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『俺』
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男はリンデルを腕に抱えてテントに帰ってきた。
目を覚まさない少年の、時折小さく痙攣する体を清め、自身も洗って。
今夜、あいつに呼ばれていなかった事を幸運に思う。
ベッドに少年をそっと下ろすと、後ろから「お帰りなさい」と声がかかった。
「エレノーラ。遅くなってすまない。心配かけたな」
少女は静かにベッドに近付くと、弟の頬をそっと撫でる。
その刺激に、眠ったままのリンデルがふにゃっと口元を綻ばせた。
「ふふっ、なんだか幸せそうな顔……」
少年の姉は、安心したように笑う。
少女は、もっと殺伐とした空気を纏って帰ってくるだろうと思っていた男を見上げた。
リンデルよりも幾分淡い金色が、驚きを浮かべて見開かれる。
「カースさんも……」
なんだか幸せそうな……とまでは言わなかったが、いつもより棘のないやわらいだ表情に少女が内心驚いてから、ふと、前から疑問に思っていた事を尋ねる気になった。
「カースさんって、どうしてそんな風に呼ばれてるんですか?」
「偽名かって事か?」
「偽名でなければ困ります」
少女にキッパリ言い切られて、男が苦笑する。
「本名よりも、ずっと俺を表してるよ。俺は、存在自体が呪いなんだ」
「そんな事……」
言い淀むエレノーラの頭を男はポンと撫でた。
「お前達が気にする事じゃない。……リンデルには言うなよ」
「分かってますけど……」
少女が不服そうに頬を膨らませるのを見て、男はまた苦笑する。
あの時拾った二人が、まさかこんな風に自分を慕い、共に暮らす日が来るだなんて、男は思ってもいなかった。
憎まれる覚悟はしていたが、感謝される心の準備なんて、できていなかった。
リンデルの寝顔を愛おしそうに眺める男。
その横顔を見て、エレノーラはもう一つ、今なら尋ねても許されそうな気がして、口を開く。
「カースさんの、その眼は、生まれつきなんですか?」
途端、男の表情に影が差す。
「……ああ」
少女は、これ以上を聞くまいか迷う。
「……お前が聞きたいのは、この力だろう? これもまあ……生まれつきみたいなもんだよ」
男は空色の眼を片手で覆い隠すようにして呟く。
「うまく使えるようになったのは、全てが終わった後だったけど……な」
どこか悲しげに男を見つめる少女の頭を、男はもう一度ポンと撫でた。
「ま、これがある限り、お頭は俺を手放さないからな。お前達を守れるなら、悪くない」
そう言って口端だけで苦笑する男の視線は、リンデルの寝顔へ注がれている。
少女は、弟と男の間に何かがあった事を感じ取りはしたが、それを口にするようなことはなかった。
そんな生活が三年ほど続いた。
エレノーラは十五歳に、リンデルは十歳になっていた。
エレノーラは十三歳を迎える頃には、他の女達と一緒にリンデル達とは別のテントで暮らすようになっていた。
他に変わったことと言えば、リンデルが時々自分の事を『俺』と言うようになったことくらいだろうか。
十歳を迎えるほんの少し前
「僕も『俺』って言ってみたいなぁ」
と唐突に言い出したリンデルに、男が「言えばいいじゃねーか」と適当に答える。
「お姉ちゃんがきっと心配するよ。僕のお父さんは自分のこと私って言ってたよ?」
困った顔をして、リンデルが返すと、男はふっと遠い目をして呟いた。
「……まあ、俺の父親もそんなようなもんだったな……」
リンデルは、目を丸くして男の横顔を見た。
今まで家族の事をカースに尋ねた事は何度かあったけど、いつもはぐらかされていた。
それなのに、今ポロリと家族のことを洩らされたのが、リンデルにはなんだかとても嬉しかった。
「えへへ」
「……なんだよ」
少年の照れたような笑いに、男までが照れたような顔になる。
「じゃあ僕も、これからはカースみたいに『俺』って言うよ」
「……好きにしろ」
苦笑を浮かべる男に髪を撫でられて、リンデルは嬉しそうに微笑んでいた。
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