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自ら経験しているにも関わらず、17歳の食欲を目の当たりすればやはり圧倒される。連れて行かれた小さな定食屋で、彰が天ぷら定食に海鮮丼を注文したときは、冗談かと思った。けれど定食はあっという間に完食。丼も今や半ばまで平らげられている。
譲治と言えば相変わらず食欲が戻らず、こう言うときの常できつねうどんとビールなんて風情のない組み合わせでカロリーを取っているし、達夫の箸の進みも遅い。
彼の刺身定食は誰より先に運ばれていたのだが、酒ばかり飲んで、口を付けようとしなかった。息子が海鮮丼の最初の一口へ到達するまでーー癖なのだ。何でも昔、家族で寿司を食べたとき鰤にあたり、酷い目に遭ったらしい。なら頼まなければいいのにと思うのだが、それでもやはり生魚は好物だと、未だ彼は主張する。
「祖父さんに聞いてると思うけど、お前の母さんについては心配しなくていいからな」
綺麗な箸使いでつまの大根を一まとめにしながら、達夫は正面の息子へ言い聞かせた。
「お前もびっくりしたろう」
「別に」
旬にぎりぎり間に合った、透き通るようなシラスをこぼさないよう苦労しているせいで、彰の返事は少しおぼつかない。
「見舞いに来てくれて、有難う。それからこのリーボック、送ってくれたのも」
和やかかつ、とんでもない茶番。運ばれてきた二本目の大瓶から自分にもう一杯注ぎ、譲治は食器で溢れ返ったテーブルから視線を上げた。そこにいるのは、保護者と言う名の盾で絶え間なく相手を小突いて牽制する男と、本来は敵を差し貫くべき研ぎ澄ました剣で防戦一辺倒の、未熟な少年だった。
「ばあちゃんとこ行く前に、せっかくなんだ、飯食ったら観光にでも行って来いよ。お宮の松、見てきたらいい」
「何それ」
「嘘だろ。『金色夜叉』知らない? 国語便覧とかに載ってるだろ、谷崎潤一郎」
「尾崎紅葉だよ」
すっかり伸びたうどんを掻き回しながら、譲治は口を挟んだ。
「君は昔から、国語からっきしだったもんな」
「うるせえ。別所は今、塾の先生やってるんだってさ。勉強教えて貰ったらどうだ」
「僕、勉強は普通に出来るから」
器から顔を上げ、彰は言った。あんまりにもきっぱり、はっきりと響く物言いなので、カウンター席に座っていた老夫婦が、一瞬だけ視線を投げかける。
「でも、高校なんて馬鹿らしいよ。周りの同級生もみんな、ガキっぽくてさ。母さんもウザいったらない」
ぱちりと割り箸を盆の飢えに置く音が、信じられないほど勢いよく空気を破く。彼はあの熱っぽい目を、ひたと父親に据えた。
それなのに、達夫の面立ちには一摘みの怪訝さが振りかけられただけ。こういう表情を浮かべた彼は、まるで訴えかける少年と、殆ど年が変わらないように見える。芝居ではない。達夫は本当に、理解していないらしかった。言葉の接ぎ穂を見つけられず、相手の次の一手を待ちかまえている。
まっすぐ見つめ返され、たじろいだのは彰の方だった。やがて目は伏せられる。長い睫の陰で、呟きはそれまでの威勢などどこにやら、あまりにもか弱かった。
「おばあちゃんのところになんか行きたくないよ」
達夫も溜息を付いて、目の前の皿へ箸を伸ばした。
「2週間だけ我慢しろよ。金沢も楽しいところだぞ、ばあちゃんを喜ばせて、小遣い巻き上げてこい」
調味料も付けず口へ放り込まれた蓮根の天麩羅に、彰はあっと鋭い叫びを上げた。
「取っといたのに」
「なんだ、これ嫌いじゃないのか」
「好物は最後に食べたいんだ」
「追加で注文してやるよ」
「もういい」
静かな、だが本格的な怒りへ沈思してしまった息子を前に、達夫は初めて助け舟を求める。肘打ちを無視し、譲治は風邪薬の箱を開けると、錠剤をコップ半分のビールで飲み下した。
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