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16話 やっかいで可愛げのある男
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16話 やっかいで可愛げのある男
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「”噂”さすがに知ってるでしょう」
含みのある言葉尻と射抜くように強い視線。空気の読める人。場の雰囲気をつくるのが上手い人。
すなわち”自分の意志で、その部屋に流れるものを操縦できる人”。
どこにでもいる明るい青年は、悠一が思っていた以上にかしこい男だったようだ。
要についての噂は、すでに収拾がつかないほどに大学内を駆け巡っている。どれも根も葉もない、信憑性のない、実にくだらないものばかり。だがその中でただ一つ、毛色の異なる話があった。それは”親切な人”によって"代表"にも例外なく届けられた。
”相沢要は男と寝ている”
人から人へ、尾ひれがついて、尻尾がついて、話題に上る。それが噂話と呼ばれるものだ。けれど”それ”はその中でも特に下世話で、話の途中、何度耳をふさぎたくなったか。
中にはベッドを共にしたという男が、自らその顛末を触れ回っていることもあった。
下品で、下劣で、不愉快極まりない、最も有名なうわさ。悠一は真実なぞどうでもよかった。そんなものは個々人の自由であり、無関係の者にとやかく言われる筋合いは全くもってないと思うし、たとえそれが事実であろうと悠一は同性愛に偏見を持つ人種ではないから、まあ多少驚きはするものの、さして気にならない。
不快に感じたのは、それを面白おかしく触れ回る者たち。嘘かまことか分からぬものを鵜呑みにして、陰でこそこそ笑う者たち。欲望に濡れてぎらついた瞳で、よからぬ妄想を吐露する者たち。
どれも人間味に富んだありきたりで、恐ろしい実話だった。目の当たりにしたかつて友人”だった”者たちの顔を無意識に思い出してしまい、表情が歪む。
が、智紀の質問に答えることが先決だ、とかぶりを振って彼らを追い出し、努めて冷静に言う。
「ああ」
「そうですか」
頷いた悠一の目に要に対する侮蔑の色がないことを感じとったのか、智紀は安心したようにふっと雰囲気をゆるめた。固まってしまった空気を溶かすように、後輩の呼吸が響く。その漏れ出すような息遣いは、智紀の緊張と不安をそのまま表したような、か細くも圧のかかったものだった。
上がっていた肩が元の位置に落ち着いたところで、今度はこちらの番だ。分かり切っていることだが、訊かせてもらう。
「お前は」
「別に。良いやつなんで。それでいいんです」
「そうか」
芯のある答えに、それ以上言う必要はないと思った。
噂については全て知っている。でも、話してみて悪い人間ではないと思った。だから、否定も肯定もする気はない。彼はそう話してくれた。
その口ぶりには要への愛情と親しみ、そしてたとえ年はひとつしか変わらなくとも、先輩としての確かな威厳で溢れている。
「俺も聞いたことはある。もしかしたらという想像で、噂話に尾を付ける奴もな」
「…先輩は、きっと違うっておもった。でも、口では"気の毒に"みたいなこと言っても、腹んなかでバカにしてるやつは多くて」
言葉を切り唇を噛む。
「俺と仲が良いって、誰も知らないんです。…だからこそ、フラットな状態で耳に入る」
彼も悠一と同じように話好きの友人から「後輩にさ」と軽い口調で、なまりよりも重たいものをぶつけられ、随分と痛い思いをしたのだろう。それは、要と知り合ってまだ日の浅い悠一とは比べ物にならないほど、やりきれない思いだったろう。
その話に根拠はあるのか、と相手の胸ぐらをつかみ。そうだとしても、お前に非難される謂れはないだろう、と強く責め立てたかったに違いない。
それを行動に移さないのは、己の体制のためなどではなく、事を荒立てた際に誰が傷つくのかをきちんと把握できているからだ。噂話をする人は普通なのかもしれない。けれど、それは決して”常識”にはならない。だから、同時に”しない”人も普通なのだ。
「隠しているのか」
「だからこその、この部屋なんですよ。おれは、ほんとは、いらないんだけど。あいつは、…あいつらは外で話してるところ見られたくないって言うから」
あいつらという言い回しに、もう一人小柄な青年が思い浮かぶ。ほがらかな笑みが印象的だった。一見した限りでは、他人に見られて困る要素などなく思える。
(いや相沢もそうか。見目が良いから好かれそうに見えて、敵は多い)
反対に、智紀は本当に空き部屋に引っ込む理由はないらしい。
「それは敵を作るからか?」
「はい。自分と話してると噂される。巻き込みたくないって。そんなの気にしない…っていうのも無理な話ですから」
「そうだな」
後輩たちが大事なのと、やっかみを受けても平気なのは別問題だ。智紀には智紀の世界があり、そこを壊してまで、要たちはそばに居ようと思わないんだろう。
理解を示すと、彼はふいに瞳をゆらす。どうしたんだと尋ねるより先、彼は早口で言う。
「もし先輩が…立場のある人まで、相沢たちを傷つけたらどうしようと思って、つい、試すようなことを。すみませんでした」
低く頭を下げる後輩に、首を振る。
「おまえが、誰かを守るために行動したのはよく分かった。謝罪し、理由も聞かされた。もういい」
「正直、なんだこいつらって思われても仕方ないと思った。でも、許してもらえて、本当にありがたいです」
悠一は、曲りの無い後輩の姿をとても誇らしく思った。聡い彼はそれを察したようで、先ほどの大人びた表情から一転、年相応のいつもより少しだけ幼い顔で笑った。
年下として扱われることに慣れていないのか、単に照れ隠しのためか、智紀は服についているジッパーをしきりに触りながら矢継ぎ早に言う。
「まーでも危なっかしいのは事実なんですよね。顔が良いのも含めて。だから、噂される対象になるのも分かるっちゃ分かるんですよ」
「可愛がっているんだな」
「はは、そーですね。あんなんでも後輩なんで。あ、この話はヒミツですよ?」
「分かっている」
暗い話をした自覚があったのか、最後に少しだけおどけた彼に、悠一は生真面目に頷いた。智紀に教わったことは、知りたかったものより遥かに大きかった。それと同時に、智紀自身の人となりも垣間見ることができて、何だかすごく得をした気持ちになる。
「でも、何故俺に?」
彼の語り口は穏やかで、つらつらとなめらかに紡がれた。それは思いの丈をそのまま言葉にしているのが自然と伝わってくる話し方だったが、こんな重大な話を人に話慣れているとは、到底思えない。
この後輩に対して遠慮をする必要はないと悟った悠一は率直に問う。彼は少しだけ言い辛そうに目を伏せた。
「…先輩なら相沢の事、理解してくれるかなと思って。すみません、過保護で」
「いや、気になっていたからむしろ助かった」
「え?あー、そうなんすか」
不思議そうにしながらも「どうしてですか」とは訊いてこない彼を、彼らしいなと思った。
部屋に立てかけられたデジタルな時計を見れば、午後12時過ぎを示していた。随分と長話をしてしまったようだ。そろそろ次の講義が始まってしまう。悠一は置いておいた荷物を手に取り、智紀に礼と別れを告げようとする。
しかし、その前に智紀は意外に整っている顔をいたずらっぽいものに変え、悠一を見た。
「俺、一回センパイと話してみたかったんですよね。なんか初めて会ったときに”あー、良い人そうだな”って思って」
勘が当たったと嬉しそうに言う智紀に「そうか」と返す。この男は、褒め言葉もまっすぐなのか。
感心しつつ、レポートと資料がぎっしり詰め込まれたカバンと共に腰を上げると、智紀もそれに習った。ラフなジャージスタイルの彼は、悠一よりも軽快な所作で立ち上がり、真上まであげられたジッパーにより出来た襟に指を引っかけて、笑った。
「で、仲良くなりたいので、とりあえずライン教えてもらえませんか?」
「…構わない」
どうやら、智紀は頭が良い上にちゃっかりしているらしい。
この人は甘やかしてくれそうだ。目の奥からありありとのぞく思いに、悠一は苦笑しながら携帯を取り出した。
ついさっきまで神妙な──大人顔負けの大人っぽさをのぞかせていたはずの青年は、もう少年のように屈託が無い。キラキラと光る尊敬のまなざしで、画面表示された悠一のアイコンを見つめている。
「やったー」
そのあまりにも無邪気な仕草に、悠一はまるで物凄く立場が上になったかのような気がした。まあ、多少の上下関係はあるのかもしれないけれど、あくまで先輩後輩なのだから、実際にはほとんど変わらないというのに。
面倒を見てやらねばならぬ後輩ができてしまった。
しまったな、と思う反面頼られることに言うほど悪く思わない自分がいることに、悠一は気付かぬフリをして「じゃあな」とそのふわふわと跳ねている茶髪の頭にぽんと手を置き、休憩室を後にした。
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