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01 綿菓子くん -1
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徒歩圏内にある地元の図書館に併設されているカフェで過ごすのが、たまの休みの楽しみだった。店の名は、『NOGI』。店主である野木(のぎ)さんの名前からとった、わかりやすくシンプルな店名だ。
「やっほー青葉(あおば)。いらっしゃい」
にこやかに出迎えてくれたのは、NOGIの店員の柳美咲(やなぎ みさき)だ。美咲は、俺の高校時代の同級生だ。高校時代からずっとここでアルバイトをしていたが、その延長で、今は正式に社員として働いている。一児の母となってすっかり母親の顔つきになったが、彼女のトレードマークであるお団子ヘアは、高校時代から変わっていない。ちなみに柳という苗字は結婚してからの名で、旧姓は初田(はつだ)さんだ。
「今週のお供は?」
美咲に聞かれてれて、俺は借りてきた本をカウンターに置いた。
「江戸川乱歩」
「相変わらず好きだねー」
「お前もだろ」
「青葉ほどじゃないよ」
俺も美咲も、読書が好きだった。そうでなければ図書館に足を運ぶことはないわけだが、電子書籍化が進んでいるこのご時世、わざわざ図書館に出入りする人間は昔よりも少なくなっているだろう。
「ブレンドでいい?」
「うん、美咲に任せる」
そんな中俺が足繁くこのカフェに通う理由は、主に3つだ。
1つ目は、館内で本を借りたその足で通える環境であること。
2つ目は、館内のカフェということだけあって、静かな環境の中で落ち着いて本を読めること。
そして3つ目は、美咲の淹れるコーヒーが最高に美味いからだ。
バイトをしていた美咲が本格的にバリスタを志した頃のコーヒーは、不味くもないが格別美味いとも思わなかった。それが今では、俺に美咲の淹れたコーヒーを恋しく思わせるほどにまでになったのだ。選んだコーヒー豆をミルで挽く美咲の働く姿を眺めながら、思わずほくそ笑んだ。立派なバリスタになったものだ。友人として、なんだか誇らしい。
俺がこの図書館とカフェに行くのは決まって土曜日だ。そして本の貸出期間が2週間なので、少なくとも2週間に1度は来ていることになる。十分常連客だと胸を張って言える頻度だ。
「美桜(みお)は元気?」
「そりゃもうモンスター級に元気」
美桜は美咲の娘で、確か今年で4歳になるはずだ。実の娘をモンスター呼ばわりするほど、育児というのは大変なのだろう。未婚で子どももいない俺にとっては、想像を絶する世界だ。子育てと仕事を両立する彼女には毎度のことながら感心させられる。
「青葉に会いたがってるよ」
「まじで?」
そう、と美咲は頷いて、ドリッパーを設置する。そして、何か思い出したように小さく吹き出した。
「ねえ、最近の土曜保育からの帰り道、あの子何話してると思う?」
「さあ...保育園であった話じゃなくて?」
それもそうなんだけどね、と美咲は手際よく作業をしながら、話を続けた。
「ママ、今日、あおにぃ来た?って必ず聞くのよ。笑っちゃうよね」
土曜も仕事をしている美咲は、土曜保育を利用して美咲を保育園に預けている。その日の帰り道の話の1つとして、俺がNOGIに来た話をしているのだろう。きっと美桜の中で、土曜保育の日は俺がママの店に来る日だと思っているのだ。随分可愛いモンスターじゃないか。美咲にそっくりな美桜の顔を思い浮かべながら、思わず顔が綻んだ。
「美桜に言っといて。あおにぃも美桜に会いたいって言ってたって」
「うん、うん、言っておく」
母の表情を見せる美咲が、眩しかった。モンスターだろうとなんだろうと、美咲にとって美桜は最愛の娘に変わりはないのだ。
「歩夢(あゆむ)にも連絡入れておくよ」
「そうしてやって。あいつも喜ぶ」
歩夢は、美咲の旦那であり、俺の友達でもある。俺たちは高校時代から一緒につるんでいた仲で、歩夢と美咲はその頃から付き合っていた。当時喧嘩ばかりだった2人が晴れて結婚して、可愛い娘まで授かったのだから、昔を知る俺にとっては驚きだった。
「いい香り」
ドリップの過程を眺めながら、立ち上がってきたほろ苦い香りを深く吸い込んだ。
「でしょー?みさき特製ブレンドだからね」
本の話をしている時と、コーヒーの話をしている時、美咲は最高に生き生きとしている。美咲のように好きなことを仕事にできるのは、幸せなことだと思う。
コーヒーカップにコーヒーが注がれる過程を、黙って見届けた。カップの白と、コーヒーの深い茶褐色の綺麗なコントラストがなんとも言えなかった。
「はい、お待たせしました」
「待ってました」
美咲は丁寧に俺の目の前にカップを差し出した。俺はそれを受け取って、香りを楽しみながら口に運んだ。一口飲んで、やっぱり美咲のコーヒーは美味いなと、改めて思った。酸味の効いたさわやかな味わいは、俺好みのテイストだった。美咲は俺の好みをよくわかってくれている。
「うん。合格」
「散々不合格って言われ続けた日々が懐かしいよ」
「んなこともあったな」
大学生の頃、勉強ついでにここに来て、美咲の淹れたコーヒーの試飲をしていたものだ。ど素人の個人的意見でしかないのに、それでもいいからと、俺の意見を聞いて、熱心にコーヒーの勉強をしていた。美咲のその努力が、今のキャリアを生んだのだ。
二口目を口に運んだタイミングで、美咲は黙ったまま使った道具を片付けを始めた。
美咲はいつも、俺がコーヒーを飲み始めてからはほとんど話しかけてこない。俺が本と向き合う時間を作ってくれているのだ。そんな美咲の配慮が、俺がこのカフェを心地いいと思う大きな理由の一つだった。だからと言ってだらだらと長時間居座るわけではない。コーヒーを飲み終えるまでの時間だけ、ここで静かに過ごす。
俺は早速カウンターに置いた小説を手に取り、ページを開いた。
何組か、客の出入りもあった。街中にあるカフェのように、だべりたいだけの若者とか、ひたすらマシンガントークを展開する御婦人たちのような客層は、ここには来ない。俺のように本を持ち込んで、美味いコーヒーと一緒に読書をすることを目的でやってくる客が、大半を占めている。だから人の出入りがあったとしてもほとんど気にならないので、読書に没頭できる。
「あ。なっちゃん、おはよー」
店の奥の方から、美咲の声が聞こえてきた。いつもなら気にせず読書を続けるところだが、“なっちゃん”という聴き慣れない名前を耳にして、俺は思わず小説から顔を上げた。新しいバイトの子だろうか。顔を見てみたくて、バックヤードを覗いたが、死角になっていて美咲の後ろ姿しかみえない。
「美咲さん、おはようございます」
(...え?男?)
聞こえてきたのは、明らかに若い男の声だった。美咲は確か、なっちゃんって呼ばなかったか?俺は小説をそっちのけで耳をそば立て、美咲たちの会話を盗み聞くことにした。
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