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3.自覚Ⅱ
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「失礼します」
憂炎が部屋の中に入ると、寝台の上で上体を起こし、薄い肩に布をかけた青年がこちらに向かって微笑んでいた。痩せ細った身体に青白い肌。今にも消えてしまいそうな程に儚い印象を持つ彼が、憂炎の兄で第一皇子の憂青である。
その傍らには黒髪を一つに束ねて腰に剣を携えた、憂青の魄である黒麒麟の熇白が、彼を護るように佇んでいた。
「憂炎。無事に帰ってきたんだね」
「ええ。先程戻りました。兄様の方は、お体はいかがですか?」
「今日は少し調子がいいよ。君が帰ってきたって知らせを聞いたから」
憂青は憂炎の隣の雲嵐に視線を移し、嬉しそうに目を細めた。
「君が憂炎の魄になってくれた精霊だね」
「あ……。はい。白澤の雲嵐といいます」
笑顔の憂青に、雲嵐は身体を強ばらせてぎこちなく答えた。
「そっか。雲嵐だね。ごめんね、こんな格好で。見ての通り、あまり身体がよくなくて。皇帝を継ぐ長子なのに、こんなんじゃ……」
そこまで話して、憂青はごほごほと咳き込んでしまう。慌てた熇白が憂青の身体を支えて背中をさすった。咳の治まらない憂青の代わりに、熇白が申し訳なさそうな顔をする。
「久々に人と話したからかもしれない。済まないが憂炎、今日はこれくらいに……」
「待って」
熇白の言葉を制止したのは雲嵐だった。熇白も、それから憂炎も、驚いた顔で彼を見つめる。雲嵐に先程の緊張はなく、真剣な顔で咳の落ち着いてきた憂青の元に近づくと、「どいて」と静かな声で熇白に告げた。
「何を……!」
「こら、雲嵐!」
憂炎は慌てて声を上げ、熇白は怒りを示したが、雲嵐はそれらを無視して憂青の寝台の横に屈みこむ。
「君、この咳は生まれつき?」
「え……? ああ。そうなんだ。でも、子供の頃はもっとひどかったから、それと比べたらましになってはいるのかな」
「ふうん……」
雲嵐は憂青の顔と身体を確かめるようにじっと眺めた。
「ちなみに小さい頃倒れたりしなかった? もしくは毒を飲んだとか」
「毒だと!?」
叫んだのは熇白だった。そして憂青本人も目を大きく見開いている。
確かに聞いた事はあった。憂青は憂炎がまだ生まれて間もない頃に、一度高熱を出して倒れていると。そのことがきっかけでこの離れを作ったのだと父は言っていたが、それは単なる風邪で、それ以上の原因はないものだと思っていた。
「倒れた事はあるけど、毒なんて……」
戸惑う憂青に、雲嵐は告げる。
「人間は、幼い頃だと君みたいに咳で苦しむ人は普通にいる。小さい身体では、呼吸器もまだ十分に発達してないからね。で、君の場合は、おそらくその頃から呼吸器がほとんど発達していない」
「その原因が、毒……?」
憂炎が呟くと、雲嵐はこくりと頷いた。
「どうやって作ったのかは分からない。もしかしたら呪いでも混ぜてあったのかも。死なない程度に、ひどい風邪に思わせる程度に毒を作って、それを飲んだ君は呼吸機能の成長が止まってしまった。おそらく、君を皇帝にさせない為にね」
「まさか……。なら、本来であれば憂青の病気はもう治っているという事か……!? そして俺は……それを見抜けなかったという事か……!!」
熇白は怒りと悲しみの籠もった声を上げ、それが小さな部屋中に響く。
その感情ももっともだ。護るべき者が自分の気付かない間に傷つけられていたと知れば、誰だってそんな風になる。魄なら尚更のことだろう。
「無理もないよ。君は見たところ肉体派でしょ? 医療や呪術の類いは得意でないようだし。それにきっとこれは、僕じゃないと気付かない」
「雲嵐。兄様は、お前ならどうにかできるのか……?」
憂炎が雲嵐に尋ねると、彼は立ち上がってこちらに顔を向ける
「勿論できる。毒によって止められた呼吸器の発達を、僕の薬で再び促すなんて簡単だよ」
だけど、と彼は見定めるようにじっと憂炎の顔を見つめた。
「いいの? このままならこの人は皇帝になれない。そして君は、僕という精霊を手に入れた。前は次期皇帝の候補とも言われてたのに、魄がいないからその話もなくなったんでしょう?」
「それはそうだが……」
熇白と憂青の視線を浴びながら憂炎は戸惑う。
雲嵐の言う通り、このまま憂青が治らなければ憂炎に次期皇帝の座が回ってくる可能性は高いだろう。玉座を手に入れ、この国の頂点に立つ存在になる。
それは確かに蠱惑的な響きだが、しかし憂炎はそれよりも大切なものを知っている。
「俺は皇帝の座に興味はない。それに、兄様の命の方が大事だ」
意思を持ってそう告げる。熇白と憂青が感嘆した声で憂炎の名を呼び、そして雲嵐は満足そうにふわりと笑った。
「そういうと思った、憂炎」
「本当に……本当に、僕の身体を治してくれるの……? 父様や憂炎と一緒に、たくさん話したりできるようになるの……?」
泣き出しそうな憂青を安心させるように、雲嵐は大きく頷いた。
「勿論。君は憂炎のお兄さんだしね。僕に任せて。一月あれば、普通に過ごせるくらいにしてあげる」
「ありがとう……。ありがとう……。雲嵐、憂炎……」
はらはらと涙を流し始める憂青。その身体を支える熇白も、「感謝する」と雲嵐に深く頭を下げた。それに照れてしまったのか、雲嵐は白い頬をほのかに赤く染めながら慌てて憂炎の隣に戻る。
「良いって。じゃあ、早速薬の材料を調達しに行かないとね。……行こう、憂炎」
「あ、おい、ちょっと……」
雲嵐に服の袖を力強く引っ張られ、憂炎は後ろによろめいた。しかし制止しても雲嵐は止まらず、そのまま扉まで引っ張られていく。おそらく照れ隠しではあるのだろうが、それにしても少々強引過ぎではなかろうか。
「ま、また来ます、兄様! 熇白!」
そのままずるずると引っ張られながら、憂炎はベッドに座る兄と熇白に別れを告げて部屋を出た。
「おい、強引すぎだ……。病とはいえ、兄様は第一皇子なんだぞ。いくらなんでも失礼過ぎる」
廊下を歩きながら、憂炎は雲嵐を窘めた。しかし彼はこちらを見ずに「人間の都合なんて関係ない」と言った。
「憂炎のお兄さんだし大丈夫でしょ。それより、挨拶はこれで終わりなんだよね?」
「まあ、そうだが」
「なら、早速薬を作らなきゃ。持ってきた薬を確認して、足りないものは調達に行かないと。だから一旦、君の部屋に置いた荷物を見に行こう」
「ああ。まあ、それでいいが……」
雲嵐は先に立って憂炎の部屋へと歩いて行く。その背中を見ながら、一つの疑問が浮かび上がった。
雲嵐は何故こうも積極的なのだろう。
これまで一緒に過ごしてきて、雲嵐が口では悪態皮肉を言いながらも、怪我や病気を見過ごせない優しい性格である事は分かっていた。
けれど憂青の身体は病気に冒されているとはいえ、一秒を争うような危険な容態ではない。なのにこんなにも急いで薬を作ろうとする理由が彼にあるのだろうか。
「もしかして、憂青の事が気に入ったのか……?」
気に入ったから、早く治してあげたいとか。
そんな事を呟くと、前を歩く雲嵐が再び不機嫌そうな顔でこちらを睨んだ。
「なんだ? また何か気に障る事でも言っただろうか?」
「……べつにー」
言いつつ雲嵐は、なんでわからないのだとでも言いたげに口を尖らせてこちらを見ている。初めの頃は彼の皮肉で苛立つ事が多かったが、最近はこういう態度ばかり取られるので困惑する事の方が増えていた。
「口に出してくれないと分からないんだが……」
するとしばしの沈黙の後、雲嵐はすこしばかり目線を逸らしてぼそりと呟いた。
「……お兄さんが治ったら、憂炎は嬉しいでしょ?」
「ん? それは勿論そうだが?」
「だから……。そういうこと……」
しかしやはり理解不能だ。それを伝えると、雲嵐は勢いよく顔を逸らしてしまった。
「もういい! 憂炎の馬鹿!」
馬鹿といわれても分からないものは分からない。途中まで出かけたその言葉は、更なる争いを呼ばない為に喉の奥へと引っ込めた。
そうこうしている間に憂炎の部屋へと辿りつき、二人は一緒に部屋の中へ入る。
寝台が一つと服を収納する箪笥、端に置かれた剣だけという、第二皇子とは到底思えない程の簡素な部屋は、憂炎が好んでこうさせていた。あまりきらびやかな部屋はどこか落ち着かなくて嫌だった。
雲嵐は部屋に入るなり、隅に置かれた薬箱へと駆け寄った。背負える形になっており、小さいながらもいくつもの引き出しが付いているそれには、雲嵐の家から持ってきた生薬がいくつか入っている。
「うーん。人参と紫蘇が足りないかな」
「それくらいなら、市場で売っていると思うぞ。行くか?」
すると雲嵐は、それを聞いてぱっと顔を輝かせた。
「市場!? 行きたい!」
「そんな喜ぶものか? 昔都にいたのなら似たようなものは……」
そこまで口にして、はたと憂炎は思い出す。雲嵐は鴻帝によって宮廷に閉じ込められていたと言っていた。ならば市場どころか、まともに都の様子を見たことさえないのだろう
「いや、なら早く行くぞ。……といっても、今の服装じゃな」
今着ている服は、帰ってから着替えた宮廷仕様の衣。上質な絹で作られた衣には多くの刺繍が施されており、ゆったりとした構造は楽ではあるが動きにくい。
市場に行くのなら、もうすこし動きやすい外出用の服に着替えた方が良いだろう。自分用は部屋にあるが、雲嵐のものは取ってこなければここにはない。
「お前の外出用の服を貰ってくる。少しここで待っていてくれ」
「はーい。早く帰ってきてね、憂炎」
喜びを隠しきれない様子の雲嵐に微笑みつつ、憂炎は一人部屋の外へと出る。廊下を歩き、誰か使用人はいないかと探していると、正面から、紅焔が一人やってきた。
「おう、炎。さっきぶりだな。一人で何してんだ? 白いのはどうした?」
「市場に行くから外出用の服が欲しくてな。取りに行くだけだから、雲嵐は部屋に置いてきた。紅焔は……いつもの散歩か?」
「まあなー。今は燕青も職務中だし、周りに警護が付いてるからな」
紅焔は燕帝の魄だが、燕帝の側にいる事は少ない。人の心を読む力で、燕帝周辺にいる者の悪意はすべて読み取る事ができるため、信頼できる者とそうでない者を見分けることができるのだという。
故に、信頼できる者が燕帝の側でその身を守護している時は、自分の仕事はないと言いつつ散歩に勤しんでいるのだ。そして燕帝も、それを許している。
「そういえば、あの白いの――雲嵐と言ったか? さっきあいつの心を読んだんだけどよ。あいつ、鴻帝のことを思い浮かべてたんだが、何でなんだろうな? 力のある霊獣だからか、すべては読み切れなかったんだよなぁ」
「それは……」
雲嵐は元々鴻帝の魄で、何故か鴻帝が死んだ後も消滅せずに存在し続けていた。だから彼のことを思い浮かべるのは当たり前だが、ややこしい話になりそうだからと先程燕帝の前では話を伏せていたのだ。
何も言わずにそんな事を考えていると、ふうんと面白そうに鼻を鳴らした。
「そんな事があるんだな。大丈夫だよ、確かに面倒くさくなりそうだし、誰にも言わねぇ」
どうやら力を使ったらしい。紅焔は憂炎の肩を叩き、安心させるように笑みを浮かべる。そして腕を組み「しかし」と言葉を続けた。
「そうだとしても、なんか変なんだよな。あいつの鴻帝に対する感情は、こう……普通魄が人間に対して思う感情じゃない」
「どういうことだ?」
「あー、あいつは鴻帝に対して、彼の最も大切な人にして欲しいと思っていたみたいなんだよな」
紅焔の言葉に更に憂炎は首を傾げる。大切な人も何も、魄は既に仕える人間にとっての唯一ではないか。するとその思考を読んだのか、紅焔が呆れたようにため息をつく。
「お前、ほんとこういう話には鈍いよな」
「……どういう話か早く言え」
「つまりな、まあ、簡単にいえば、恋愛的な意味で大切に思ってたってことだ」
「は? 恋愛? 雲嵐が、鴻帝に?」
頓狂な声が出た。予想外の言葉に、思考がぐるぐると回り始める。
「まあ、はっきり恋愛と分かったわけじゃねぇが、似たような感情を持ってたことは確かだぜ。そして……あれだけ綺麗な姿をしているんだ。鴻帝の方もそれなりに思うところはあったんじゃねぇか?」
「……」
紅焔の言葉に憂炎の胸の奥がざわりとざわめく。まるでさざ波が押し寄せるかのように、焦燥とも恐怖ともつかない奇妙な感覚が憂炎の中を浸食していく。
そういえば、鴻帝は雲嵐を表に出さずに隠していたと言っていた。そして他の精霊を多く陛下に置いて行動したと。
もしかすると、それは鴻帝が雲嵐に対する感情によって引き起こされた行動なのかもしれない。つまりは、それほどまでに鴻帝は雲嵐を大切にしていたという事だ。
「雲嵐は、お前を鴻帝と重ねて見ているみたいだし、顔でも似ているのかね。……って言ったらなんか修羅場みたいだな。怖ぇー」
「……」
「そんな睨むなって。ま、お前も頑張れば良いんじゃねーか? じゃ、俺は行くぜー」
紅焔はひらひらと手を振りながら、その場を後にする。
その姿が廊下の端に消えるまで、憂炎はじっと彼を見つめていた。胸の中には、もやもやとしたものがいまだに纏わり付いて離れない。
「雲嵐が、鴻帝に……」
口にすれば、ちくりととげが心臓当たりを突き刺してくる。
「最近の一体これは、何なのだろう……。これも唯一の存在がいる故の感情なのか……?」
短気故、自分の怒りには敏感だ。悲しみや喜びも、怒りほどではないが正確に分かる。
しかし今、胸の中に存在する感情は、どう言葉にして良いのか分からない。
そうして初めて、憂炎は自分の感情に疎い事を知ったのだ。
お前も頑張れば良い。
「頑張れと言われても、この感情が分からなければどうにもできないだろう……」
憂炎は口をへの字に曲げながら、再び使用人を探して歩み始めた。
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