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幸い、譲治へ深く考える暇を与えない程度に、彰は懐っこかった。ぞくっとするほど美しい瞳から、熱い好奇心をたゆまず放射し、年長者に物怖じもせず話しかける。かと言って、その声へ子供特有の癇に障る響きはなく、寧ろ落ち着きは度を越している程だった。
「父さんの友達って聞いて、ほっとしました。あの人には色々な知り合いがいるけれど、あなたみたいにまともそうな人って、あんまり知らないから」
「まともか」
思わず譲治は、唇に苦い笑みを刻んだ。
「僕も、会ったのは数年ぶりなんだけどね」
再会は全く偶然の出来事だった。年末年始は冬期講習の監督で忙しいからと、前倒した冬休み。10月に熱海で避寒を決め込む馬鹿なんて自ら位だと思っていたら、平和通り商店街の利久で饅頭を頬張っている彼とばったり遭遇したのだ。
Fランク私立高校の同級生である達夫とは、クラスが同じになったり、友人関係が重なったりと、在学中から顔見知りだった。
初めて関係を持ったのは大学卒業直前の同窓会帰り。それから何故か、街で顔を合わせたり、知人の連絡先を聞くたび達夫が突如電話をしてきたりと、そのたび寝たから、ウマが合うと言っても差し支えないのだろう。ただ同時に、そこまでお互いへ興味があるわけでないことも事実だった。
数日前に会うまで、達夫は譲治が母校での高校教師の職を辞し、フランチャイズの塾を経営していると知らなかったし、譲治も相手が休眠会社の登記を違法な手段で書き換えた為、半年程くらい込んでいたと初めて知った。
君のお父さんがろくでもない奴だから、僕は興奮したなんて。目の前の少年にはとても言えたものではない。何せ彼は、自らのことをまともだと思ってくれている。
「彼に君位大きな子供がいるなんて。今まで一度も話題にしたことがなかった」
「でしょうね。あんまり真っ当な関係じゃないですから」
かたかたとキャリーバッグを引きずりながらの物言いは、いっそわざとらしいほど軽い。
「父さんが大学生の時、父さんのおじいさんのところで家政婦兼介護担当みたいな事をやってたのが母さんで。母さんは妊娠したから、仕事をクビになったんですけど」
「それは……」
「父さんの実家からお金は貰ってたし、母さんは普通に再就職先を見つけて、僕も別に苦労したことはないです」
話題から逃げるように、彰の視線は、商店街に立ち並ぶ店へと忙しなく走らされた。
「朝食、食べた?」
「はい、新幹線の中でパンとか」
と言いつつ、その目は魚屋にぶら下がる乾物の蛸へ吸い寄せられる。
「どこか入ろうか」
「まだ大丈夫です。せっかくだし、父さんに昼飯、奢ってもらおうかなって……あの人、今仕事中ですか」
「それは無いと思うけど」
そう言えば達夫からは、自分が根城にしている海岸沿いの宿へ息子を連れて行けとまでしか頼まれていない。まさかあの男は、本当にこの子を宿へ押し込んだきり、明日までほったらかしにしておく算段ではないだろうか。
面倒ごとを前にしたときの煩わしさと、少年への哀れみ。両側から手を取られ、気分がずるずる下落する。
この街は坂道が多い。商店街から海へ向かうにはひたすら下り、おかげで潮臭さとは無縁で居られるのだが、温泉に浸かった後そぞろ歩くには少し不向きだった。
湯上がりに火照った身体を冷ますどころか、譲治の背中は既に、汗がランニングシャツをぴたりと張り付けさせている。やはり体調が良くない。膝を痛めそうな急勾配から吹き上がる、そろそろ涼しさを含み始めた海風が、頬へやたらと心地良く感じた。
事前にグーグルマップで調べたし、達夫から話にも聞いている。だが彼の投宿先は、冗談抜きで褒めるところを一つも見つけることが出来なかった。
元々どこか大手会社の保養所だった所を買い取って、リノベーションも碌に施していないらしい。排気ガスでくすんだ白い壁が、曇天の下、一層冴えない色に見える。
みすぼらしい外観にも、彰は頓着しない。取り敢えず荷物を預けておいでと促せば、エントランス前の階段へキャリーケースをごんごんとぶつけながら、フロントへ直行する。
人気がなく、薄暗い屋内へ後ろ姿が消えたのを確認してから、譲治はスマートフォンを取り出した。
留守電に繋がるかと思ったが、達夫は5、6回のコールで応答する。
「落ち合えたか」
「今君の宿に着いたよ」
「え、そう? 早かったな」
明らかに気乗りしていない口調は、呆れや戸惑いを通り越して怒りすら覚える。ちらちらと、今時自動ですらないガラスドアに視線を走らせながら、譲治はコートのポケットの中で指を擦り合わせた。
「そう言えばフロントに行かせたけど、部屋へ直接やった方が良かったかな」
「あー、オーナーにはナシつけてるし大丈夫……そんな早かったか。今そっちに向かってる、皆で昼飯食おう」
「親子水入らずの方がいいんじゃ?」
「馬鹿言え、そんな……」
ぐっと詰められた息と入れ替わるようにして、明らかに尖っているその声は静寂を破り取る。「仕事中だった?」対する達夫の口調は、これまた取ってつけたかのように明るいのだ。「よう、元気そうだな」
そして向き合った瞬間、矛はすぐさま収められる。変わり身の早さは驚嘆すべきものだった。2人の関係を知らなければ、見つめ合うその姿はとてつもなく仲の良い親子に見えたことだろう。
「この人はな。俺の高校の同級生で」
「知ってるよ、LINEしてくれたじゃん」
誇らしげに肩を抱く達夫はおろか、連れられてくる彰の顔にも、既に10代らしい高慢ちきな笑みが戻っている。
「いかにも坊ちゃんっぽい七三頭の、大きな丸い目の人だって」
「生意気ばっかり言いやがる」
軽く頭を小突きながら、達夫は携えていた紙袋を眼前に突き出した。
「あんまり具合、良くなさそうだったろ」
中に入っている風邪薬と栄養剤は、遣いの駄賃と言うわけではないのだろう。
こう言うのが困る。黙ってコートのポケットに袋を押し込みながら、譲治は心底思った。
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