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告白シークエンス
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「俺、侑士が好きだ」
玄関で靴を履きながら幼馴染み――前田雅貴が、こちらを振り向いた。
そういえば忘れ物をした、みたいな言いように、菊川侑士は最初「そうなんだ」と流されてしまいそうになった。
侑士の一人暮らしのアパートで飲んだあとのことだった。
お互いに酒に弱くはなくて、いい具合にほろ酔い。
だから頭が働かないということはないはずなのだけど、侑士はなにも答えることもできずにえーっと、と必死に考えた。
え、好きって……雅貴が、俺を?
そんなわけないよな。男が男に好きって、ないない。
けど、じゃあ友達に好きだなんて、女ならまだしも、男で言うか?
そっちの方がもっとないって。でも、そうなると――
引っかかりがない氷の上をつるつると走るように思考が回り、めまいがしそうになって侑士は頭に手を当てた。
「なあ……、好き、ってさ……」
やっと声が出て、聞きかけた侑士の言葉を遮ったのは、雅貴だった。
「じゃ、来週の金曜な」
軽く手を挙げ、雅貴はいつもとなにも変わらずに帰っていき、ドアがばたんと閉まる。
「は……?」
間の抜けた声が玄関に響いた。
雅貴とは小学校からの付き合いで、いわゆる幼馴染みというやつだ。
学部こそ離れたが、大学まで一緒の腐れ縁。
社会人になった今は、職種も業界も違うけれど、定期的によく会う友人。
それが自分と雅貴との関係のはずだ。
だけど……。
好きって、そういう意味?
侑士はパソコンのキーボードを叩く手をふと止め、「はあ」とため息を吐いた。
今日の予定を考えると、憂鬱になる。
金曜日。雅貴との約束の日。
いつもならなにも考えず、のん気に通い慣れた店のメニューを頭の中で開いてなにを食べようかな、なんて考えているくらいなのに、こんな日が来るとは思わなかった。
返事に迷っているわけではない。もちろん、断るつもりだ。
だって、男同士だし。付き合ってなにをするんだ? と思う。
女の子と同じ? デートして、え、セックスまですんの? 無理。
そもそも、自分と雅貴がそういう雰囲気になる想像がまったくできない。
今は侑士に彼女はいないが、これまで付き合ってきた女の子を彼女だと雅貴に紹介したこともある。それを雅貴はどう思っていたんだろう、と考える。
というか、あいつ、いつから好きだったんだろ……。まったく気づかなかった。
本当なら、メールで済ませたい気持ちもあるけれど、雅貴とはこれからも友達でいたい。
きちんと伝えるためには、直接会って言うべきだと思う。思うけれど、気が進まない。
こういう日に限って今日の分の仕事が終わってしまい、定時までそわそわと過ごすはめになってしまった。
「菊川、今日なにか用事でもあんの?」
定時間際に、隣の席に座る同僚から声をかけられた。
「まあ、ちょっと飲みに行く約束してて……」
「ははーん、彼女か」
「は?」
「だって、そうだろ? ずっと時間ばっか気にしてさ」
「……俺、そんなにそわそわしてた?」
「デートならしょうがねえだろ。いいなあ、文字通りの華金かよ」
そう冷やかされて、侑士は重たかった腰を上げる。なんで俺がそわそわしなきゃなんないんだ。
その勢いのまま、会社を出た。
雅貴と会う時はほとんど同じ店を使っている。
ちょうどお互いの勤め先の中間地点にあり、駅から離れているせいかいつ行っても人が少ない居酒屋だ。
いつもと変わらずにいられたのは、店に入って雅貴を見つけるまでだった。
緊張から思わず足が止まる侑士に、雅貴はいつもと変わらずに小さく笑う。
「遅ぇよ。なに飲む?」
「とりあえず、ビールで……」
つい答えてしまってから、あれ? と思う。
なんでこんなに普通なんだ……?
「仕事、繁忙期に入った?」
「いや、帰り際にちょっと捕まっただけ」
自分の緊張感がおかしいくらいに、雅貴はいつもと変わらない。
差し出されたグラスに自分のジョッキを交わし、「お疲れ」と言い合いながら飲んだ。
IT業界は忙しい時期とそうでない時期の波が激しい。
反対に、建築デザイナーをしている雅貴は、消費税が上がるというイレギュラーでもなければ、繁忙期は季節ごとに来る。
「まあ、侑士のことだし、また後輩の質問にでも捕まったんだろ」
「あー……まあな」
まさかデートと勘違いされてからかわれていたとも言えず、そういうことにしておく。
「そろそろ、侑士もチームリーダーの話とか出てくるんじゃないのか?」
「俺が? ないない」
そう言って笑うと、「分かんねえだろ」と眉をしかめられてしまった。
「リーダーとか、出世する人は20代で大阪転勤があるのが通例らしいけど、俺はまだお呼びがかからないからさ」
実際に、侑士や同期は声がかけられていない。
一昨年、侑士の先輩がそれこそ大阪へ転勤していったばかりだから、もし自分達が声をかけてもらえるとしてもまだ先のことだろう。
「侑士は、その話が来たら受けるのか?」
「俺? そりゃ、スキルアップになるし、チャンスがあれば……」
そう話しながら、自分のチャンスという言葉でふと思い出した。
「そういえば、雅貴がこの前に言ってた案件って取れた?」
「今度、デザインを担当させてもらえることになったよ。と言っても、トイレだけどな」
この間、雅貴のデザイン会社で担当することになった物件のデザインを一角、担当することになるかもしれないと話を聞いていた。
「でも、ついに担当できるんだな。これからどんどん任されるようになるんじゃねえの?」
「あのトイレ見ましたって?」
「そうそう」
言いながらお互いに笑った。
「あ、その案件で上村に会った」
雅貴が少し改まったように言うが、侑士は首を傾げる。
「誰それ?」
「覚えてないか? 高校の時、同じクラスだった」
そう言われていみると、いたような気がする。
「あの、髪が短めの女子?」
「そう、その子。今は髪長いけど」
「へえ。都内にいて星の数ほどある職場で出会うって、すげえ……運命みたいじゃね?」
「……こういうこともあるだろ」
雅貴は、なにかを流し込むようにグラスを呷った。
自分で話出したくせに、と思って、自分がいつも通りに雅貴と話していることに気づく。
この前のって、やっぱり夢かなにかだったんじゃないかな……。
雅貴とは実家が近かったこともあって、小学校の頃からずっと一緒にいる。
あまり表情豊かとは言えないせいで誤解を受けやすいところはあるが、いい奴だ。
高校生の時、進路に悩んでいた侑士の相談に根気強く乗ってくれていたのは雅貴で、あの時がなければ今こうしてやりたいと思える仕事に就けていなかったと思う。
お互いにお互いの繁忙期を把握できるくらいには、相手のことを知っている。
知っているつもりだったのだけれど。
目の前にいる雅貴がなにを考えているのか分からない。
侑士もまた、そんな気持ちを流し込むようにジョッキを呷った。
店を出た帰り道。
ほろ酔いのいい気分で歩いていると、ふと雅貴が立ち止まる。
「侑士。この前のことなんだけど」
ああ、やっぱり夢なわけがないよな、そんな都合よく世界はできていない。
だから、ちゃんと聞かなきゃと思った。
「好きって、そういう意味……だよな?」
だけど、息を詰める侑士とは対照的に、雅貴は口元に小さな笑みを浮かべた。
そして――
「忘れてくれ」
一瞬、言われた意味が分からなかった。
「なんでだよ」
もっと分からないのは、自分の声が拗ねた子供みたいなことだった。
なんでこんなに不満そうなんだ。
「冗談で言ったんじゃない」
「それくらい分かってるよ」
雅貴がそんな奴だとは思ってもいない。
そうじゃなくて、ともどかしい気持ちになる。
雅貴はなんでかまた笑みを浮かべた。
「そういうとこもだけど、侑士の笑った顔とか、要領よさそうに見えて実はよくないとことか、でもそこを努力でカバーしてるとことか……」
「も、もういいからっ」
「そんな侑士だから好きになったんだ」
「いいって言ったのに!」
聞いていて恥ずかしい。雅貴はこういう真っ直ぐなところがあるから困る。
「だからさ。できれば、これまで通りに接してほしい」
「え……?」
駅に着いて、改札を抜ける雅貴の後ろを侑士も続く。
「聞こえなったか?」
「いや、聞こえた。それはいいけど……」
まさしく、断った後に自分が言おうとしていたことを言われてしまって、なんというか肩透かしな感じだ。
「そうか」
淡泊な返事に、雅貴の顔を見る。
普段から表情が豊かな方ではないけれど、それにしたってこの表情は読めない。
え、どういう感情なの? と思う。
「行かないのか?」
「え?」
雅貴にそう言われて、自分の乗る電車が来ていることに初めて気づいた。
反対方面の、雅貴が乗る電車もちょうどホームへ滑り込んでくるのが見える。
なんだか今別れちゃダメな気がして引き留めようとしたけれど、雅貴は「俺も電車きたわ。またな」と、さっさと踵を返して歩き出す。
振り返りもせずに行ってしまう背中に「雅貴!」と声をかけたが、こちらを見もせず手を振って雅貴は電車に乗っていってしまった。
降車客で溢れるホームに、ただ侑士だけが佇んでいた。
侑士は、パソコンに向かってコードを打ち込んでいた。
あれ以来、やっぱりというか、雅貴は電話にも出ないし、メッセージには既読すらつかなくなった。
何度か送っているけど、なしのつぶて。今まで感じたことはなかったけれど、反応がないって地味にストレスだ。
こういう時、プログラミングはいいよな、と思う。書いたことを機械が過不足なく返答する。
逆にこちらが多くを含みすぎても、少なすぎてもエラーを起こし、間違いを教えて正しい答えへの道を示してくれる。
俺と雅貴の最適解って、なんだろう……。
「菊川、少しいいか」
とめどない思考に終止符を打ったのは、部長の声だった。
「あ、はい」
「なんだ、腑抜けた顔をして」
「すみません、ちょっと集中力が切れてきたみたいで」
「まったく……。まあ、いい。まだ本決まりではないんだが、大阪へ行ってくれないか」
「え、自分が、ですか?」
「ああ。詳しい説明はまた明日するが、考えておいてくれ」
「え、部長!」
「すまん、これから会議が入ってるんだ」
それだけ言うと、本当に急いでいたのだろう、駆け足でプロジェクトルームを出て行ってしまった。
大阪って、まさかな……。
いつかは自分もと思ってはいたけれど、まだ早いとも思っていた。
「大阪って、転勤の話だろ?」
「……やっぱそうなのかな」
「噂では、今回の転勤は短くても5年って言われてるらしいぞ」
「えっ」
単発的に行われる講習会とはわけが違う単位だ。
そして、なぜか真っ先に思い浮かんだのは、雅貴の顔だった。
今じゃ連絡も取れないけど。
というか、ここのところ雅貴のことばかり考えてないか?
俺じゃなくて雅貴が好きだって言ってきたのに。
それに、今まで通りって言ったのだって雅貴なのに。
そんな恨み節を抱いて、ハッとした。
そうだ……俺、自分からはなにも言ってない。
言わなければ――コードを書かなければ機械だって反応してくれない。
それは人間だって同じじゃないのか。
告白……しかも、同性の幼馴染みにって、勇気がいるんじゃないかと初めて思った。
今まで、自分のことばっかりで、雅貴の気持ちを思いやれていなかった。
やっぱこのままでいいわけがない。行かなきゃと。
その日、仕事帰りの足で雅貴の家へ行った。
連絡はしないで突然行った。どうせ自分からの連絡を見ないなら同じだと思って。
「侑士……」
「上がっていい?」
近くのコンビニで買った、ビールとつまみの入ったビニール袋を掲げて見せると、雅貴は家へと入れてくれた。
だけど、なかなか本題の話ができないでいると、雅貴から「困らせるつもりはなかった」と謝られた。
「侑士は優しいから、今まで通りでいいって言ってくれたけど、本当は困ってるんだろう?」
「……は?」
「いいんだ、本当にこのままでいられると思ってない」
そんな、離れようとするような言葉に侑士の中でなにかが弾けた。
「なんでそんななんだよ! お前がそんなじゃ、俺、大阪へ転勤しちまうぞ!?」
「転勤……?」
「5年だって。今日、部長から言われた」
そこまで言って、自分の中で踏ん切りがついた。
「決めた。雅貴、付き合おう」
「そんな……無理だろ」
「お前が俺を好きだって言ったんだろ!?」
だからなんで俺の方が推してるみたいになってるんだ……
すると、雅貴は項垂れて「あの日」と言った。
「高校の同級生に偶然会ったんだ」
そういえば、飲みながらそんな話をした気がする。
「上村さん、だっけ?」
「そうだ。その上村さんに、お前に今彼女がいないなら、繋いでほしいって言われたんだよ。それで俺、お前に彼女がいないことに安心していた自分に気づいたんだ。だからって俺に可能性があるわけでもないのにな」
自虐的に笑う雅貴は傷ついているようにも見えて、なんだかたまらない気持ちになった。
「じゃあなんで、気にしないで今まで通りだなんて言うんだよ」
「気にしなくていいわけないだろ、本当は気にしてほしいよ。だけど、お前はこっちじゃないから……」
もうダメだった。
気がついたら、侑士は雅貴を抱きしめていた。
「侑士……?」
「たしかに、こっちとかそっちとかは俺には分からない。だけど、よく知りもしない女の子に好意を持たれるよりも、お前から好きだって言われたことの方が嬉しいって思っちゃったんだ。雅貴と離れたくないと思った俺の気持ちだけじゃダメなのか……?」
すると、雅貴の顔が近づいた、と思ったら、唇が重ねられた。
キス、と自覚するよりも早くに重なるだけのそれは離れる。
「俺のは、こういう“好き”なんだよ……」
「……うん、嫌じゃない」
「え……?」
今度は侑士から雅貴にキスをした。
自分から伝えなければ、相手には伝わらない。
「俺、自分が思っていた以上に雅貴のことが好きみたいなんだけど」
驚いて目を丸くする雅貴を見て、珍しい、と侑士は笑う。
「……後悔しても遅いからな」
「うん」
「ずっと、好きだった……」
「うん」
ぎゅっと抱きしめられた腕は少し、震えていた。
「休みの日は、大阪にいくから」
「うん。俺も帰ってくる」
そう言って、また少し身体を離すと、どちらからともなく今度は唇を深く重ねた。
――そして後日。
「えっ」
「だから、大阪行きは出張」
部長がおかしそうに笑っている。
「お前に転勤はまだそれこそ5年は早い」
「は、はは、そうっすよね……」
大阪行きは転勤ではなくて出張。それも三週間だった。
呆然としたまま席に戻ると、見計らったようにスマホに着信が入る。
『大阪に行く日、決まった?』という雅貴からのメッセージ。
さて、なんて返事をしようと考えながら笑みが零れる侑士だった。
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