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3.自覚Ⅲ
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「憂炎の、ばか。ばか」
憂炎が服を探しに部屋を出て行った後のこと。残った雲嵐は薬箱の引き出しを開いたり閉じたりさせながら、馬鹿とひたすら言い続けていた。
「なんなの? あれだけ言っても気付かないなんて鈍すぎでしょ? ほんと馬鹿なの? ほんとに全然、鴻とは違う……」
鴻帝は、雲嵐の行動の意味をすべて分かってくれていた。さりげない気遣いも、喜ぶ表情が見たくて手伝った事も、すべて理解した上で感謝の言葉をくれていた。
なのに憂炎には、自分の行動の理由を口に出しても一寸たりとも伝わらない。
「同じ魂を持ってるだけで、全く違う人間なんだな……」
雲嵐はぱたりと引き出しを閉じて、長いため息をつく。
憂炎は、鴻帝と同じ魂を持つ生まれ変わり。それは、彼と初めて会った時に気付いた事だった。
あの森の結界を越えて入って来れるのは、野生動物と雲嵐自身が許した者――すなわち自分自身と既にこの世にいない鴻帝だけだったのに、憂炎は難なくあの場所に入ってきたのだ。その上その身体の奥に彼と同じ魂の光が輝いていたものだから、思わず鴻帝の名前を呼んでしまった。
「そう。鴻とは違うんだ、憂炎は……」
契約を結んだ時の事を思い出し、雲嵐は口元に笑みを浮かべる。憂炎の、雲嵐を唯一にしたいというあの言葉。あれがこの上なく、雲嵐には嬉しかったのだ。
鴻帝も、確かに自分を大切にしてくれた。自分を隠していたことも、眷属を増やしていった事も、すべて周りから雲嵐を護る為だと言ってくれた。
その気遣いが嬉しかったけれど、その一方で次第に雲嵐は鴻帝にとっての唯一は自分ではないのかもしれないと思うようになっていった。宮廷の奥の奥の部屋に入れられて、一日に一度、夕刻に鴻帝が会いに来てくれる以外、たった一人で過ごしているなかで不安な思いは募っていった。
自分は鴻帝の魄であり、自分にとっての唯一は彼。でもきっと、彼にとっての唯一は自分じゃない。鴻帝と一緒にいた頃も、そして彼が死んでからもそんなむなしい思いを抱え続けていた。
そんな中で憂炎の思いを聞いたのだ。
「あいつと一緒になってから、楽しいんだよね。全部。それにあいつ、ちゃんと僕を唯一にしてくれようとしてるし……」
左の掌を上にかざし、薬指についた指輪を眺める。細かい文様が施されたそれは温かな熱を持ち、憂炎の霊力が身体の中に絶えず流れ込んでいた。
「精霊との契約の術、か……。これで魄にしたつもりなんだよね、あいつ。ほんと、欲がないんだかなんなんだか」
憂炎はおそらく知らないのだろう。この術は精霊が拒否しようと思えばすぐに解ける。
解呪の痛みに耐えながら、強大な力を以て、自分の身体から呪具を引き剥がせば良いだけで、鴻帝の配下となった精霊たちも、彼の晩年にはそうやって多くの者が絆を切って逃げ出した。
元々人間は強大な霊力を以ておらず、憂炎もその例外ではない。雲嵐が望めば、指輪をとって契約を解除する事など簡単だ。
「こんなのより、魄を作りたいならもっと良い方法があるのに。憂炎と、僕にしかできない、もっと良い方法が……」
けれどまだ、それを憂炎に教える時ではない。彼と出会って、まだ一月と半程度しか経っていないのだ。憂炎の事はそれなりに分かってきたとはいえ、まだまだ知らない事の方が多い。
「もう少し、見定めよう。それでもし、憂炎の言葉が嘘じゃないって分かったら……」
雲嵐がそう呟いたとき、部屋の扉が叩かれた。
「誰だろ? 憂炎……は自分の部屋ならすぐ入ってくるだろうし……」
首を傾げつつ、ゆっくりと扉を開く。そこには、痩身で背の高い中年の男性と、頭に狐耳を生やした青年が、二人並んで立っていた。
なめ回すような視線に、口に浮かべた薄ら笑い。どこか嫌な感じがすると、直感的に雲嵐は二人を見てそう思った。
「憂炎様はいらっしゃいますか? 戻られたと聞いたので、ご挨拶にと思ったのですが……」
「憂炎は今少し出てますけど。あなた方はだれですか?」
警戒しつつ、雲嵐は言葉を発した中年の男を睨む。睨まれた男は「きひひ」と引きつるような笑い声を上げ、雲嵐をなだめるように言った。
「そんなに睨まないでくださいよ。私は宰相を務めております張緑永(ちょう・りょくえい)と申します。こっちは、私の魄の狐月(こげつ)。あなたは、憂炎様が連れて帰ってきたという精霊ですね?」
「……そうだけど」
「風の噂では聞きましたが、本当に美しい。白磁の肌につややかな髪。芸術品と言っても過言ではないでしょう。憂炎様も運が良いですね。魄がいなかった故にこのような精霊とかりそめの契約を結べたのですから」
「……」
にやり、と笑う緑永。その表情、その話し方で確信した。この男は魄のいない憂炎を馬鹿にしていたという相手だ。
雲嵐はさらに冷たい視線を目の前の彼に投げかける。しかし緑永には、全く効果のない様子だった。
「しかし、所詮はかりそめの関係。それで憂炎様が皇帝の座につけるかどうかは怪しいですな。……きひひ。憂青様もあの調子でしょう? 鴻家の覇権も当代で終わりですな」
「……別に憂炎は皇帝になる事を望んでない。それに、憂青は僕が治してみせる」
すると、緑永の眉がぴくりと動いた。
「ほう? あなたが憂青様を? どんな医者も治せなかったあの病気を、あなたが治して見せると? そう言いつつ、治療に見せかけて憂青様を殺害し、憂炎様に玉座に座らせようとしているのでは?」
「僕はそんな事しない! そんなことしても、憂炎は絶対に喜ばない。それを望んでるのはお前じゃないの!? そんなに焦った顔しちゃってさ!」
「何を……!」
緑永が雲嵐に向かって拳を振り上げかけたその時だった。
「おい、緑永。俺の部屋の前で何をしている」
「ゆ、憂炎様……!」
緑永と狐月の後ろに、戻って来た憂炎が立っていた。その手には、雲嵐の外出用の着物を携えている。
「どうせ用があるのは俺になんだろう? 雲嵐に絡むな」
憂炎は二人の間に割り込んで、かばうように雲嵐の前に立った。
「いや、絡んでなんていませんよ。憂炎様もこの方も、宮廷ではわきまえねばならないと教えていただけですよ」
「安心しろ。俺は目立つつもりなど毛頭ない。玉座は兄様に継いでもらい、俺は今まで通り父様と兄様を助けながら過ごすだけだ。分かったらさっさといけ」
憂炎の冷たい声に、緑永はぎりりと歯を食いしばる。そして舌打ちをしながら踵を返し、憂炎の部屋を後にした。
「……大丈夫だったか、雲嵐? 緑永は宮廷の中でも皇帝反対派の筆頭だからな……。すまない。宮廷の中では俺がお前を護らなければならないのに……」
「それじゃ立場が逆じゃない? 僕が君を護るんでしょ? それより、早くその服貸してよ。着替えなきゃ市場に行けない」
早く寄越せと言うように手招きをする雲嵐。緑永の事など既に頭にないような素振りに、憂炎はほっと息をつく。
「そうだな。早く着替えて行くか」
「うん! 僕、君が帰ってくるのをちゃんと待ってたんだからね? しっかり案内してよ?」
「ああ、わかった」
数百年は生きている獣の筈なのに、そのはしゃぎようはまるで子供だ。それを微笑ましく思いつつ、憂炎は彼と共に部屋の中へと入っていった。
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