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ぬるま湯で微睡む
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河内、真田、そして俺、堀北。
数ある言葉の中から、三人の関係性に名前をつけるなら「幼馴染」が一番しっくりきた。
物心つく前から俺達三人は家族ぐるみで時間を共有していたし、お互いのことを自分以上に知っていることだってあった。
三人とも田舎の出身ということもあり、幼稚園から現在の高校に至るまでを流れに身を任せるように年を重ね、勉学や部活に特別精を出すわけでも、彼女も作ることに血眼になるわけでもなく、ダラダラダラダラと無駄に若さを消費する「ぬるま湯」のような居心地を気に入っていたのは自分だけ……少なくとも、真田は気に入らなかったらしい。河内はわからないけど、俺と同じ気持ちだったら嬉しいなとは思う。
「堀北、今帰りか?」
「え?まあ、そうだけど」
「一緒に帰らないか?」
「いいけど……」
「河内なら、補習だぞ」
顔が熱くなる。
「いつも通り三人で帰りたい」という心情を見破られたようで、恥ずかしい。
「たまには二人で帰ろう。河内が怒るようなら『日頃から勉強しておけ』と釘を刺すいい機会にもなるしな」
「ははっ、それもそうだな」
学校の固い椅子から持ち上げた腰は思った以上に重かった。
思えば河内抜きで真田と二人で帰るのは久しぶりで、俺達の間に会話のキャッチボールが続かないことに河内の存在が橋渡しの役割をしてくれていたことを痛感した。
居心地の悪さにたった20分の距離が永遠に感じられ、俺と真田の帰路を分ける別れ道が見えたことに安堵する。
「俺、河内が好きだ」
突然の真田の言葉は、ぬるま湯で微睡む俺にとって冷水のように感じられた。
「堀北も、河内が好きだよな?」
「!」
別れ道は目と鼻の先だ。確かめるような問いかけに耳を塞いで「聞こえなかった」ことにして逃げ去ってしまいたい。
でも、そんなことをさせないという力強さが真田の言葉からは感じられた。恐らく、二人での登下校の本題はこれだったのだろう。
真田の言う通り、俺は河内が好きだ。
それは家族や友人に向ける「好き」ではなく、一人の人間を独占したい質の「好き」で、真田が自分のような思いを河内に抱いているのは気づいていた。だって、俺達はお互いを自分以上に知っているから。
きっと真田と二人での帰り道が久しかったのも、この思いの真意を確かめられたくなくて俺は真田と二人になるのを意図的に回避していたからなのだろう。
(凄いな、真田は)
「俺は河内に告白しようと思っている」
「え、でも河内は……」
河内は、女子が好きだ。
ついこないだまで河内は去年の学園祭の後夜祭で告白された女子と半年ほど付き合っていた。別れた原因は彼女よりも幼馴染の男子二人を優先しすぎたという、なんとも間抜けな結末に終わったが。
(河内は女の子が好きだから、男の俺と付き合うわけがない)
その事実は俺に逃げ道を作った。
告白をしようものなら同性に性的対象にされたことを嫌悪され、話しかけることすらままならなくなるかもしれない。優しい河内がそんなことをしないと頭の隅でわかっていながらも、俺は理由付けをしてはこの思いに蓋をして逃げていた。
だから、真田の言葉は俺を心の底から焦らせた。
「わかっている。それでも、言わずに後悔するなら言って後悔したい」
「……凄いな、真田は」
今度は言葉になった。
真田は俺の呟きに何か返すことはせず俺を一瞥し、すぐに向き直った。
気がつけば俺達は別れ道の目の前まで迫っていた。その事に安堵している自分が本当に嫌になる。
「堀北、俺は確かに言ったからな。抜け駆けみたいに思われたら困る」
「そんなこと思わないよ」
「けじめだ」
「けじめ……」
それはぬるま湯の俺にはやはり冷水に感じられた。脳裏に「三角関係」という言葉が浮かぶ。
だが実際に俺達三人を三角形の対角上に配置して、お互いに馳せる思いを距離にした時、先に出会うのは河内と真田だと思った。
次の日の放課後。「なんで昨日置いて行ったんだよぉ」と開口一番、口を尖らせた河内が鞄を手に教室へと入ってきた。昨日の真田の告白もあり、そのあまりにもいつも通りな河内の態度に安心と「人の気も知らないで呑気なものだ」と的外れな八つ当たりを心中でぼやく。
「お前補習だったじゃん」
「そんなのいつもじゃーん。いつもみたいに玄関で待っててくれればいいのにさぁ……ま、いいや!帰ろうぜ」
「真田は?」
「真田は……今日はいい。今日は俺と堀北、二人」
「え、人には置いて行くなって言うのに?」
「だから、いいんだって……さ、真田に許可とったしっ!」
この時点で嫌な予感はしていた。
「真田に、告白されたんだよね」
何気ない会話をしながら、周りを歩く人の数が減るのと同時に元気のなくなった河内の口からポツリと呟かれた。言葉に心臓を掴まれたような錯覚を起こすほどに鼓動が早まり、口の中がカラカラになる。だって昨日の、今日だぞ?
「え……?」
「最初『体育館裏に来い』って言われた時、何を怒られるんだろうってビクビクしてたらまさかの……告白っ!もう俺びっくり、寿命5年は縮んだよ〜」
相槌すら挟ませない早口に、河内は俺に話したことを後悔している事に気づいた。
河内も俺同様に「同性愛に対する嫌悪」を恐れているのかもしれない。
「ふーん」
「……ちょっと!その反応、もしや知ってた感じ?」
「まあ、うん」
「二人してなんなんだよぉ……っ!」
嘆く河内の声は怒っているのに顔は安堵していて、チグハグだ。
「どうすんの?」
どう告白されたかとか、真田がどんな顔だったかとか、河内は俺の反応に安心したのか決壊したダムのような言葉の波の合間に俺は言葉を挟んだ。そんなの全部、どうだっていい。知りたいの返事だけだ。
「んー、だからぁ、それを堀北に相談したくて今日は二人なの」
「え」
「マジな話。堀北だったら、どうする?」
残酷だ
「そんなの、当事者じゃないからわからないよ」
嘘だ
「だって、男同士で付き合うとか意味わからんしっ!」
「……、別に女子と付き合うのと変わらないんじゃない。放課後はちょっと遠回りしながらのんびり帰って、休日は隣の駅まで映画見に行って、無駄に高い飯食って、その後はブラブラ買い物したり……とか」
「え、童貞がなんか言ってる」
「うっせ!」
不思議なくらいツラツラと言葉に起こせたのは、クラスメイトの惚気話に対して自分と河内の姿を重ねていたからなのかもしれない。
「うーーん、でもそれ今と変わらんくね?俺達が今までやってきたことじゃん」
「……キスする、とか?」
「えぇぇっ!俺が!真田とっ!?!?」
「ひゃー」と顔を覆う指の合間から見えた頬は真っ赤だった。
夏の暑さにのぼせたというわけではなく、それは恥ずかしさからくる照れからみたいだった。
ほら見た事か。「男同士で恋愛する」という事柄に対して、河内の反応は「嫌悪」の「け」の字もない。
(実は俺も河内の事好きなんだよね)
それが今言える俺なら、とっくの昔に河内に告白をしていただろう。
「俺と試してみる?」
何か言わなくてはと、なんとか絞り出した言葉は緊張にちょっと震えた。しかも、空振りもいいところだ。
「え、キモ」
少し、いやかなり傷ついたがこれが河内の俺に対する答えなのだろう。
冗談だとわかっているから、辛辣な返しができる。俺は「友達以上幼馴染未満」にしかなれない存在だ。真田とは、違う。
「……ああぁ!うるせえなあ!とりあえず試しに付き合ってみればいいじゃんっ!相手はクラスの女子の憧れ、”真田くん”なんだしさ!」
「あはっ!堀北、キレたっ!……うわぁ、憧れの”真田くん”独り占めはバレたら女子に刺されそー。『河内のくせに生意気!』ってな感じでさぁ!」
そこからはいつも通りの会話が始まり、俺と河内はダラダラとぬるま湯の会話を楽しんだ。
だが、その日を境に俺達三人は一緒に帰ることがなくなった。クラスメイト曰く、どうやら二人で登下校をしているらしく「喧嘩割れか?」「仲間外れか?」と茶化し半分同情半分、二人ほど近所ではないが家が近い奴等と俺は帰ることになった。最初は二人と勝手が違うなと不満を抱いても、人間は環境に順応する。違和感は次第に当たり前になった。それが、つらい。
それから少し経ち、久しぶりに俺の元へとやってきた二人の間には今までにはない空気が流れていた。すっかり俺は除け者で、二人が付き合い出したことを二人の口から告げられる前に……悟った。
「こいつ、返事オッケーした瞬間にぶちゅっとキスしてきたんだよ!?マジありえんくねっ!?
「……河内、そういうこと赤裸々に話すなよ」
「だってさぁ、こんな話できるの堀北だけじゃん」
口調の荒々しさとは裏腹にちっとも怒っていない様子の河内。隣で俺を気遣ってか、気まずそうな真田の苦笑いに俺はどういう顔をすればいいかわからなかった。
その時の俺はといえば、真田の言っていた『言わずに後悔するなら言って後悔したい』という言葉を思い出していた。今になってその言葉の意味が重くのしかかる。
「じゃあ、ここで」
「惚気まじうぜぇ……ま、二人ともお幸せに?」
「うわ、まじうるせー」
河内は俺の隣ではなく、真田の隣にいた。
ここの別れ道で別れるのは真田だけだった。おそらく、これから河内は真田の家に向かうのだろう。二人の楽しげな会話を背に一人で角を曲がった時、涙が溢れた。
(真田も、今までこんな思いをしていたのだろうか?)
それからも俺達は三人で過ごすことはなくなった。俺の心中を悟った真田が気を回したのだろうが、そんな気遣いはいらないと思った。
『こんな話できるの堀北だけ』そう豪語していた河内の思いも虚しく、狭い田舎のコミュニティーでは二人の関係はすぐに明るみになり、最初は嫌悪したり茶化す声が多数を占めていたが、それに臆することなく堂々とした真田の態度に二人が他の男女カップル同様、廊下で手を繋いだりしても誰も、何も言わなくなった。
その終始を見て、河内の隣にいるのが俺でなはなく真田でよかったと安心した。
それは負け惜しみではなく、きっと俺だったら周りの目や声を気にしてばかりで河内を酷く傷つけていただろうからだ。
三年生になり、俺が別のコミニュティーで相応の高校生活を過ごす中、風の噂で河内と真田は都内の大学に進学を決めたらしいと耳にした。誰が決めたというわけでもないが、高校卒業後は地元に残り就職するか、県内の大学か専門学校に進学をする者が多数を占める。驚きと興奮交じりに語るクラスメイトの声を聞きながら「そりゃそうなるよな」と一人納得した。
なぜなら二人の関係はとうとう家族にもばれて、半ば勘当のような形になってしまったらしい。
どうしていいかわからない河内の家族と、母子家庭である真田の母親は怒り狂って「息子を唆すな」と始まりは真田であるのに関わらず、おかしくなってしまった。
俺とその家族は燃え盛る両家族の関係を横目に宙に放り出され、今の俺同様別の家族とコミュニティーを築いた。臆病なのか逞しいのか、はたまたそれが普通なのか……
「堀北、写真撮ろうよ」
卒業式の日、河内の声かけで俺達三人は卒業式の看板を背景に写真を撮った。
その足で久しぶりに三人で帰ることになり、最後に帰ったあの日から一年以上経つというのにあの日の関係が延長されたように穏やかな時間が流れた。河内がボケて、俺がそれに突っ込み、真田は聞き役に徹しながらも口元はいつだって笑っている。やっぱり、俺はこの「ぬるま湯」が好きだ。
そして、俺達が二分割される別れ道が視界に入った瞬間、河内は今まで笑っていた口をへの字に曲げると顔をしわくちゃにして泣き出した。
この後行われる謝恩会には出席せず、このまま二人で都内のアパートに引っ越すのだと嗚咽交じりに河内は語った。泣きじゃくる河内につい手が伸びそうになったが、それよりも早く真田は河内を胸に抱いて頭を撫でた。
行き場の無くなった手をゆっくり下ろして、俺はまだ河内が好きらしい事実に苦笑いした。
真田に肩を抱かれ、角を曲がる二人の背中に向かって「お幸せに」と呟く。小さな声に聞こえなかったかと心配したが、振り返った河内はあの日みたいに「まじうるせー」と笑った。
言えてよかった。だって、二人にはもう二度と会えない気がしたから。
叶うなら、三人で描く三角形のぬるま湯の中で俺はずっと微睡んでいたかった。
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