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第三章「痛みの香り」《1》
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【第三章:痛みの香り】
他愛もない話をしているうちに、気づけば時計は十五時を過ぎていた。
リトに夜と明日の分の薬を渡してから、今日は部屋を出ないようにとキツく言いつけてきた。
誰もいない自分の部屋に戻り、これから訪れる地獄の時間に向けて、憂鬱な気持ちで支度を始める。念入りにシャワーを浴びて、リトのヒートの匂いを残さないように細心の注意を払う。
もしあの男にそれを嗅ぎ付けられれば、厄介なことになるのが目に見えていた。
シャワーから出た格好のまま姿見に向かい合う。自分で言うのも何だが、傷もアザもない、汚れ一つないまっさらな肌だ。
鏡の中の自分と目を合わせると、さっき離れたばかりなのに何だかリトに会いたくなった。
リトといると、嫌なことを忘れられて楽だ。それに毎晩のように襲ってくる『死にたい』という感情も嘘のように和らぐ。
「……はぁ」
短く息を吐いて、いつの間にか芽生えていた甘い考えを捨てた。覚悟を決め、普段は着けないうなじを守るための首輪を自らにつける。
少し悩んでから四桁の数字を決め、鏡の中の自分に同情の目を向けられながら、カチッとロックをかけた。
──今夜、俺はαに抱かれる。
半年に一度の頻度でその客の指名は入る。
その客が訪れる日は男情館(なんじょうかん)そのものを休みにし、そいつの貸し切り状態にしておく。他のΩのボーイと、αであるその客とが鉢合わせないためだ。
もうすっかり着慣れたネイビー色のタキシードを身に纏い、胸元のタイをグッと締める。首元から覗く飾り気のない首輪が嫌でも目を引いた。
これを着けると、自分はどう足掻いても服従させられる側なのだと思い知らされる。
髪をセットし、化粧を施す。どうせすぐに意味がなくなるとわかってはいるが、それでもあの男の機嫌を取るためならば、出来ることはやっておいた方がいい。
悩んだ末にいつもはあまりつけない甘い香りの香水をつけ、鼻の奥に染み付いたリトの香りをかき消した。目を閉じれば簡単に思い出せるその匂いに、どこか安らぎを覚えている自分がいた。
時計の針が進み十八時を示す。嫌なことが待っていると、どうしてこうも時間の進みが早くなるのか。
もうじきあの男がやってくる。
貸し切りで誰もいない広々とした玄関ホール。その中央に四角く並べられたソファの一つに一人座り込んだ。
貸し切りであるこの建物には当然俺しかおらず、辺りは静まり返っていた。
憂鬱な気持ちで何度目になるかわからないため息を吐き出し、ただその時が来るのを待った。
入口側に背を向けて座り、これが悪い夢なら良いのにと願いながら、下を向いたまま祈るように目を閉じる。同時に店の前に車が停まる音が微かに聞こえた。
バクバクと騒ぐ心臓を落ち着けるように静かに息を吐き出す。自動扉の開く音と共に、コツコツと二人分の足音が中へ入ってきた。
目を閉じたままその足音に意識を向ける。
ソファの背もたれ側、俺のすぐ後ろで足音は止まった。すぐに聞き慣れた低い声が耳元で囁かれる。
「レ〜イ、お待たせ」
その声に心臓が痛くなるのを感じながら、ゆっくりと見たくもない顔を振り返った。
「……白川さん」
「久しぶりの再会だってのに随分と他人行儀だな? いつもみたいに名前で呼べよ」
ブロンドの髪に青い瞳。一九○センチはゆうにあろう身長と、高い鼻に整った顔立ち。五十歳近いというのに、未だ老いを知らないがっしりとした身体。
ニヤリと嫌な笑みを浮かべるその男が、無遠慮に頬を舐めてくる。
「……アオさん」
顔をやんわりと背け、制止の意を込め男の名前を呼ぶ。その後ろの少し離れたところから、アオさんがいつも連れているメガネをかけた秘書がこちらをじっと見ていた。
その男の視線に嫌な感覚を覚えながらも、立ち上がってアオさんにエスコートされるままディナーへと連れ出された。
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