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第六章「過去の香り」《17》
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「はあ……」
レイさんは自分を落ち着けるように深くため息を吐き出すと、俺から顔を背け静かに話し始めた。
「……今からでも遅くない。また学校へ行ったっていいし、働いたっていい。必要なら、オメガでも働ける安全な仕事だって紹介してやる。……お前、頭使う仕事は向いてなさそうだし、将来的に何か資格を取った方がいいかもな」
レイさんが何を言ってるのか、うまく理解できなかった。作ったような笑みを貼り付けながら、レイさんは俺を見ないまま言葉を続ける。
「それで普通に真っ当な大人になって、普通に結婚して普通に子ども作って、ここでのことなんか忘れて、普通の幸せな人生を送って……俺のことなんか」
──二度と思い出さなくていい。
「それ以上言ったら殴るッ……!」
そのあとに続く言葉がわかって、気づけば衝動的にレイさんの胸ぐらを掴み上げていた。
レイさんは、あまりに勝手だ。
誰かのために自分を犠牲にしてばかりで、自分のことを大切にしない。俺は、それに腹が立って仕方ない。
勢いで掴んでしまったレイさんの胸元から、青黒いアザと痛々しい傷跡が見えた。
「……いいよ。殴られるのはお前と同じで慣れてる」
怒るでもなく、俺に向かって微かに笑みさえ浮かべてみせるレイさんに、余計に腹が立った。
「そういう事を言ってるんじゃない!」
言いながら掴んでいた手の力を強めると、今度はレイさんが俺の服の襟を勢いよく掴みあげた。
「俺は他人から与えられる救いなんて求めてないんだよッ!!」
あまりに悲痛な怒鳴り声だった。
掴まれた襟で首が締まって息を詰める。思わず掴んでいた手を離すと、すぐにレイさんも俺から手を離した。
レイさんの手が、俺の服にできたシワを直すように静かに胸元に触れてくる。
「……誰かに許してほしいわけじゃない。ただ死んでいったあいつらの顔が忘れられない……それだけだ」
まるで何かを怖がるように、弱々しい声だった。
俺の胸元を撫でた手が力なくソファの上に落ちる。しんと静まり返るリビングに、俺の息遣いだけがやけに響いているような気がした。
「…………」
俺はバカだから、レイさんを許すとか、救うとか、難しいことはわからない。
でも、バカな俺でもわかる。
レイさんが俺のことを好きだって。
本当は、一人でいるのが寂しいんだって。
救われたいと思ってるって。
痛いくらい伝わってくる。
“一緒に生きよう”と手を差し出したら、レイさんは俺の手をとってくれるだろうか。
「…………それでもいいよ」
長い沈黙のあと、静かに震えそうになる唇を開く。
レイさんは俺と目を合わせずに、下を向いたままだった。
「俺、レイさんがずっと昔のことを忘れられなくてもいい。自分を許せなくてもいい。俺のこと、好きって言ってくれなくてもいい」
自分の気持ちを整理するように、言葉を選ぶ。
「レイさんが好きなんだ」
俺の言葉に、レイさんが微かに顔をあげた。
「オメガだからとか、気のせいだとかじゃない。レイさんにずっと笑っていてほしいし、レイさんが傷つくのが嫌だ。レイさんの傍にずっといたいと思ってる。俺の好きは、そういう好きだよ」
目の合ったレイさんの顔は理解できないとでも言いたげで、思わず小さく笑ってしまう。
「俺が本当に辛かったのは、親父が借金を残して逃げたときでも、母さんが自殺したときでも、仕事で毎日殴られてたときでもない」
レイさんと出会った日のことを思い出す。
「初めて男にレイプされて、痛くて寂しくて、自分は独りなんだって……絶望を知ったあの夜だった。一生懸命やれば、借金があったって親がいなくなって、人生何とかなるって思ってた。でも、あの時、俺には味方なんていなくて……初めて、生まれて来なければよかったと思った。死にたいって涙が出た」
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