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4月9日 入学式
---最悪だ。
黒染めしたばかりの髪を雑に掻き上げながら洗面所に向かう。鏡に映る自分はまるで悪人のような顔をしているが内心はかなり焦っている。やっぱり、人が何を考えているかなんて見た目じゃわからないものだな、なんて余計なことを考え始めた頭を横に振り、とりあえず冷たい水で顔を洗いながらこれからの行動を冷静になって考える。今は9時。今から全力で学校に向かったとしてもきっと着くのは11時頃になる。地元の高校を不合格になり、遠い県外の高校を二次募集で受験して奇跡的に受かった高校の入学式に俺は遅刻するのだ。
その入学式に緊張して昨日まともに寝れず、それで寝坊するくらいなら寝なければよかった…なんて今更考えてももう遅いわけで。あぁ、また余計なことを考え始めてしまった。一つ悩み事があるとぐちゃぐちゃといろんなことを考え始めてしまう、これは自分の悪い癖だ。
まず、現地に向かわないことには何も始まらないと思って新品の制服に身を包み、昨日寝る前に揃えた持ち物一式が入った鞄を掴んで全力で駅まで走った。
四月とはいえ、走るとそれなりに暑い。一度も歩くことなく辿り着いた駅のホームで呼吸を整えながら汗ばんだ前髪を掻き上げると目の前を通るサラリーマンが俺の顔を見たかと思ったらすぐに目をそらし、距離を取りながら歩いていく。もう、こんなことでは心も痛まなくなってきた。前まではあんな見た目をしている自分が悪いと思っていたが、脱色していた髪も真っ黒に染めたし、何となく不安定だった時期にあけるだけあけたピアスも、もうしていないのに。見た目を戻しても変わらない周りの態度は不思議だった。問題はこの生まれ持った人相の悪さだろうか。
ぐちゃぐちゃな感情を掻き消すように大きな音をたて、やっと来た電車に乗る。もう通勤時間でも通学時間でもないこの時間帯の電車はあまり人が乗っておらず、ラッシュ時に乗る電車とは全く雰囲気が違っていた。向かいの座席に座っている着物を着たお年寄りが三人、静かに会話している。端のほうには本を読む女性。その向かいには音楽を聴きながら目を閉じる男性がいる。彼らの周りだけ、流れている時間の速さが違っている気がした。
なんて思うのは、今は俺だけが時間に迫られているからだろうか。実際は俺だけが違うのかもしれない。
彼らの雰囲気にあてられて忙しかった胸が少し落ち着いた。平常心を取り戻して窓から見える景色を覗くと、眩しい海面が俺の目をちかちかさせた。これからは毎日、この海の景色を見ながら学校に行くのかと思うとなんだか贅沢な気分だ。中学校は徒歩圏内だったからこんな景色を観ながら通学することはなかった。見た目を戻して受験勉強も頑張ったが、風評の悪さが理由で一度受験に失敗したけど、この景色を観ながら通学できることを考えたら第一志望が受からなかったことも、もうどうでもよくなった。
これから通う高校は、駅から5分とかなり立地が良い。走ればもっと早く着くだろう。入学式はついに出られなかったが、HRには間に合いそうだ。学校に着いたらまずどこへ行けばいいんだろう。とりあえず職員室に行けばいいだろうか。
職員室ってどこにあるんだろう。
--------
1時間半遅れて学校に着く。外から体育館と思われる建物の窓を覗くが、その建物には人はおらず入学式は完全に終わっているみたいだった。俺はどこに入れたらいいのかわからない外履きを片手に持ちながら長い廊下を歩いていく。職員室はどこだろうか、校内を案内される前に歩く学校はまるでダンジョンだ。さっきまで自分が歩いていたところが、次には全然違う場所になっているような感覚。ぐるぐると一階を歩くけど見当たらなかったので二階へ上がる。目の前は理科準備室だ。何となく右に曲がる。しばらく道なりに歩いていくとやっと職員室と書かれた札を見つける。一安心してドアに手をかけた瞬間、それが勝手に開く。
「うわあっ」
「わあ、びっくりした」
俺より少し背の低い、やたらと顔立ちのいい男性が目を丸くして驚く。俺はいきなりドアが開いたことと、先生の顔が良いこと両方に驚き混乱した俺は何故か外靴を先生に差し出す。
「え、くれるの?ありがとう…」
「あっ、ちが…っ」
「僕のクラスで一人、入学式に来なかった子がいるんだけど…もしかして君かな」
「す、すみません…っ、昨日すごい緊張して全然眠れなくて…」
「あっはは、それ本当だったら可愛いね。けど今度からは遅刻でも欠席でもどちらだとしてもちゃんと連絡してよね、今日はもう来ないと思ってたよ。初日なのになぁって心配したんだから」
「すみません…」
「うん、今度から気を付けてね。で、君は日向くんでいいのかな?随分背が高いね、何センチあるの?」
「は、はい。日向季長です。えと、189センチです…」
「えっ、そんなにあるの?きっとバスケ部とかバレー部からすごい勧誘されると思うよ…。あ、そうだ、僕は担任の西野です。よろしくね。これからLHRだから教室行こうか。靴は、一階に下駄箱があるから日向くんの場所案内するよ」
「あ、ありがとうございます…っ」
--------
「みんなお待たせー、LHR始めますよ。あ、日向くんそこの列の一番後ろの席ね」
「は、はい」
先生が指で示した席に向かう。身体に刺さるような視線を感じて、みんながこちらを注目しているのが見ていなくてもわかる。こんな風に目立つことはよくあるけど、やっぱり苦手だ。それに一番後ろの席だなんて…目立たないという点では大変ありがたいが、最近視力落ちたから黒板がちゃんと見えるか不安だ。席に着いてから、思わず小さなため息をついてしまうと、こちらを見ていた隣の女の子が慌てて目をそらした。あぁ、また怖がらせてしまったかもしれない。
「じゃあ、このプリント回してください」
みんなぎこちない動きで後ろの席の子にプリントを回していく。きっと、この緊張したクラスの空気もあと数日、いやもしかしたら数時間で変わっていくことだろう。すでに斜め前の子が隣の席の子と会話をしている。中学校が同じなんだろうか…。そういえば俺はこの学校に一人も知り合いがいないんだった。彼らを横目に、不安がだんだんと大きくなる。今までひとりぼっちになったことはないから、こういうときどうしたら良いのかがわからない。また余計なことを悩んでいると前の席の子からプリントが回ってくる。
「あ…」
「ご、ごめん」
渡そうとする彼の手と受け取ろうとした俺の手が上手くかみ合わず、プリントが二人の手をすり抜けて床に落ちる。前の席の彼がイスの下に落ちたプリントを拾ってもう一度、今度はしっかりと手渡してくれた。
「はい」
どきん、と大きく心臓が鼓動した。朝、寝坊したときのあの動悸とは全然違う。あまり詳しくはないが、西洋人形のように整った顔がこちらを振り返る。彼の美しさに息を呑んだ俺は咄嗟にお礼を言うこともできずただただプリントを受け取るのが精一杯だった。彼はお礼を言わなかった俺に気を悪くすることもなく、再び前を向いて自分の席に座りなおす。
「プリント回ったかな?じゃあ、これから自己紹介してもらいます」
今の俺と反比例して一気にみんなのテンションが下がっていく。一番前に座る男子が先生からお手本を見せろと駄々をこねるので先生の自己紹介から始まった。男子はほとんど話を聞いていなかったが、若くてかっこいい先生はあっという間に女子の憧れの対象になった。確かに、先生は男の俺が見ても顔が良いと思う。それに、俺に対して恐がることもなく、逆に威勢を張るでもなくかなり冷静な人だった。連絡もなしに遅刻してきた俺にちゃんと指導してくれたし、それでいて優しくて今まで出会ってきた教師にはいないタイプだ。
彼は手短に自己紹介を終えるが、そのあとは女子からの質問攻めだった。彼女はいるのか、どんな女性がタイプか、まるで合コンのような質問内容を先生は上手くはぐらかしながら結局一つも答えることはなかった。だけど今の俺にはそんなやり取りよりも、目の前の彼のことが気になって仕様がない。名前すらまだわからない。制服は明らかに男子のものだが、失礼だけど性別が本当に男なのかもまだわからない。今に始まったことではないが、見た目では本来の性別を判断できない世の中で、現代は特に複雑なんだとテレビで観たことがある。それから俺は見た目で性別を判断するのを控えるようにしていた。
さすがに質問を打ち切った先生がやっと出席番号一番の彼を起立させ、自己紹介を始めさせた。苗字が「あ」から始まる彼は渋々黒板に書かれた自己紹介の項目に答えていった。クラス全体の雰囲気としては良好で、ピリピリとした感覚が一切なかった。みんなが自己紹介をしたあとは平等に拍手があるし、自己紹介が苦手な俺もそんな雰囲気のおかげで少し緊張は和らいでいた。
目の前の彼が立ち上がり、視線が彼に向かう。真後ろに座っている俺は彼の表情が全く分からない。唯一分かるのは、彼は思った以上に小柄なことくらいだ。あと、すごくいい匂いがする。
「春田依兎です。第一中学校出身です。高校で部活に入るつもりはありません。得意な教科も特にないです。とりあえず一年よろしくお願いします」
高めの声は淡々としていて、感情を読み取れない。他の人よりも短く、あっさりとした自己紹介だった。ただそれだけで、別に彼の声音が不機嫌なわけでもない。だけど、クラスは静かにざわついた。
名前が可愛らしいな、なんて思わせる暇もなくがらりと空気を変えていった彼はすっとイスに座る。周りのクラスメイトは少し引いたような顔をしていて、可愛らしい彼の淡々とした様子に驚いている様子だった。見かけによらないな、とぼそっと呟く声も聴こえる。きっとあの可愛らしい彼がこんなにクールな性格だとはみんな思わなかったのだろう。そんな空気の中、立ち上がった俺に視線が集まる。改めて俺を見るクラスメイトが更にざわつく。やっぱり、見た目をいくら変えても反応は変わらないものなのか。あがり症な俺は自分を落ち着かせるため彼らを視界に入れず、黒板に書かれた自己紹介リストだけを見つめる。
「…日向、季長です。県外から通ってます。えっと…小学生のころからずっとバスケやってました。でも、高校で部活やるかはまだ決めてないです。それでえっと、好きな教科は体育で…。あ、あと今日は寝坊で遅刻しました。すみません。こんなんですけどよろしくお願いします」
「素直でよろしい。はい、次」
静まり返った中、それなりに喋れたほうだと思う。先生の一言もあり、あのシーンとした空気からさっきまでの暖かい空気をだいぶ取り返すことができて何だか大仕事を終えた気分になる。さっき目をそらした隣の席の女子もはにかみながら拍手をしてくれていた。
何とか終わったLHRの後は、10分間の休み時間だ。
こう見えてかなりの人見知りな俺はとりあえず教室から逃げるようにトイレへ向かった。クラスの雰囲気がいいとはいえ、クラスメイトの何人かが、目の前の彼にあの視線を向けていたのは紛れもない事実だ。人によっては些細なことなのだろうが、あの視線が、俺は一番苦手だった。
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