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七章 4
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会計をするミハイルを斜め後ろでニコライは見つめた。
————ふと、この人間界には異質な気配がした。
僅かに、恐らくは数百メートル離れたところに、神通力の気配がする。三、四人の天使の気配だろうか。
何故この広い人間界に、こんなにも近くにそんなに天使がいるのだろう。自分達のことを知っているのだろうか。
周りを見渡してみても、その天使達がどこにいるのかわからない。満席になった店内では人間達が食事をしているだけだ。そもそも目視できる範囲にはいない可能性が高い。
その時、食事を終えたらしい人間の女性が二人ニコライの近くに来る。
「Вы в строке?」
唐突に全く知らない言葉で話しかけられ、ニコライは困惑した。言葉に詰まる彼に、女性は首を傾げてもう一度同じことを言った。
どうしたものかと思っているうちにミハイルが会計を済ませてきた。
「Извините 」
彼は女性二人にそう言い、ニコライの服の袖を引っ張って一緒に店を出るように促す。
それに従った時、ニコライは先ほどの天使達の気配がほとんど無くなったことに気づいた。遠くに行ったか、気配を隠したのだろう。ミハイルもきっと気付いているはずた。
「あの、ミーシャ」
店を出て話しかけると、彼はこちらを見上げてきた。
「ん? さっきの人は君がレジに並んでいるか聞いただけだよ」
「そうだったのですか? ……いえ、それより気付いてますよね?」
「何に?」
歩き出すミハイルの斜め後ろを歩くニコライ。
「神通力の気配です」
「……気になるの?」
周りを歩く人々に合わせるように早足で歩くミハイルの表情は見えない。
「ええ、勿論。こんなところにどうして天使なんて」
「いいじゃない。今は気にしなくても。少なくとも君の敵ではないでしょ」
「私の敵でなくてもあなたの敵かも知れませんよ? 天使なのですから」
「仮にそうだとしても俺は負けない。こんなところで急に攻撃してくるほど馬鹿な天使もいないだろうよ」
「……そうですか」
小さくそう返すニコライ。ミハイルは飽くまで近くにいる天使達を気に留めないつもりらしい。その天使達の気配は完全には消えていない。自分達を見張っているようにも感じられる。
ミハイルが振り返る。その顔は笑顔だった。
「さて、次に行こう。デパートに行きたいんだ」
「デパート、ですか」
無垢な笑顔に苦笑を返すニコライ。彼の言うとおり今はこの神通力の気配を気に留めないでおこう。
天使と悪魔が並んで歩く。人間達は誰もそのことを気にしない。二人のことで人間が気にするのは顔のことくらいだ。ここにいると天使だ悪魔だと生まれてきた時から争い続けてきた自分達は何だったのかとすら思える。
ミハイルについて行くと、大きなショッピングモールに着いた。正面の自動ドアから二人は入って行く。平日なのでそれほど人は多くない。一階は主に婦人服売り場のようだった。 ざっと見たところ、このショッピングモールには女性客が多い。
「ここでいつも買い物してるんだ。大体何でも売ってるから」
ミハイルはそう言って慣れた足取りで入って直ぐ、正面のエスカレーターに乗った。
ニコライも彼のすぐ後ろに立つ。
「お金はどこから?」
「たくさん持ってる人から分けてもらってるよ」
「はあ……」
要するに金持ちから盗んでいるということだろう。人間の金持ちから、と言われるとニコライは大して気にならなかった。自分と別の種で、しかも金に困っていない者のことなど知ったことではない。
エレベーターの上の方を見上げるニコライ。すると、唐突に視界の端から黒い靄がかかった。
「…………??」
気持ちが悪い。黒い靄で視界が狭くなっていく。ミハイルがこちらを見下げて、自分の名前を呼んでいるようだが、聞こえる音が小さくなっていく。彼の顔がよく見えない。背中に温かいものを感じた。彼が自分を支えてくれているのだろう。もう視界はほとんど真っ暗になっている。辛うじて自分を心配するミハイルの声が聞こえる。
エスカレーターを降り、数歩進んだようだ。冷たい、壁のようなものに手を付いた。ミハイルに座るように言われ、その場に座った。すぐ近くに彼の体温を感じる。後ろから肩を抱いてくれているのだ。
彼の服の裾を掴んで座っていると、徐々に視界が戻ってきた。目の前にある白い柱、横を向くとミハイルの顔。
「コーリャ、大丈夫?」
「……すみません、急に前が見えなくなって」
「うん、貧血だね。顔色も良くない。すぐ近くに座れるところがあるから、ちょっと立てる?」
「はい」
ミハイルに腕を掴まれながら、ニコライは立ち上がる。また少し視界に靄がかかるが、まだ見える範囲だ。
「貧血なんて……どうして」
「こうなったの、初めて?」
「はい」
ニコライは体調を崩すことがほとんどない。軍に入ってからは特にそうだ。
周りの人間達に横目で見られながら歩くと、エスカレーターの近くにベンチがあった。
「座って」
ミハイルに言われ、ニコライはそこに腰を下ろす。また視界がはっきりしてきた。しかしまだ五感は全快ではなく、気持ちが悪い。
彼の頬に触れるミハイル。
「ちょっと待っててね、すぐ戻ってくるから」
「え……? どうかしたのですか?」
「飲み物を買ってくるよ」
「あ、そうですか。ありがとうございます……」
一人でここに取り残されるのは不安だった。だがニコライは微笑み、笑顔を向けて早歩きで去っていくミハイルの後ろ姿を見ていた。
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