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第8章ー02 方言
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「どうしたの。父さん」
『元気か? 銀太』
「元気だけど。おれ、仕事中だし」
『悪りい、悪りい。だけど、電話しとかねーどと思って』
「なんだよ?」
帰宅する職員第一弾が過ぎ去ると、少しずつ暗くなりかかっている廊下は寂しいものだ。田口壁に体を預けた。
『夏休みもこっちさ帰ってこなかったべ。だから、お前の様子が気になっから。みんなで梅沢に行ってみっかと思って。その日程を言いたかったんだ』
「おいおい。行ってみっかってさ。どういうこと? 芽依ちゃんから電話あったけど。兄貴たちだけじゃないの? え! 嘘だろ? いつ? いつくんの?」
田口は半分パニックだ。唐突過ぎて対処しきれないとはこのことである。しかし電話の向こうの父親は、相変わらずのマイペース口調で答えた。
『今週末だ。金曜日から日曜日まで。温泉取れたからよ。泊るのはいいさ』
「いやいや。家に泊まる気してた? 無理だから」
『だから、泊まんねって』
「あのね。来られても、おれは忙しいから。案内とかできないし」
『一日くれえ休みとれよ。土日だべ?』
「そうだけど。無茶言うなよ。急すぎだろ? もっと早く教えてよ」
『何度か電話したんだぞ。お前が出ねーのが悪い』
田口は何度か着信があったのに無視をしていた自分の行動を後悔したが、時すでに遅しとはこのことだ。これでは昨年のお見合い騒動の二の舞だと反省しても仕方がない。
「今週末はイベントがあって、仕事なんだよ。本気で勘弁してくれよー」
『ともかく、おれと母ちゃんと、金臣たちと行くから』
田口の父親と母親。兄夫婦、そして芽依に、陽人(中学2年)、陽太(小学6年)で来るというのだ。総勢七名のちょっとした小旅行ではないか。しかも県外から、わざわざ梅沢市にやってくるというのだ。田口はなんだか眩暈がした。ストレスだ。
『そんな大そうなところを案内しなくてもいいけど、うまいのは食わせろよ』
父親はそう言ったかと思うと一方的に電話を切った。
「なんだよ! 本当に……」
勝手だと思った。こんなに仕事を頑張っている息子に対する仕打ちとしては、自分勝手で酷過ぎると田口は思ったのだ。
「人の苦労も知らないでよ」
田口は大きくため息を吐いた。あの親たちのことだ。いくら止めても来てしまうのだろう。今週末は、それでなくても忙しいと言うのに。子の心親知らずとはこのことだと憤慨した。苛立ちと不安に支配されながら席に戻ると、大堀が意地悪そうに言った
「田口、なにサボってるんだよ」
彼につつかれて、「サボってっかよ」と、つい方言が飛び出してしまう。父親と話したせいだ。
「なに? 今の」
「あ、いや。実家からの電話で。つい」
慌てて口元を抑えるが、安齋も大堀も笑いだした。
「お、お前。方言のほういいわ」
「本当だ。それでしゃべりなよ」
「な。別に。そういうのでは」
「ほらほら。普通にしゃべってみなよ」
方言のことを揶揄われると、ますます顔が赤くなる。パソコンをいじっていた手を休めて保住も顔を上げた。
「田口の方言はあったかいよな」
「田舎ですから」
「そうか? 田舎だったろうか。確かに田舎かも知れないが。それがいいのではないか。おばあちゃんの家に匂いがしたな」
「えー!? 室長、田口の実家に行ったことあるんですか?」
「あるけれど……」
保住の答えに大堀は、鼻の穴を大きくして興奮し切った調子で捲し立てた。
「やだ! もうご両親にご挨拶済ですか。ねえ。田口~、まじで、どうなってる訳?」
「室長!」
「もう、余計なこと言わないで」とばりに、田口は泣きそうだ。踏んだり蹴ったりとはこのことである。しかし保住はケロリとしていた。
「昔、熱中症で入院した時に、療養させてもらったんだよ」
「でも、それってお泊りですよね?」
「そうだな」
保住の回答に、安齋も苦笑した。
「室長。あんまりそういうことを余所で言うのはよくないですよ」
「そうなのか? 言わないほうがいいのだな……。わかった」
「素直? 素直なの!?」
大堀は持ち前のツッコミをした。
「本当に天然カップルですね。我々が心配してあげないと、危うくて仕方がない」
安齋は呆れた表情だが、満更でもないのだろう。眼鏡をずり上げて「ふふ」っと笑った。
「ねえねえ、そういう田口は室長の親御さんにご挨拶なんかしてる訳?」
「いや、その……」
「その曖昧な返答は、ご挨拶済みか! それって、結構、もう進んでいますよね? ね? 室長」
保住はきょとんとしていたが、段々面倒になったのだろう。大堀を嗜めた。
「大堀、いくら終業時間後とは言え、残業時間だぞ? 無駄口を叩くなら早く帰れ」
「え~、都合悪いとぱつっと切るんだから。室長、ひどいです。おれ、眠れませんからね! いいんですか? 明日の朝は寝不足で使い物になりませんよ」
「お前、脅す気か? いいだろう。じゃあ寝るな」
「ひどい~。おれのこと、好きじゃないんだ~」
ぎゃんぎゃんと騒ぐ大堀に、安齋や保住は顔をしかめた。
「うるさい、黙れ!」
安齋が大堀の首根っこを摑まえると、騒ぎはぴたっと止んだ。やはり大堀にとったら安齋は恐ろしい存在らしかった。田口はほっとした。
「仕事をするならしろ。しないなら帰れ」
保住も冷たい。大堀は「ちぇ」と舌打ちをして、泣き真似をやめて仕事に戻った。それを見届けてから、保住も書類に視線を落とす。騒がしかった事務所は一気に静寂に包まれた。そうなると心がざわついて落ち着かなくなった。
週末に「両親一行が来る」だなんて、言いにくいことだった。今週末はイベントが入っているのだ。商工会議所開催の夏祭りに、市制100周年記念事業のブースを出すことになっている。田口たちの部署の、はじめての大仕事だ。
杳として、なにも決まっていない状況だが、市制100周年記念が迫ってきていることを伝えることはできる。祭りの準備は、少しずつ啓発を行うことで、種まきをしなければならないのだ。それが今年度にできることでもある。
祭り自体の手伝いは、観光課職員が行う予定なので、自分たちは持ち場のところで動くだけではあるが、人数の少ない部署である。私用で自分が抜けるわけにはいかないのだ。それに、「美味しいものを食べさせろ」と言われても弱ってしまう。
梅沢に来てから、勉強と仕事ばかりで、観光をするときに、どこを回れば良いかなどパッと思いつくものでもないのだ。これは保住に相談するしかないのだ。どちらにせよ、彼には黙っているわけにもいかないからだ。田口はため息を吐いてから、家族の勝手な行動に苛立ちを覚えながら仕事に戻った。
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