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9月。
夏季休暇は終わったが、焼けたフライパンの上にいるような天気はまだ続いている。キャンパスにつく前に、500mlのペットボトルが空になりそうだ。
夏季休暇中は訳あって東北と涼しい病院の中にいたので、都内の熱波は久々だ。暑いのは嫌いじゃないが、手術後の傷口の清潔が保てるかが若干心配だった。
人がごった返す電車の中で、出口付近の所謂『狛犬ポジション』を陣取り、角度を調整して腹をかばう。
腹腔鏡手術だったので、腹の傷はちょっとした引っ掻き傷のように小さいが、人の接触や湿度の高い状況はなるべく避けたい。
(そういや高校の頃は、あの人のこと、こうやって守ってたっけ)
懐かしい思い出が蘇る。
高校生の時分は、よく満員電車で先輩を守るための壁になってやっていた。守られている自覚もない人だったが、気づかれずに守り切るのがかっこいいのだと、当時は思っていた。そのせいで、全く振り向いてもらえないのに底なしに尽くし続けてしまう無間地獄にハマりかけたわけだが……。
「河辺くん」
地獄の思い出に浸っていると、電車の走行音と人々の発する音の隙間から、自分を呼ぶ男の声が聞こえてきた。
普通ならキョロキョロとあたりを見回すところだが、その必要はなかった。何故なら、周囲の人間の視線全てがある一人に注がれているからだ。
「ここだよ」
ずっと探していた声を聞き分けたかのような刺激が、深い信号となって心に染み込んでいく……こちらから表情の見える人間は皆、男女の区別なくそういう顔をしている。
眼鏡の奥の優しそうな垂れ目を細めて、その人は駆け寄ってきた。その声も目も、誰かを恋に狂わせるには十分な凶器だった。
モーゼが海を割るがごとく、その人のためだけに人が道を開けていく。
見慣れた光景だ。
俺だって多少耐性があるだけで、胸中は周囲の人々と大差ない。
朝っぱらから目立つことになってしまったが、善意ゆえの行動なので責めるわけにもいかず、せめてもの抵抗として表情に諦観の念を滲ませてみる。
「……迎えに来てくれたんすね」
無間地獄は優しく微笑んだ。
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