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人影は一端身を引くと、今度は身体を低めて紅貴の顔を覗き込むようにする。…表情を確認したかと思えば、人影は小さく呟く。
『おやすみなさい、紅貴。』
人影は部屋を去っていく。足早にそつなく廊下に出ると、くるりと振り返って両開きの木製扉を閉める。扉が閉まる寸前、人影の唇が小さく動いた。…人影の台詞が今度はしっかりと紅貴の耳にも届いた。
「 、 。」
…呟いて、紅貴の部屋の扉を閉めると燕尾服の人物・漆はすっと踵を返し、薄暗い廊下を歩みだす。
執事は真っ白な手袋をした左右の手を大きく振り、メトロノームのように規則的な足音を立てる。肩で風を切るように早足に進んでいく。一体幾つの輝かしいシャンデリアの下を歩いていっただろうか。時折、他の使用人達とすれ違っては、一人一人、丁寧に頭を垂れては、優雅な動きで会釈してみせた。
漆は歩みを止めない。金型で絞り出されたホイップクリームの如き白い手摺に、片手をするすると滑らせていく。湖面の如く、どこまでも広がる上等な絨毯を踏みしめ…。毎日磨かれる革靴は、すっかり慣れた様子でぱたぱたと階段を下っていった。それから、延々と続く、果てしない廊下をハイペースを一切乱さないまま、通り抜けていく。
…明るい空調の効いた屋敷の廊下から、裏口へと出て、蒸し暑い外の世界に向けて新たな一歩を踏み出す。
裏口から十メートル奥。粗末な小屋の前に、執事は立つ。小屋に一つしかない窓は、真っ暗なままだった。
木製の引き戸は数年経過して、ますます立てつけの悪さがパワーアップした。ガタピシいう引き戸を開けると、中からもわぁっと倉庫独特な匂いが漂いだしてきて、漆の鼻先を掠めた。
真っ暗な小屋の入り口に立って、漆は緩々と目を眇める。…背にした月だけが、漆の姿を見下ろしていた。
『こんな人生、僕はいらなかったのに。』
冷や水を浴びせられたかの如く、天蓋ベッドで眠っていた紅貴の目がカッと開く。勢いよく布団を跳ね除け、上半身を持ち上げて…肩で荒い息を繰り返しながら、紅貴は頭に手をやる。自身の髪を鷲掴みにして、呼吸を落ち着けようと試みる。
今の夢は何だ、と動揺しながらも紅貴は真剣に考える。今までオレは何度あの夢を見てきた??そして、何度忘れてきた??源漆のSOSを。毎晩の如く、現実で呟いてきた呪詛を。悪夢だなんて嘯いて、自分を誤魔化して。
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