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第十話 *
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純の家に気分良く酒酔い状態のまま着いたとき、純は地下の自室でアルコール度数の高い缶チューハイを飲んでいた。驚いた結斗が入り口に突っ立ったままでいると、ソファーから、ひらひらと手を振られた。
(どういうことですかね?)
結斗は、純が一人で、しかも自室で酒を飲んでいるところを初めてみた。
床の上には、無造作にコンビニの袋が置いていたが、近くにはポテチもスルメもない、酒オンリーだった。
「おかえり、結斗やっぱり酔ってるし、ちゃんと水飲みなよ」
「いやいや酔ってるのお前じゃん、純こそ水飲めよ」
「そんなに酔ってないよ」
純は、いつになく上機嫌で笑っていた。さっき送られてきた猫のスタンプは、酒のせいだったのかもしれない。
「純、別に飲むのは良いけど、なんか食いながら飲めって悪酔いするだろ。なんか作ろうか? 腹減ってる?」
言いながら、結斗が水を取りに行こうとすると、純は結斗を呼び、おいでおいでと手招きする。仕方なく言われるままそばまで行くと唐突に手を握られた。
「なんだよ」
「酔った」
「はぁ?」
「だから、そばにいてよ結斗」
ぽんぽんとソファーの横を叩き、隣に座るように言われる。
(……マジに、どうしたの?)
らしくない純の不可解な行動に戸惑っていた。普段酔わない純をみて心配になる。
由美子さんに純のことをよろしくと頼まれていたし、自分がそばにいたのに、純に何かあってはいけないという思考が一気に酔いをさました。それに、普段から純には面倒をかけてばっかりだったので、立場が逆になって甘えられるとちょっと嬉しい。いや、すごく嬉しい。件の動画配信の件で、純が急に遠くに行ってしまった気がして不安だったのに、こんなことで簡単に落ち着いてしまう。
子供の頃から思考回路も、やっていることも同じ。純が近くにいれば無条件に大丈夫な気がしてしまう。
隣に座ると、純は結斗の手をぎゅうぎゅう握ってきた。その手がいつもより熱い。
ピアニストの大きな手。しなやかに長い指には、適度に筋肉が付いていて、ピアノを弾く時の繊細な印象と違い、しっかりとしていて硬い。
「純、酒好きだっけ、いつもそんな飲まないじゃん」
「話、酔ってるってことにした方が、結斗はいいかなって思ったから」
「何が?」
「昼間、話あるって言っただろ? 結斗、こっちきて」
猫じゃないんだけどと思いながらも、間を詰めて純の近くに寄った。
「俺はさ、この先もこのままでいいと思ってたけど、まぁ黙ってても、遅かれ早かれ、いつかは分かることだし」
結斗は、直感的に純の話をこれ以上聞きたくないと思った。
結局のところ、何も言わなくたって、自分も純もお互いのことを分かっている。一緒にいたいとかいたくないとか、子供みたいな話を今さら素面でなんて出来ない。二十歳を過ぎた大人だから。子供じゃないから。
だからといって、今すぐにしなくてもいいと思った。
(一人で遠くに行かないで欲しい)
もう少しだけ待って欲しかった。今が幸せだから。
「……このままって」
至近距離で視線が交差する。純は自分で酔っていると言っていたけれど、本当は酔ってない気がした。さよならと言われる時は、もっと悲しい顔をしないといけないのに、純はなぜか笑っていた。
その純の顔には覚えがあった。純がピアノを辞めることを決めた日。
結斗が、辞めればいいって言った日。
泣いて、ぐずって、甘えた。
甘やかされた。
困った顔。ばつが悪い顔。結斗が不安になるとする顔だった。
「俺は、ちゃんと覚悟決めたから。結斗も考えて、この先どうしたいか」
「どうって、だって、純が一人で遠くに行くって話だろ。俺はこのままでいい、このままがいい」
多分、酔っている。小さな子供みたいに拗ねていた。口からこぼれ出る幼稚な言葉が恥ずかしい。自分がいない世界でも、楽しくやっている純を知った。寂しかった。
じゃあ、自分はこの先どうしたいのか、どうなりたいのか。
そこに純がいないと不安になる。
「それが結斗の答え?」
純は、困ったな、伝わらないと言って小さく息を吐いた。
いつまでも、今のままではいられない。子供の時は許されても、いつかは、それぞれの道で生きていく。
純は、ピアノで。
自分は? 考えて、何もなかった。
分かっていたこと。純は、優秀でなんでも持っていて、何もない自分とは、最初から生きている世界が違う。けれど、小さい頃は、それでも、ちゃんと噛み合っていた。けど今は、それが仕方ない事だと頭では、理解してしても純と同じになれないことが寂しい。
「俺だけ、一人になるんだろ」
結斗は、純の目を見てそういった。怖かった。一人にしないでと言いたかった。
どうすれば、このままでいられるのか知りたかった。
「また、そんな顔する。それに、どうして俺がどっか行くって話になるの?」
「なんで、分からないんだよ」
純は、結斗の頬をぺちぺちと叩く。
「またそれ……王様か。分かってないのは、結斗だよ。頭を撫でて、手を握って、抱きしめて、ここにキスした。幼馴染のお前に俺ができること、もうあんまり残ってないけど、どうするの?」
「……っ」
「そういう、話です」
純は、結斗の頬に手を添えて唇を重ねた。
一瞬だけ唇に感じた熱は、すぐに離れていく。中学生のとき、結斗を泣き止ませるためといって、同じことをされた。
びっくりしたら泣き止むから。
実際その通りだった。驚いた結斗の涙は、あの時はぴたりと止まった。
昔されたキスは、頬だった。
今度は唇。純が言った通り、もう残っていなかった。これ以上に、もっと近くにいる方法が。
「どう、これで寂しくなくなった?」
唇へのキスなんて、なんでもないことのように、純は結斗の猫っ毛をくしゃりとかき混ぜた。結斗を安心させるように。
「心配しなくても、俺は遠くに行ったりしないよ」
「……純」
「まぁ、結斗は、まだ俺とこのままがいいらしいし、だから、この話はこれでおしまい。水持ってくるよ」
純はそういってソファーを立ち上がった。
このままだと、また遠くなると思った。結斗は純の手を握って引き止めていた。
不安になったり、寂しくなったり、年を経るごとに近くなる距離。離れそうになると、近づいて、純は結斗に安心をくれた。
今回も、昔と同じように結斗のよく分からない不安を和らげようとしてくれた。
けれど、行き着くところまで、行き着いた先には、もう安心なんてなかった。近くなれば、近くなるほど、今度はその先を考えて不安になる。抱きしめて、手を握って、額に、頬に口付けて、最後に唇を重ねたとき、結斗のなかの何かが壊れてしまった。
「……行かないで」
純の目をまっすぐに見て、今度は、結斗が純をその場に引き止めていた。
「結斗、何、吐きそう? ごめん。酔ってたのに」
「嫌だ……嫌だよ」
また子供の時と同じことを言っていた。このままだと嫌だった。昔、純が悲しいままだと嫌だった。同じように自分も悲しくなるから。それが正しいことだと思えない。分かっているのに、また駄目になる。
全部、元の音に戻したかった。元通りの大好きな音。不快な音がずっと頭の中で鳴っていた。純がそばにいるのに、少しも心地いい音にならない。もっと近くにいて欲しい。
「……足りない?」
純がソファーに片膝を乗せたことで、ぎしりと軋む音がした。視線をあわせたまま、もう一度、確かめるように唇が重なった。
今度は角度を変えて深くなった。息が出来ない。どんどん心臓の音が速くなっていく。
「ッ……ふ」
「……結斗、もう少しだけしようか」
純のキスは治療だ。
けれど、治療のはずなのに、結斗は昔と同じように純の口付けを治療のまま終わりに出来ない。
――自分は、変だから。
あの日大学で、純のピアノを聴いてから、最後。
多分、全部が駄目になった。華やかで、勇ましい曲。けれど、胸が苦しくなった。このままじゃ駄目だと急き立てられる。
純の身体が結斗にのしかかって、ソファーの上でぴったりとくっつく。その重さが気持ちよかった。次第に純との隙間がなくなっていく。真摯に見つめてくる純の整った顔。酒に関係なく頭がぼんやりしていた。
キスの先に安心なんてなかった。ずっと心臓はドクドクと波打っていて、頭の中で大学で聴いた純のピアノの音がした。鐘の音のように煩く響く。唇が離れると、自分だけ息が上がっていた。
「……音が、した」
「なんの?」
「純の、ピアノの音、大学で弾いてたやつ。胸が痛くなった、苦しい」
「あれ、結斗のために弾いたんだけど」
嘘だと思った。もう、あの音はネットの海でたくさんの人が聴いている。幸せな音を、心を揺らす音を。
聴いてくれるなら、誰だっていいくせにって思った。
「……純は、嘘つき……だ」
口付けの合間に恨み言をこぼす。この貪り合うような口付けの時間が一体なんなのか、もう分からない。頭の中が、音の洪水でぐちゃぐちゃになった。他の人に聴かせた。自分だけのものだった音を。
「やっぱり伝わってない。あの日、最後まで聴かないで帰るし。ちゃんと俺の音ずっと聴くって言ったのに、ひどいね。結斗の方が嘘つきだよ?」
純はそう言って、結斗の肩に手を掛け押し倒し、身体をソファーの上に縫い止めた。
天井と、純の顔。
純の赤らんだ目元に、結斗は背がぞくりとなった。高校の時、今と同じ気持ちになったことがあった。
自分の前では、性の匂いがしない純。それでも、一度だけ今と同じ顔をした純をみたことがある。その時のことを思い出していた。一生懸命に忘れたのに。こいつも興奮して勃起して、射精するんだって、その時、初めて知った。
――どこから、自分の変が始まったのか、分からない。あの時か、もっと前かもしれない。
「何考えてるの?」
純のこと、ばっかり考えている。
純の顔をみて惚けていると、純は結斗の下半身に手を乗せて撫でてきた。一瞬で現実に引き戻された。
「な! なにも考えてない! つか、なに触ってんの人のチンコ」
「だって、勃ってたから」
「っ、だって、って純、酔ってるだろ!」
「だから、そういうことでいいよ。結斗寂しいんだろ。いいよ、結斗が満足するまでするから、俺もお前も酔ってるんだよ」
そのまま重なった唇が、純の舌で割られ、口の中に純の舌が入ってくる。
「っ、ぅ、んっ」
純が絶対に知るはずのない、やらしいキスだった。純のキスで誤作動したままの勃起を服の上から優しく撫でられて嫌でも意識させられた。普通じゃない自分を
純に触れられると、気持ちよくなる身体。
深い口付けで頭の中を犯されている気分だった。勝手に口の中の水音に興奮していた。甘くて、少し酒の苦味がして、ずっと満たされなかった心と身体が、純で満ちていく。
どこまでなら許されるのだろうか。親友のキスで興奮するおかしな身体を。
――これ以上を許されるはずがなかった。
「ッ、も、いい! だ、大丈夫だから、ちょっと、酒飲んで変になってて」
「もういいの? せっかくノってきたのに」
くすくすと、純は冗談のように笑って結斗を見下ろしてくる。
「の、のらなくていい!」
「じゃあ、コレ、どうする?」
にっ、と純は意地悪く笑って、結斗の抵抗する手を払った。純は結斗の下のファスナーを下げ結斗の熱の中心を下着から出した。
隠すことの出来ない興奮を互いの眼前に晒されて泣きたくなった。実際泣いていた。
「おー結構でかいね結斗、俺抜こうか」
純に指で弾かれた。死にたい。
「もう、やめ……自分でトイレで抜くから」
「遠慮しなくていいよ?」
距離が近い親友だとしても、超えたらいけない一線はある。自分のおかしさは分かっていても、純まで自分の変に付き合わせたくなかった。抵抗した結斗の手の上から純の手が重なって上下に動かされた。次第にその速度は上がっていく。
「ッ、だめ、だめだって、純! っ、あ」
「別に、今更だし。お前の下半身くらい子供の時から見慣れてるよ、この前朝勃ちしてたのも見た」
「み、見るなよ、だからって、ッ、あ……」
ぐちゅぐちゅと先走りが溢れて、部屋に水音と自分の喘ぎが響く。
「ッ、あ、だめ、純、ぁ……んんっんんっ」
「ほーら、手、どけて」
最後まで拒んでいた結斗の手は下肢から退かされて、純の手が好き勝手に結斗の熱を育て始める。親友の手で施されることの羞恥でむずかっていると「仕方ないな」と抱きしめられて、耳朶を食まれた。腰の力が抜け、全身がふにゃふにゃになった。
「ぁ……ああっ」
「なに、結斗、耳が性感帯なの? お前のことなんでも知ってるって思ったけど、まだまだ、知らないことあるね」
「っ、ぁ、やぁ、あ……あ」
「結斗」
名前を呼ばれて耳に舌を入れぐちゃぐちゃにされて、抵抗することも忘れて純にしがみ付いていた。
「み、み、ぁ……あ」
「はいはい、大丈夫大丈夫、気持ちいいねーほらほら、さっさと出して寝な」
肩をとんとん叩かれる。
「っ、ば、バカにするな、ぁ……」
「してないしてない、馬鹿だなぁって思うこともあるけど」
ふるふると横に振っていたら、強く扱かれながらキスされた。純が、これ以上おかしくなったらと思うと怖くて、涙が溢れてきた。
「やっ、やだ、あっ……お前が、変、なの」
「ん? 俺」
「あ、ん、んんんっ、ぁ、やっ、おま、えまで、頭おかしくなったら、俺、やだよ」
「……心配しなくても元々だよ? でも結斗は、一緒におかしくなってくれないんだな、ま、いいけどね」
「ッ、ぁ、ああ……なん、で、あ……やぁ」
ぐちゃぐちゃとあふれてくる先走りは止まることなくて、頭が馬鹿になった。
「あ、やだ、やだぁあ……あっ」
「ゆい、かわいいな。そんな喘いじゃって、良い声で鳴いてよ、いつも歌うみたいに。お前の声って、甘くて……ずっと聴いてたい」
まるで、音楽を楽しむように人の喘ぎを評される。そのまま追い詰めるように亀頭を撫でられて、堪らなくなり、とうとう我慢できずに純の手を汚した。
「あっあっあああっ!」
目を開けて、ぼたぼたと純の手から落ちる自分の精液を見て呆然となった。
「お粗末様でした。気持ちよかった? にしても出し過ぎだし。ちゃんと適度に抜きなよ男の子なんだから」
純は冷静な口調でソファーから立ち上がりティッシュボックスを取ってきて、それを結斗に差し出す。真っ赤な顔で、それを受け取って下半身を拭い服の中にしまった。
「ッ、バカ純!」
床に落ちていたクッションを拾って純に目掛けて投げた。避けられたけど。
「危ないなぁ」
「ッ……風呂! 借りるから!」
射精したからって冷静にはなれないし、とにかくすぐに頭を冷やそうと思った。どうにかなりそうだった。
「どうぞ、俺先に寝てるから、酒飲んでるんだし、風呂で倒れないでね。今日はシャワーにしなよ」
「お前は俺の母親か!」
「……なって欲しいならなってもいいけど」
「知るか! この酔っ払い!」
バタバタと足音を立てて純の部屋を出た。「また逃げるし」部屋を出ていくときに、純がそう言ったのが聞こえた気がした。
逃げないと、純がおかしくなるんだから仕方ないだろうと思った。
風呂からあがって、純の家に置きっぱなしだった服を着る。部屋に戻ってきたら、純はもう寝ていた。少し迷ったけれど、勝手に純が寝ているベッドに潜り込む。
ソファーに一人は寒いから、いつも一緒に寝てるから。親友だから? 背を向けて寝ていると、後ろから純がひっついてきて腰に手をまわしてくる。暖かかった。
だから安心する。ずっとこのままが良いと思った。
変でもいいから、けれど、これ以上、純の未来を壊したくない。
「……おやすみ」
ぼそりと、背中に向けて結斗は言った。
「……ゆい、ごめん、酔ってた」
「ほんとにな。俺も酔ってた」
「だよね」
くすくすと、背中で純は笑っている。
酒を飲んで待っていたのは、純の優しさだったのかもしれない。結斗が望んでいることをして、気まずくならないように。
――覚悟決めたから。
純はそう言っていた。やっぱり、逃げているのは、自分だったのかもしれないと反省する。純がいうように、考えないといけないと思った。
この先、純とどうしたいのか。
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