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第10章ー04 課長たちの嗜み
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「ではでは。まずは各部署からの報告お願いしていいっすか~? 協議事項は追々お話しますけど——あれ? 佐々川課長。手、どうしたんっすか」
いつもはのんきな男であるが、そういうところは目ざといらしい。最初から話が脱線じゃないかと保住は思った。
「ああ、これ? 見ての通りじゃない。怪我したんだよ。怪我」
佐々川は左手をひらひらと振る。土曜日は負傷したショックで、痛みどころではなかったようだが、数日経つと痛みもひどくなるのか。余裕のある態度だが、佐々川は顔をしかめていた。
「痛そうだな」
廣木は眼鏡をずり上げて、眉間にしわを寄せた。
「三針も縫ってねえ」
伊東や喜野田もそちらに意識が向いている様子だが、佐々川は「もういいじゃないの」と笑う。
「おれの怪我なんて、別段この会議には関係ないことだし。ほら見てよ。野原課長なんてしらっとして無表情じゃない」
佐々川に名を呼ばれ、野原は資料から顔を上げた。
「怪我したという事実。それ以外になにがあるの」
——あいかわらずじゃないか。
「ほらほら。野原課長は人の不幸には興味ないんだって」
「そういう意味じゃないけど。人の不幸を知ると、どうなるの? 怪我した経緯を聞いて、なにか意味ある? 怪我をしたのは佐々川課長であって、痛いのも、困っているのも佐々川課長。おれたちがそれを聞いて、言葉をかけたところで佐々川課長の傷が治るわけじゃない。意味がないと思うけど」
真顔でそう言い切った野原に、他の課長たちは失笑しかない。
「野原課長は生真面目なんだから。あのね、会話には遊びも必要なんだよ」
廣木はにやにやと野原を見た。しかし、野原は無表情のまま目を瞬かせるだけだ。
「遊び?」
「そうそう。こういう一見無駄な会話が人間関係を円滑にするもんだ。ねえ? みなさん」
「まあねえ。廣木課長の言うことは一理あるね。なんでも無駄を省くってことがいいとも言えないんだけどね。でも野原課長の言っていることは間違っちゃいない。ねえ。いやさ。野原課長ってやっぱり面白いね。友達いるの?」
伊東はボールペンをくるくる回して興味津々だ。
「友達なんていないけど。それっていないと困るもの?」
「いやさ。いなくても困らないけどね。わかりました。降参です。おれの負け。煮るなり焼くなり好きにして」
「伊東課長を煮たり焼いたりしたら犯罪になる」
もう収拾のつかない無駄話だと保住は思う。しかし、こういう時間を楽しむのもこのクラスの人間の嗜みなのだろうか。
——おれもどちらかといったら野原課長寄り。この人たちの無駄話に付き合う余裕はないな。
そう決め、保住は「あの」と声を上げた。
「では推進室から、今の進捗状況をご報告させてください」
「保住(ほう)ちゃん、お願いします」
高梨の仕切りに、無駄話をしていた課長たちも黙り込む。一時間という時間制限の中、用件を済ませるのも必要なことだ。保住は「資料をご覧ください」と説明を始めた。
***
議事内容をすべて済ませたのは終了五分前。席を立とうとすると、また無駄な話をし始めるのは課長たちだ。
いや、彼らはこうして情報交換をしているのかも知れない。今まで係長としての責務を行っていたが、他部署の管理職とこうして仕事をするのは初めての経験だ。
「そう言えば市長選はどうなると思う?」
伊東の問いに佐々川は頬杖をついてうなった。
「対抗馬は農水省のOBだろう? 安田市長は分が悪いよねえ。喜野田さん」
佐々川が彼に話を振ったのは農業関係者との関係が太いからだ。
「もうね。農協は我慢の限界だよね。誰に会っても市長の悪口ばっかりだよ。それを聞かされるおれたちも、結構大変なんだから」
「国出身者って知名度は低いんだけどさ。新しいものに飛びつきたい市民は多いものだからね。安田市長の再選はないっていうだろう」
廣木は続ける。
「まあ、安田市長の人気はここにきて、目に見えてがた落ちだもんな。おれたちとしてはこのまま同じだと、仕事がやりやすいんだけど」
「新人市長なんて、理想に燃えてくるだろう。困るよなあ。そういうの。こう忙しいのに、変な行政改革とかされたらさ。しかも国からってさ。地方バカにしている節もあるからな。好き勝手なことされたら困るな」
大きくため息を吐く伊東の横顔を、保住は黙り込んで見守っていた。正直、誰が市長になろうと関係がないのだ。興味がない。自分の仕事に支障がなければ——だが。
「槙さんはどうするの。安田市長の地盤を受けついて、世代交代の話もあるじゃない。安田さんが出るなら、槙さんはもちろん出られないと思うけどさ。——野原課長は槙さんと幼馴染だっていうじゃない。安田市長の腹の内、聞いていないの」
伊東は意地が悪いと保住は思う。
——そんなこと、承知していたとしてもこの場で話すわけないだろう。
しかもそれをみんなの前で尋ねるのだ。保住は口を挟もうかと思うが、野原は無表情のまま微動だにせずそこにいた。
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