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三章六話 あの頃
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サッカーボールを買ってもらうと、毎朝影井を起こす前に一時間ほど公園でリフティングをするようになった。
平日の昼に外にいると警察や大人に声を掛けられる恐れがあるので、八時になる前に家に帰る。
やる事は増えたが、より充実した毎日を送るようになった。
それから約半年が経った。その日は春哉の誕生日である。
春哉は朝のリフティングから帰って、手を洗ってから朝食を用意した。今日はパンを焼いて、卵焼きとウインナーを焼き、夜ご飯の残りの煮物を器に盛ってテーブルに並べた。
それが終わると、影井の部屋に入る。
「おっはよ〜!」
影井はまだスヤスヤと眠っている。
「もー! 起きてよ〜、影井さーん!」
一人暮らしの時はどうしていたんだと思う程、影井は寝起きが悪い。
社長なのは分かっているが、それでも家を出るのは九時頃だ。他の社員も出勤は個人の裁量に任せていると聞いたが、ネットの情報でブラック企業のネタを見る限り信じ難い。
影井とネット、どちらを信じていいのか分からなくなった。
春哉の中で社長というと、社長室で座ってふんぞり返っているイメージだ。
影井がそうしている想像は出来ないが、いいご身分なのだと勝手に思っている。
揺すっても起きないので、影井の腰辺りに跨って揺らす。
「かーげーいーさぁーん」
「……ん……おはよう」
「おはようっ!」
春哉は明るい笑顔で挨拶をし、影井が目覚めたのを確認してからベッドから降りた。
すぐに影井は起き上がった。
毎朝、二人は向かい合って朝食を食べる。春哉はパンにマーガリンを塗りながら、ニコニコと話しかけた。
「影井さん、今日は何の日か知ってる?」
「なんだったかな、ハロウィンだっけ?」
とりあえずで点けているテレビのニュースでは、コスプレした若者達や海外の反応等を取り上げている。
春哉はムッとした表情になった。
「違うよ〜」
「冗談だよ。春哉の誕生日だね、おめでとう」
「ありがとう!」
影井はにこっと優しい笑顔を春哉に向けた。
初めて会った時は無機質な人のように見えていたが、春哉と触れ合う内に優しさというものが目に見えて分かるようになった。
元々、オークションで影井に助けを求めた春哉を救おうとしていたのだ。優しい人だというのは分かっているが、忘れてはいけない。
あのオークションが成り立っているのは影井の助力があったからだ。
春哉はオークションの背景を詩鶴から聞いている。春哉は影井を完全に良い人だとは思っていないが、だからといって恩を忘れられるわけもなかった。
「今日はお仕事でしょ? 僕、勉強して待ってるね」
「いや。今日は休みにしたんだよ」
「ほ、ほんと〜!?」
「ああ。一緒に出掛けよう」
春哉は満面の笑みを浮かべた。
食べ終わるとすぐに着替えて外に出た。
駐車場へ行き、車に乗って出発する。
「車久しぶりだ〜」
「車は好き?」
「うん。でも車より電車の方が好きだよ」
「じゃあ今度電車に乗ろうか」
「うんっ! また海行こうよ」
影井の元に来て、春哉の扱いに困った影井に海へと連れて行かれ、近くの民宿に泊まった。
あの時は心が死んでいたが、心の奥底ではビクビクと怖がりながらも少し喜んでいた。
旅行は八年ぶりだったので、嬉しかったのだ。
「海か……」
「影井さんは海が好きなんでしょ?」
「ああ。そういえば、結局海に行った事はあったのか?」
春哉はその時のやり取りを思い起こした。
影井が「海は見た事あるかい?」と聞いてきたのだ。あったから頷いた。
だが、「どこで見たの?」という問いには、
「……お……。いえ……なんでもないです」
と、きちんと答えられなかった。そんな春哉に答えを要求せず、影井は自分の話を始めた。
『俺さ、君くらいの年の頃、家出した事があるんだ。気付いたらここにいてね、日が暮れるまで海を眺めてた。
見ていたら吸い込まれていくような気がしてね。このまま誰にも見つからない場所へ逃げたくなった』
『僕も……』
初めて影井に共感した瞬間だったが、思い出すと申し訳なさが込み上げた。あの時は影井に対して不信感しかなかったのだ。
「海は毎年お盆の時期にお母さんの実家に行った時に海岸に行ったんだ。地引き網とかした事あって、楽しかったなぁ」
「そうなんだ、それを言おうとしてやめたんだな」
「うん。お母さんの実家で……って。でも影井さんがどんな人か知らないから、出来るだけ自分の事は教えたくなかったの。
あの時の僕はね、このまま海に入って死ねば楽になれるのかなって考えてたよ」
「春哉……」
「死ななくて良かったよ。僕ね、影井さんに凄く感謝してるよ。ちゃんと大人になったら恩返しするから、楽しみにしててね」
春哉は輝く目を影井に向けた。将来の展望がハッキリしているのだ。
今は言わずに黙っておく事にしたのだった。
(大きくなったらは本当の家に帰って、お父さんとお母さんに会いたいな。で、影井さんにしてもらった恩は何倍にもして返して──。それで、僕は──)
思考が進むとより楽しくなり、窓を開けて外を眺めた。風が心地良い。このままずっと乗っていたい気分になっていた。
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