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一章 3
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ニコライとの通信が途絶えて二日目。レオにとっては辛い一日であった。
ニコライが危険な状態かも知れないのに何もできない。どうか無事であってくれと、通信が復活してくれと祈るばかりであった。
他の天使達にも噂は広まっていて、早朝に地上へ降りた救援部隊はまだミハイルの目隠しを見破れないという噂だ。
そんな中の昼の食堂は、いつもと僅かに違って不安が漂っているように思えた。
「はぁ……」
食堂で昼食を食べているレオは深く溜め息を吐く。
火、水、電気などはそれらを操る神通力を持つ天使がたくさんいるので、そういった資源は安定している天界。その料理も神通力によって成り立っている。
レオの隣で食事をするディーマが片方の眉を上げる。
「今日は溜め息ばっかだな、レオ」
「んーー、ああ」
「ヴィノクール特務曹長のこと、心配か?」
「……誰だってそうだろ」
レオの返答に、灰色の瞳を細めるディーマ。
「レオはさ、そうやって安心したいんだろ?」
「は?」
「ヴィノクール特務曹長に憧れる奴はたくさんいるから、あの人を心配するのは自分だけじゃない、って。そう思って安心してたいんだろ?」
「……何、言ってんだよ。そんなんじゃねぇ」
険しい表情を作るレオを一瞥するディーマ。
「柄にもなく格闘の訓練で俺に負けたのは誰だか」
「なっ、ディーマ!」
体格が良く、身体能力が非常に優れたレオがディーマに格闘の訓練で負けたのは、今日が初めてだった。
取り乱すレオを尻目に、ディーマは水を一口飲む。
「レオはいつもあの人のことばっかりだ。そんなに気になってんのは幼馴染みだからか?」
「気になってなんかないっ!」
「そりゃ、近くにあんな天才がいれば気になるのも無理ないかもな」
「聞け、ディーマ!」
「静かにしろ」
冷静にディーマにそう言われたレオは、漸く周りが自分達を訝しむように見ていることに気づいた。
仕方なくレオは椅子に座り直し、深く呼吸をする。それでも不安や苛立ちは収めきれない。
「ディーマ、なんでそんなこと言うんだよ」
「……事実だろ。お前は近くにいる俺達より、遠くにいるあの人のことを気にしてんだ」
「んなことねぇよ。俺はあいつなんて嫌いだ」
レオがそう言うと、ディーマはせせら笑いを浮かべる。
「好きだろうが嫌いだろうが、あの人に構ってんのは確かだろうがよ。そんで気になって訓練もろくにできないんじゃ、話になんねぇ」
「だからそうじゃな——」
「俺達を何だと思ってんだよ、お前は!」
ディーマの口調が急に強くなった。彼の気性は穏やかな方だ。こんな風にレオに怒鳴ることなんて滅多にない。
驚くレオに、彼は続ける。
「実戦になったらお前と一緒に戦うのは俺達だぞ? その時になってもお前は俺達よりあの人のことを考えてんのか? んなの、冗談じゃねぇ!」
食器を乗せたトレーを持って立ち上がるディーマ。
「先に行く」
そう言って席を離れる彼を、レオは唖然として見ていた。二人に向けられていた周囲からの視線が散っていく。
ディーマにあんなに怒られたは初めてだったレオ。
入隊当初から彼とはずっと同室で、一緒にいることが多い。歳はディーマが一つ上だが、大した喧嘩もしたことがない気が合う良い仲間だ。
彼に言われたことは最もだった。ニコライのことを考えていて訓練で失敗するなんて、あってはならないことだ。本来ならニコライよりも、同じ班の仲間のことを気にかけるべきなのだ。
「俺が、悪かったんだよな」
そう呟いたレオの隣の空いた席に、一人の軍人が座った。レオが横目で見ると、彼はこちらを向いていた。
「隣、失礼しますよ。クルツ伍長?」
その男に、驚いて手からフォークを離すレオ。
「……モローゾフ、中尉?」
「おや、私のことをご存知でしたか」
「そ、そりゃあ……」
濃褐色の髪にアンバーの双眸を持った、三十代半ばの中尉、モローゾフ。鷲鼻でとても彫りが深い。
彼は神通力の扱いが上手く、特に治癒の神通力では衛生兵以上の働きをすることもある。また、精神科医としての知識もあり、非常に頭が良いと有名だ。
「先程の彼とは、喧嘩ですか?」
「え、ええ……まあ、喧嘩つーか、怒られたっていうか」
彼が自分を知っていたこと、そして彼が自分に話しかけてきたことに驚きながらもレオはそう答えた。
口角を上げるモローゾフ。
「そうですか。クルツ伍長は、ヴィノクール特務曹長の幼馴染みだそうですね」
「ああ、はい。そうですけれど」
「では、心配でしょうね。今回のことは」
「……はい」
モローゾフの口調は穏やかで、レオの心を解き明かしていくようだ。
「ヴィノクール特務曹長は有名ですが、実際どんなお方ですか? 私は彼があの任務を受けたことが不思議でならないんです」
確かに、ニコライがもし噂通りの冷静で強い天使であるならば、あんな馬鹿らしい任務は受けなかったかも知れない。
「ニーカ……ヴィノクール特務曹長は、完璧だとか冷静だとかよく言われますけれど、本当はそんなんじゃないんです」
「ほう?」
「確かに俺よりはずっと強いし、冷静だし、頭も良いと思う……。でもあいつ、本当は凄く弱いんだと思います。プライドが全てだから」
「プライド?」
「はい。自分の優秀さに対するプライドです」
「成る程……。プライドが非常に高いから、今回の任務を受けたと」
「はい。多分」
レオは飲み終えたスープの皿に、スプーンを置いた。
無糖の珈琲を一口飲んで、モローゾフ。
「つまりヴィノクール特務曹長は、強いけれど非常に脆いんですね。心が」
「…………」
「そしてあなたは今、とても苛立っている」
何も言わずに眉間に皺を寄せているレオに、モローゾフは言う。
「彼を止めなかった自分に。そして、彼のことばかり考えてしまう自分に」
「止めてください」
レオはやや強い口調でそう言って、立ち上がる。
「すみません、失礼します」
食器のトレーを持って、レオはモローゾフから逃げるようにその場を後にした。
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