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「おもろかったなぁ!」
「おもろたっ」
陸と今泉さんは狂人だ。
少し泣き叫ぶ声も聞こえていたが、それでも陸は面白かったようで笑っている。
楽しいなんて感情が湧くのがふしぎだ。
このなかには間違いなく恐怖しかなかった。
「____椎名くん?」
聞き慣れない声が聞こえ顔を上げる。
誰かと思えば現場スタッフの先輩である森久保さんだった。
あまり話をしたことがないが、俺と1つしか変わらない同年代の女性だ。
以前は中目黒の会館にいて、4月にこちらへ転勤してきたというわけだ。
「おつかれさま、です」
「お疲れさま〜。こんなところで会うなんてすごい偶然」
森久保さんは、よそよそしく亮雅さんにもあいさつをした。
人見知りが激しいのかあまり仲良くない人とは世間話をしない。
俺も仲良くはないのだが、どうやら話しやすいらしい。
森久保さんはチラチラと俺たちを見比べると、俺の手をにぎって3人から離れてしまう。
「ええっ、あの……どうしたんですか」
「……椎名くん。あの小さい子って、誰の子?」
「へ? 陸は……主任の子です」
主任、という一言に森久保さんは頬を引きつらせる。
「それって、既婚者……?」
「え、今は……シングルファザーです」
「そうなんだ。じゃあ彼女もいないってこと?」
「彼女は……いませんけど」
彼女は。
森久保さんは頬を赤らめると、「そっか」と言って笑った。
「ありがと。それが聞けて安心した、じゃあまたね!」
「おつかれさまです……」
去っていく彼女の背中は嬉しげで、心臓がズキンとなる。
言えない。
俺が彼氏です、なんて。
亮雅さんに彼女がいないと分かったとき、森久保さんは期待に溢れたようだった。
実のところ亮雅さんが気になっているという社員の噂はよく耳にする。
それは重々分かっていたし覚悟もしていたけど。
「えらい美人さんやなぁ。自分らの職場には美人しかおらんのかいな、なんなら弥生ちゃん似とちゃうか?」
「……」
反応がない亮雅さんを一瞥すると、森久保さんの背中を見つめていてサッと目をそらしてしまう。
そういえば俺は、亮雅さんのタイプというものを知らない。
弥生さんを好きになったのはどうしてなんだろう。
森久保さんも美人で清楚な女性だ。
普通の男なら、振り返らないはずがない。
一度気になるとダメだった。
今日ここでは陸と亮雅さんが主役なのに、笑顔になれなくて誘われた乗り物に乗らなかった。
自販機でアイスココアを買おうとしていたはずなのに、出てきたのはトマトジュースだ。
「…………」
「ゆうしゃん。はい、せんべいあげる」
「え? あれ、もう乗り終わったのか? ごめん、見てなかった」
「まだまってるの! ゆしゃんにあげたかった」
ハイタッチ、と手を出してきた陸。
優しく手を重ねると嬉しそうに「まっててねえ!」と列に戻っていく。
俺の涙腺はどこで壊れたのか。
最近、陸に泣かされてばかりだ。
グッと堪えてもらった煎餅の袋を開ける。
おかしい、のかな。
彼氏とは何なのか分からない。
亮雅さんが他の女性を見ているだけで不安になってしまう。
胸の奥がムカムカして、俺以外を見ないでほしいと言ってしまいそうだ。
それはきっと普通じゃない。
好きっていうのはもっと綺麗なもので。
森久保さんの、優しい笑顔のように。
「……人付き合い、難しいな」
トマトジュースを一口飲んでみたがあまり合わなかった。
ウェッと吐きそうになって口元を押さえる。
「ねえ今の見た!? 男同士で手つないでたよっ」
「生で初めて見たぁ」
「ッ」
ドキッとして顔を上げると、声の主は女子高生らしき2人と中年女性の連れだった。
「やめなさい。ああいうのは見ちゃダメよ」
「どうしてー?」
「気持ち悪いじゃないの。いい歳した大人がみっともない、子どもも作らないで」
「……」
なんだか母を見ているようだった。
みっともない。気持ち悪い。
もう何度も言われてきた。
そうだ、俺は男が好きなのに子どもを産めない。
母はよく家で「健康な女の子を選びなさい」だの「家事や育児ができそうな子を捕まえなさい」だの言っていた。
そこに愛はなくて、あるのは将来性という保証のない希望だけだった。
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