいのに。」
「やだ。アタシのことタイプなの?」
トモヒロは笑いを取ろうと大袈裟に驚く。
誉幸は笑いながら「うん。」と頷いた。
トモヒロは面食らった後、微笑んだ。
「ねえ、キスしていい?」
トモヒロは誉幸の首筋に触れる。
誉幸は俯いて笑った。
「そこ律儀なんですか。」
「律儀だよ、俺は。こんなんだけどさ。」
「卑怯ですよ。急に、かっこいい声出して……」
誉幸は目を瞑る。トモヒロから誉幸にキスをした。
触れた唇が、ゆっくりと離れていく。
「くくく、なんか変なの。」
誉幸は言った。
「ここ笑うとこじゃないわよぉ。」
「男とキスしたの初めてだって言ったら、笑えません?」
「え?」
「ずっと隠してたから、男とキスしたこと無かったんですよ。」
「笑うとこじゃないよ。それは嬉しい。二階堂くんの初めて頂きっ!みたいな。」
「じゃあ、ついでに抱きしめてもらえますか?」
「もちろん。」
これでようやく息ができる。誉幸はトモヒロの腕の中で、そう強く思った。
end.
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