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結局、取り憑く微睡みに屈したおかげで、朝風呂を洒落込むことは出来なかった。気分はお世辞にも良いと言えない。壁に押しつけられて片足立ちし、腹筋を見事に反り返らせと、無茶な運動による筋肉痛。挿入を伴うセックスを行ったとき特有の熱っぽい気だるさ。おまけに唾液を飲み込むたび微かに喉が痛い。大声で吼えまくった記憶はないのに。
これはもしかして、風邪の引き初めではないだろうか。ぐすっと水っ鼻を啜った後、譲治ははたと思い至った。休暇に来て体調を崩すなんて、全く笑えない。
宿から程近い商店街を抜ければ、熱海駅は目と鼻の先だ。スマートフォンで確認した時刻は10時30分。名店街で腹ごしらえをしようかと思ったが、案の定観光客は既に、店という店へ押し寄せていた。
古き良き時代の面影という言葉は正しくない。昔から余所者を大勢受け入れるこの街は、ローカルなんて言葉に拘らず、常に刷新を続けている。食べ歩き用の天麩羅を買おうと、練り物屋前で長蛇の列を形成する人々は、あの店が百貨店でよく見かけるチェーン店だと知っているのだろうか。
とちらにしても、食欲は余りない。ワイシャツの上に羽織ったスプリングコートは風を通す。本当に、湯冷めをするか発汗で菌を排出するか、一か八かで熱い風呂を浴びてくれば良かったとつくづく後悔する。
それが無理なら代替品をーー交差点の対岸から窺う限り、駅前にある名物の足湯は、待たずに利用することも出来そうだった。
10メートル程ある細長い湯船の両端に渡された簀の子へ、電線の雀の如く並ぶのは、これまた大半が観光客だ。積み上げた薪を模した彫像から溢れる湯は、なかなか温まらない秋の空気にもくもく湯気を立ち上らせる。屋根に一度押し戻されてから辺りに拡散する蒸気が、かさつく肌と喉を癒した。
自前の物を持ってこれば良かったと思いながら、タオル用の自販機へ向かおうとしたところで、気づいてしまう。駅舎を組み込む複合ビルへ背を向ける形で腰掛けた少年と、その傍らに鎮座する黒いカーボン製キャリーケースへ。
彼は俯いたまま、湯の中でぽちゃぽちゃと爪先を遊ばせていた。折り捲られたジーンズの裾から覗く滑らかな臑と、そこから続く幅狭で甲高な足。そんなところでも親子とは似るものなのだなと、少し感動を覚える。
「後藤彰くん? 僕は松村達夫の友人だけど」
「友人」と口にするとき、潤っていたはずの咽頭がぴりぴり引き攣れる感覚に襲われる。
少年は、機敏な身じろぎで振り返った。顔立ちは達夫とそれほど似ていない。視線が絡み合った途端、丸ぽちゃの輪郭に収まる、ただでも大きな目が見開かれる。
「別所さん?」
形良い唇は、酷く慎重な動きで開かれた。
「ですよね?」
「うん、はじめまして。旅は問題なかったかい」
「おかげさまで」
くるくる回すような動きをしていた足の親指が動きを止める。さっと水面から引き出された脚に纏わり付く湯は、彼から離れるのを心底惜しんでいるように見えた。
「こっちこそすいません。別に迎えなんかいらないって、父さんに言ったんですけど」
キャリーケースへ伸ばされた腕を、突き出す手で制す。譲治が自販機で買ってやった、たかだか100円のタオルを受け取るとき、彰は肩を窄めてひどく決まり悪げな表情を作った。
「お母さん、大変だったね」
「全然。すっかり元気で、病院じゃあれが食べたい、これを持ってこいって」
リーボックのスニーカーへ素足を突っ込み、地面へ乱暴に爪先を叩きつけながら、首が振られる。
「うるさかったから、地元を離れられてちょうど良かった。学校もサボれるし」
「中間テストに響かない?」
「2週間位何となかりますよ」
さあ出来た、とちょっと顎を突き上げ浮かべられる笑みに既視感を覚える。本当に妙な気分だった。そしてこの胸騒ぎの萌芽は、ありとあらゆる形に変換できる気がしてならないのだ。
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