アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
5
-
「亜海くん電車?」
「いや、自転車」
スニーカーを下駄箱から取り出し手を離すと、スニーカーと床の立てる音がすっかり人気のなくなった廊下に響き渡る。
「紀野は?」
「僕はバスだよ」
紀野がベージュのスニーカーを履いたのを確認し、歩き出す。
紀野は何かが憑依したように目の色を変え、キャンバスに縋り付くように描いていた。
見たいとは言ったものの、まさか2時間ぶっ続けで絵を描くだなんて思っていなかった。
キャンバスしか見えていない紀野をぼんやりと見つめていた俺に、歩晴先輩は「羚描き始めると周りの声聞こえないから。飽きたら勉強でもしてな」と言ってくれた。
それから数分は紀野の描く絵を見ていたが、痺れを切らし、結局殆どの時間、俺は紀野の隣で勉強をして過ごした。
「…お前、いつもぶっ通しで描いてるわけ?」
横を歩く紀野は首を傾げる。
「ん〜まぁそうだよ?
でもそんなに凄いことじゃないよ、だって亜海くんだってずっと勉強してたんでしょ?」
「まぁそうだけど…。でも紀野は…なんつーか、キャンバスしか見えてないって感じ。
なんか、お前だけ異世界にいるみたいだった」
すると分かりやすく声色を変え、「え〜?そうかなぁ?」と嬉しそうに呟く。
紀野の絵はいとも簡単に俺の心を掴んだ。
それを描く紀野の姿は、絵に劣らず俺が目を逸らすことをなかなか許さなかった。
触れてはならない美しさ。
彼にぴったりな言葉だと思った。
紀野は駐輪場の前で足を止める。
どうやら待ってくれるようだ。
小走りで自転車のもとへ向かい、鍵を差し込む。
紫のマウンテンバイクのハンドルを引っ掴み、紀野のもとへ戻る。
再び歩き始めると、暫く二人とも口をつぐんで歩いた。
秋の夜の澄んだ空気を感じる。
学校の門まで来ると、横で紀野が何か言いたげに自身の両の手を絡め始めた。
いつものようにハンドルを左に傾けるが、紀野が着いてきていないことに気づく。
振り返ると、紀野は門の前で立ち止まっていた。
さっきの思惑うような様子とは打って変わり、いつものように口角を吊り上げている。
「亜海くんそっちかぁ。僕こっちだからさ。
じゃあ、またね、今日はありがとう」
そう言って右手を胸の前で振る。
足が動かなかった。
口を開けなかった。
紀野は振り返ったまま動かない俺を見て、不思議そうに首を傾げる。
…俺だって不思議だ。
慣れないことを、余計なことを、自らしようとしている。
「…紀野」
「なぁに?」
「さっき俺に聞いたよな、どうすれば良いと思うって」
「一回、…あいつらと、距離取ってみれば」
歩晴先輩が言った「他人優先」という言葉は、いつもぞんざいな扱いを受けながらも笑顔を浮かべている、紀野の姿を思い起こさせた。
こいつは、誰かが言ってやらないと分からない奴なんだ。
「…ありがとう」
形だけのお礼を言った後、案の定紀野は苦笑いを浮かべ、続ける。
「でも、佳は僕がいないとダメなんだよ?
確かに、このままだとあの2人が面白がって、またあぁいうことになるかもしれないけど…」
「だから、それをやめろって言ってんだよ」
少し語気が強くなってしまったことに、内心動揺する。紀野も少し驚いたように俺の顔を覗く。
「…そんなに"均衡"が大切か?
ちゃんと紀野自身の考えを持てよ。
結局それも他人のためじゃん」
俺が言い終わると、紀野は両手で口元を隠しながら困ったように眉を下げ、口角を吊り上げた。
何が面白いんだと言いかけるが、紀野が楽しそうな笑い声で遮る。
「えへへ笑
……分かった、そうする!
3人と、少しだけ離れてみるね!」
承諾してくれたようだが、そんなに楽しそうに言われると、逆に心配だ。
紀野に上手くやれるのか…?いや、提案した俺がそう思っちゃダメだよな…。
「じゃあ、今度こそ。
亜海くん、じゃあね!ありがとう!」
再びこう言った紀野の顔は、先程のような張り付いた笑顔ではなかった。
「おう。また、明日」
俺達は背を向け合い、いつもの通学路を辿り始めた。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
5 / 22