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足りない勇気
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「……黒子、っち。」
不意に名前を呼ばれ、体が無意識にビクリと揺れます。聞き慣れたはずのこの声が、ひどく懐かしく感じました。
「…はい……」
少し震えた、いつもより更に小さい声が僕の口から出てきました。恥ずかしいのと恐いので、思わず下を向いて手を握りました。
次にどのような言葉が来るのかが恐くて仕方ありません。頭から血がどんどんと落ち、立っているのすら辛く感じます。指先が酷く冷たいです。逃げようと思っても、足が縫いつけられたように地面から動きません。
「………」
「………」
なんと言われるのでしょうか。「最低っスね」?「失望したっス」?それとも、「愛してたなんて恥ずかしいっス」でしょうか。
頭の中で考え得る限りの罵倒を想像し、出来るだけショックを受けないように構えました。しかし、実際言われたらそんなこと関係ないと言うことくらい、本当はわかっています。
「…元気……だった、っスか?」
「…ぇ……?」
黄瀬君の口から紡がれた、予想外の言葉。僕を罵る言葉ではなく、僕を気遣う言葉。恐る恐る見た黄瀬君の顔は、僕が見てきた黄瀬君でした。
「黒子っち、顔色悪いっスよ…?」
「…大丈夫です。黄瀬君こそ、顔色悪いじゃないですか……。どこか、…体調が悪かったり……」
「……大丈夫っス。」
ホッとしたように小さく微笑む黄瀬君。黄瀬君は、変わってないでしょうか。でも、とりあえず大丈夫そうでよかったです。
この様子だと、きっと黄瀬君は僕に聞きたいことが沢山あるのでしょう。それを差し置いて僕の心配をしてくれたことが、とても嬉しいです。
──もしかして黄瀬君は……
まだ僕のことを信じてくれているのでしょうか?信じてはいませんが、疑問を抱いているのでしょうか?
嗚呼、とても聞きたいです。
それでも、
僕には、
それを行動に移す勇気がありませんでした。
「……そろそろ、失礼、します…。」
「あ、…黒子、っち……」
少し急ぎ足で黄瀬君の横を通り過ぎ、そのままトイレへと向かいました。個室に入った途端、足からするすると力が抜けていきました。
「黄瀬君は……」
変わってませんでした。今までと変わらない、優しいままでした。
変わってしまったのは、
信じられなくなってしまったのは、
──紛れもない、この僕。
「……っなんで、さっき……」
聞かなかったのでしょうか。答えなど分かりきっているのに。彼が、僕を裏切るわけがないのに。
頭の中で廻り続ける、惟葉さんのところに行ってしまった情景が、僕を惑わせ、苦しめます。どれだけ信じようとしても、頭に浮かぶあの景色が。
──もう味わいたくない。苦しみたくない。傷つきたくない。
──だから、聞きたくない。
繰り返されるその思いは、
今までにはなかった感情で。
それらは十分なくらいに、
僕を惑わせ、苦しめた。
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