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その日は朝から良く晴れていて、季節を少し先取りしたような暖かさだった。
桜のつぼみのふくらみも急に大きくなったようだと、天気予報士が告げている。
しかし、日が暮れると、さすがに3月らしい気温に下がった。
どこからか夕食の支度をする匂いがかすかに流れてきて、コンクリートの塊の中にも人の気配が感じられる。
そんなことを思いながら、潮海雅(しおみただし)は目の前の玄関チャイムを再び押すかどうか迷っていた。
まだコートの必要な時期の、しかも夜だというのに彼が薄着でドアが開くかどうか見守っているのは、用事が短時間で終わると見込んでいたからだ。
しかし、その当ては外れたらしい。
チャイムを押してしばらく待ったが物音ひとつしない。
留守なのだろうと諦めて、雅は自宅に戻ることにした。
そのタイミングで鍵の開く音がしてドアが少しだけ開いた。
チェーンロックがかけたままなのは、それが防犯対策として当然に行われている地域だからだ。
雅は、上京して初めてそれを見た時に驚いたものだったが、今となっては珍しくもない。
自分も当たり前にしていること。
生まれ育った家を出て3年以上が過ぎている。
上京したての頃は使いもしなかったドアスコープも卒業までには使うのが当たり前になっていた。
年月と共にエントランスのオートロックも、テレビモニター付きインターフォンも見慣れてしまった。
「こんばんは。隣に引っ越してきた潮海といいます」
ドアの隙間から見える男はやつれた顔で、疲れた目をしている。
雅は病気で寝ているところを起こしてしまったかと心配した。
さっさと用事を済ませて相手には休んでもらおうと、雅は出身県の有名菓子を渡すと
「これ、ご挨拶です。お休みのところすみませんでした」
と一礼してすぐに踵を返した。
集合住宅だから隣といっても数歩の距離だ。
実家のように離れてはいない。
だから雅は薄着で訪問したわけだが、思いのほか時間がかかった。
彼は冷えた手をドアノブにかけ自宅の玄関ドアを開けた。
ふと横を見ると、隣人が雅の渡した箱を持ったまま、先ほどと同じ姿勢で立っている。
どうしたのかと見ているとドアがゆっくりと閉まり始めた。
その男の顔は見えなくなるまで全く変化がなかった。
相当具合が悪い時に挨拶に行ってしまったかと後悔し、雅は次に会えたら謝ろうと考えながら冷えた体を暖房のきいた室内へ戻した。
つけっぱなしにしていたラジオからローカル局のジングルが流れて時刻を知らせる。
フローリングの床にはまだ開けていない段ボール箱がいくつかあり、そこかしこに開けたままのものも点在している。
引っ越し業者に頼んだのは格安プランで、家具の配置や組み立て、荷物の搬入はやってもらえたが、箱の中身の整理は自分でやらなければならない。
日付が変わる前には片を付けたいと思いつつ、雅は不透明な先行きにため息をついた。
雅は都内の専門学校を卒業し、就職に合わせてここへ引っ越してきた。
都心から約1時間電車に乗り、駅からは徒歩12分。
典型的な地方都市だ。
雅は初めて住む街をスマホの地図アプリで見てみた。
海も近いし、山も割と近い。
初出勤の日まではまだ日がある。
明日には周辺の散策をして、銀行や買い物に必要な場所を確認したら、海まで行ってみようか。
雅は段ボール箱のテープをはがした。
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