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印鑑をもらい逃げるように事務所で書類を片付けると、手洗い場に行った。
手を洗おうと腕をまくったとき、左腕の掻き傷が案外目立つことに気づいた。
白肌に対抗する赤紫の傷。
俺にはそういった癖はなかったのに、傷があると安心してしまう。
だから克彦から離れられなかったのだろう。
自分でやらなくても、「お前はひどくされて当然の人間だ」と証を残す。
それがなぜか悦びとなってしまう。
異常だ。
「おい」
「!」
「なんだよ、その腕……」
鏡越しに亮雅さんと目が合い、慌てて腕を隠した。
ふり返ると鬼の形相をした上司がそこにいる。
はっきり見られてしまった。
「な……なんでもありません。転けただけで」
「本当か? なら見せてみろ」
「っ、嫌です……離してください」
「転けただけなら見せられるだろ、隠すな」
「あっ……」
手を引かれ、傷ついた腕が露出する。
その怪我は素人が見ても、何度も継続して傷つけられたものだと分かる。
だから見られたくなかった。
「…………」
「やめ、られないんですよ……俺はこういう人間です。亮雅さんは……俺から離れて、正解でした」
思ってもいないくせに、皮肉を吐いて自尊心を保った。
突き放してきたのは亮雅さんなのに、どうして怒った顔をするのか分からない。
「……負担をかけてるんだと思っていた」
「え……?」
「お前は陸の学校に行くのが嫌なことだって言っただろ。だから突き放したのに、なんでこんなことするんだよ……」
亮雅さんの手がふるえている。
行き場のない怒りに困惑した顔を浮かべ、つよく抱きしめられた。
「亮雅、さ」
「大事にしたいんだよ……お前には、幸せになってほしいんだ。自分で傷つけてんじゃねえよっ……」
「っ……」
枯れていた涙が溢れそうになった。
こんなおかしなことをする俺を、亮雅さんは壊れるくらい強く抱きしめる。
「俺は……人を愛しちゃいけない、から……こうした方が楽、なんです」
「誰が決めたんだよ。お前が人を好きになる権利なんて、他人が決めることじゃないだろ」
「俺のせいでっ……陸は病気になったって、男を好きだから異常だって……っ」
「! ……保護者に言われたのか?」
小さくうなずくと肩を離され、亮雅さんを見上げた。
もう1週間以上この目を見ていなかった。
綺麗で濁りのない澄んだ茶色の瞳だ。
「悪いのは優斗じゃないって何度も言ってるだろ。そんな顔しないでくれ。その女もひねくれすぎだな……若くて綺麗な優斗を僻んでるだけだよ」
「……俺は一緒に、いない方が」
「バカ、それを言うな。陸がお前に会いたがってる……帰ったら抱きしめてやってくれ」
「ッ……帰っても、いいんですか……」
目の前がゆがむ。
うなずいた亮雅さんに目元を拭われ、張りつめていた胸の苦しさが解けていく。
「光樹さんがどうこう言ってきたときは腹が立った。だからって、本気で追い出したかったんじゃない。お前はあれくらいしないと、嘘でも俺に嫌じゃないと言ってきそうだったからな」
「……嫌じゃ、ないです。本当に」
「ああ、分かってる。俺も言葉が足りなかった……もう自分の手を傷つけないでくれ」
布地越しに傷つけた左腕を包まれ、割れもののように優しくなでられた。
びくっと体が跳ねて愛おしげに見つめられると胸が苦しくなってくる。
亮雅さんの優しさが目の前にあるのに、俺の手は反抗的に優しくしないでとつかんでいた。
「ん、痛っ……」
「そういうことはしなくていい。誰もお前を否定してないよ」
「……すみません」
肩までふるわせる俺の手を握った亮雅さんは、頭をなでると優しく微笑んだ。
今の俺は、自分自身を救うことができない。
なにが正しくて間違っているのか判断もできず、不安がやってくるとただ混乱してしまう。
そういうときは自分が怖くなるが、亮雅さんはそれをただの防衛本能だと言って否定しない。
「__先輩、カフェラテ好きですか?」
「へ? あ、うん……好きだけど」
「ああ、よかった。これどうぞ、さっき自販機で買ったんですけどココアが飲みたくなっちゃって」
桜田がカップのカフェラテをデスクに置いた。
いつの間にか普段通りの会話ができている。
口では「主任滅べ」だの「ブサイクにならないか」だの愚痴を吐いてくるが、強制してまで付き合うタイプではないらしい。
「……先輩、その猫なんですか」
「これ? もらったんだよ。猫のストラップ、可愛いだろ?」
「ええ、死ぬほど可愛いです……先輩が」
「桜田〜? お前の席はそっちじゃねえよなぁ」
亮雅さんが事務所に来るたび、ゲームのサブイベントが始まったような妙なドキドキ感に苛まれる。
嬉しさと同時の緊張、これがいつまでも無くならないのだから俺にとってはレアなイベントだ。
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