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「うん、これは私が撮った」
「知ってる。凄く有名な作品だし、確か賞を取ったって」
ぱさぱさに乾いたデイリー・ヴァラエティ紙を手のひらで圧して皺を取り、ジャックはその見開き広告を指さす。他にもアメリカ国内外の主要紙で枠を買い取って、NPO団体が打った大々的なキャンペーン。アイデアとしては単純で、だからこそショッキングなものだった。
左のページでは一糸纏わぬアーニーが、胎児のように身を丸め、緑色をしたカーボン製キャリーケースの中へ収まっている。
同じキャリーケースの中に詰め込まれ、全く変わらぬポーズを作る素裸の子供を写したものが右のページだった。10歳ほどの少年は、恐らくアーニーと同じ色の肌を持っていたのだろう――断言できないのは、溶けたカーボンの絡みつく身体は火傷と一酸化炭素中毒の相乗効果で桃色がかり、四肢の末端に至っては焼け焦げ真っ黒に炭化しているからだ。
南米のどこかで、ペドフィリア専門の売春宿が火事になった際撮影された現場写真のトリミング。観光客はキャリーケースを受け取ってモーテルへ向かい、2時間の悪徳に耽る。
ジャックが息を飲んだのは、余りに残酷な状態の亡骸へ衝撃を受けたのか、それとも父が恥知らずにも世界中へ晒した裸体のせいだろうか。
「何度見ても圧巻だな。アイデアを出したのはあなた?」
「クライアントと一緒にね。こういう団体とやるときは皆で意見を交わすから。どちらかと言えばプランBの感覚で出したんだが、まさかこの案を通すとは思わなかった」
一方のスヴェンと言えば、この写真を目にしたときはいつもそうなのだが、抱えた膝へ額を押しつける姿勢のアーニーから目を離せないでいた。自らは綺麗に湾曲した背中へ撫で触れることを許された。何も見ない虚ろな瞳が光を取り戻すよう、その眦に何度も口づけた。この美しい男を、手に入れることが許されているのだ。誇らしさに膨らむ胸を張り、世界中へそう叫びたい衝動に駆られる。
「この頃の君の父さんって、実は余り黒人に人気が無かったんだ。彼のイメージは、そうだな、いにしえの白人支配層的なマスキュリンさって言えばいいのか」
「テキサス育ちな白人支配層出身の金持ちがパートナーだったしね」
「着せられる服もプレッピー的なものが多くて、本人はそれを脱却したがってたんだと思う。信じられないほど低いギャラで受けたって聞いてるよ」
「でも話題になったんだし、結果としては良かったってことでしょ」
「ああ。そうでなくても、この頃のアーニーはもう、王冠よりも眩く輝いていたし」
が、アメリカの至宝アーノルド・ハンターの素晴らしさと、作品としての出来不出来はまた別問題だ。
「でもね。本当は……これはオフレコ。秘密は守れる?」
「はい、誓います」
首を捻り、ジャックはわくわくと上目遣いを輝かせた。窓から差し込む日溜まりが、両手へ収まってしまいそうな顔の上でちらちら踊る。まるでケロイドのようだ、と思ってから、スヴェンは口の中にオリーブではない渋みが広がったのを感じた。
「この前買った限定のナイキに……冗談だよ、誰にも言わないから教えて」
「本当は、もう少し若いモデルを起用すべきだって、私は提案したんだ。テーマ的にね、30代半ばって言うのはちょっと……でもクライアントは、知名度を優先した」
「その話、父さんは知ってるの」
「恐らく知らないと思う」
「言わない方がいいね」
もぞりと他人の太腿の上で身を捩り、ジャックは呟いた。
「これはオフレコじゃないよ。前に聞いたんだけど、父さんは僕がきっかけで、この仕事を受けたんだって」
爛れた肌に触れると、死んだ子供が痛みの余り泣き叫ぶのではないかと恐れているかのようだ。遺体の輪郭を辿る指の動きは恐る恐るだった。
「この子、あの頃の僕とちょうど同い年位だから。南米や東南アジアじゃ、こんな子供が端金と引き替えに犯されて、ゴミみたいに捨てられてるって聞いて、いてもたってもいられなくなったんだって」
「そうだったのか」
青年の先が丸っこい指は、隣のページへ移動する。彼が撫でた後に見るアーニーの姿は、それまで眺めていた存在とは全く違う物に見えた。大人と子供は紐付けられるものなのだ、本来は。
「そんな崇高な志があったとは」
「父さんは僕に、傷ついて欲しくないって、いつも口を酸っぱくして言うけどさ」
マスメディア・コミュニケーション学の講義はこれで終わり。刺激が過ぎる新聞を畳み、ジャックはその場で仰向けに寝返りを打つ。少し眠たげな瞼がゆっくり落ちることで作られる下目遣いは、アーニーと怖いくらいそっくりだった。性交の合間に一息ついているとき、煙草の代替品として自らの指をけだるげにかじりながら、彼はスヴェンの一挙一動を目で追っていた。
「僕のこと、自分と同じミスター・ガラスだと思ってるんだ。で、この世界は何もかもがコンクリート。ちょっと極端過ぎだと思わない?」
前歯を立てる代わりに、ジャックは自らの口元を手で隠す。若い牡鹿のような、爽やかな生気を滴らせる眦と反比例する、恥ずかしがり屋の仕草は、ひどく頑是無い。揺りかごの中を覗き込むようなつもりで、スヴェンは甘ったるい色の瞳を見下ろした。向けられる微笑みに、ジャックは溢れるくすくす笑いを、唇に触れた手のひらで喉奥へ押し戻そうとする。
「そりゃ、気遣いだとは分かってるんだけど」
「分かってるならそれでいい。彼が君を愛してるってことをね」
月並みな、だが正真正銘の真実を口にすれば、唇が尖った。太腿の上で軽く跳ねるふくらはぎは小枝(ツイッグ)のように細いが、柔軟で反発力の高い筋肉で覆われている。
「街へ出かけたくない?」
「いいよ」
「本当に? ……つまり、車を出すか、もしも今日一日外出したくないなら、あのルノーを貸してくれたら嬉しいってことなんだけど」
「私もちょっと、気晴らしに行ってみようかと思ってたんだ。もう少しサンドイッチを食べて、コーヒーを飲んだらね」
「うん。でも、コーヒーあったかな」
起き上がるタイミングは唐突で、キッチンへと向かう足取りは軽やか。若さ故の芯のない、無軌道な動きは、普段撮影所でファインダー越しに対峙するなら、うんざりさせられるのだろう。気を引き締める必要がない環境というのは、こんなにも人を寛容にするのだ。そして受け入れる素地があると、想像力は無限に羽ばたく。
是非アーニーも来るべきだったのに。また浮かんだ男の顔は、窮屈なトランクケースの中に押し込められる、人形じみたものだった。欠伸一つで無理矢理掻き消すと、スヴェンは立ち上がり、コーヒーの探索へ加わることにした。
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