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七章 8
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ミハイルの家の、リビング。外は既に陽が沈み、この部屋には電気が点いている。暖炉には静かに朱い炎が燃え、それが必死に広くはない部屋を暖める。
椅子に座って本を読むニコライ。そのテーブルを挟んで向かい側にはミハイルが椅子に座っている。彼は自分の手のひらに目を落としていた。二人の空間に会話は無く、唯、暖炉の薪が燃える音とニコライが本を捲る音が響く。
夕食後の、静かな時間。安定した空気。
ふ、と悪魔の手の中で魔力が発せられた。空気が僅かに変わる。その気配を察したのか、ニコライが本から目を離して顔を上げた。
「ミーシャ、何を?」
声をかけられたミハイルは自分の手元からニコライへと視線を滑らせた。
「ニードル」
そう言う彼の手には一本の太い針が現れていた。ニードル、という物なのだろうか。恐らく今、彼が魔力で具現化した物なのだろう。
「何ですか? それは」
「ピアスホールを開けるためのものだよ」
「前にも作ったことが?」
「いや、今初めて作った」
ミハイルの返答に、表情こそ変えないが内心で驚くニコライ。
魔力や神通力で物を具現化するには、まずその物をよく知り、素材から形まで完全に頭の中で想像できなければならない。そして素材を生成するための強い力が必要だ。その二つがあっても一回で初めての物が完璧に作れることなど滅多にないのだ。例えニードルのような小さく単純な物でも。
ニコライでも弾丸を具現化するのにそれなりの練習が必要だった。やはりミハイルの魔力の強さと想像力は尋常ではない。
「俺から穴、空けるね」
ミハイルにそう言われ、ニコライはハードカバーの本を閉じた。テーブルの上には昼間に買ったピアスが置かれている。電球からの光でキラキラと輝く小さな空色が二つ。それに視線を落としたまま、ニコライは尋ねる。
「今から空けるのですか」
「うん」
頷くミハイルの右手は、自分の右耳の耳朶を触っている。どうやらそこを魔力で冷やしているようだった。
「ニコライのは俺が空けてあげるから」
「痛いでしょうか?」
「勿論」
ミハイルは楽しそうに言った。彼も空けるのだから痛いはずなのだが、彼自身は気にしていないようだ。彼の手元を目で追うニコライ。今から耳朶に穴を空けるのは自分ではないのに、妙に緊張する。その針の先から目が離せない。
冷した耳朶にニードルを突き立てる。位置を確認するかのように少し切っ先を動かして、皮膚に対して垂直に、狙いを定めて————突き刺した(ピアス)。
一瞬だった。僅かに顔を顰めたミハイル。針が貫通したままのそこから血は出ていない。
「ちょっと待っててね。これ、直ぐ抜いちゃいけないんだ」
「……痛いですか?」
「ちょっとね。正直少し怖かったけれど、思ったより痛くないや」
怖い——この悪魔でもそんな風に感じることがあるのかと、ニコライは頭の片隅で思った。そんな感情、彼には無縁なものに見える。
数分後、赤みがかった耳朶に刺さったニードルをミハイルは指先で摘む。その表情は先ほどより険しい。
「痛くなってきた」
耳朶の温度が戻ってきたからなのだろうか、痛い、痛いと小声で呟きながら、彼はニードルをそこから引き抜く。そしてすぐにその小さな赤い穴に青いピアスの棒を突き立てる。
「んっ……!」
彼は一際痛そうな顔をした。ピアスの棒を入れるが、穴の角度通りに刺せなかったらしい。出口を探るように棒を傾けた。作った傷を抉るかのような行為に、見ているニコライの表情も自然と強張る。やっとピアスの棒がピアスホールを貫通した時には、僅かに傷口に血が滲んでいた。
「はぁ、すぐ治しちゃおう。痛いや」
キャッチを止めながら治癒の魔力を使うミハイル。そうすればすぐにピアスホールは完治する。耳朶から赤味が引き、彼は深く息を吐いた。
「さて、次はコーリャの番だ」
口元に笑みを作ってそう言われ、ニコライはドキリとする。この悪魔は自分を怖がらせるために先に自身の耳朶に穴を開けたのではあるまいか。
ニードルを持って椅子から立ち上がり、ニコライの真横に来るミハイル。見上げてくる天使に微笑みかけ、その耳朶に指先で触れた。悪魔の指の冷たさにピクリと躰を震わせる天使。その冷たさは痛みにも似ていた。首筋まで熱が奪われていくように感じる。直ぐに耳朶の感覚は薄れたが、次の瞬間刺激された痛覚に顔を顰めた。
ぐっ、と針が耳朶を貫通する。つい逃げたくなるが頭部を動かすわけにもいかなかった。ニードルが中程までそこを突き抜けると、ミハイルは手を離した。
「ちょっとだけこのままにするよ」
「はい……」
「痛い?」
「当たり前でしょう」
「だって痛そうな顔しないから分からないんだもん」
確かにニコライの表情の変化は僅かなものだった。元々彼の表情の変化は希薄だが、もうミハイルから与えられる「痛み」には慣れたせいもあるかも知れない。
「まあ、抜いて挿れるときの方が痛いと思うよ」
そう言っては空色のピアスを手に取るミハイル。
「大丈夫、なるべく痛くないように挿れてあげるからさ」
そして彼に耳朶からニードルを引き抜かれ、ニコライは体を強張らせた。
「…………っう」
「我慢してね」
ニードルによってできた小さな穴に、ポストの先が押し付けられる。穴に対して垂直に挿れるのは、しっかりとそこが見えているミハイルにとっては案外と安易なことだった。
それでも勿論痛みは感じるために、ニコライはずっと眉を眉間に寄せていた。
ピアスのキャッチが付けられ、ミハイルの手が耳元から離れると、ニコライは漸く安堵の溜息を吐く。耳朶はジンジンと痛みが続いている。
「終わりましたか?」
「うん。傷を治すにはまた魔力を使わなきゃならないから、ニコライのはこのままにするね。何日かは痛いかも知れないけれど」
「ええ、構いません」
ニコライは頷いた。
二人の耳に一つずつ付けられた青いピアス。形だけでもミハイルと繋がったような気がして、ニコライは嬉しかった。彼も同じ気持ちなのかも知れない。
——そして気づいた。この行為は恐らく、彼にとって普段行なっているセックスと変わりないのだと。天使と悪魔、男と男。例え形だけでも、繋がりたいのだと。
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