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九章 7
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薄暗い部屋。
ベッドの隅に、男が両足を抱えて蹲っている。顔は見えない。彼の長い銀髪はベッドにまで到達している。
その横で、椅子に座っている金髪の美青年。無表情で銀髪の男を見ている。
「全部思い出したんでしょ?」
ポツリ、と金髪の青年——ミハイルは言った。
銀髪の天使——ニコライの手が握りしめられる。しかし顔は上げない。
再び唇を開くミハイル。
「後悔してる? レオ君の手を取らなかったこと」
「…………」
「レオ君、可哀想だよねぇ。折角君を助けに来たのにさ」
そう言いながら椅子から立ち上がった彼は、ベッドの上に片膝を乗せる。ベッドが軋み、ニコライが怯えたように顔を上げた。青白く、しかし美しい彼の顔。僅かに眉間に皺を寄せている。
ニコライの血の気の失せた唇が動く。
「来ないで、ください」
その一言に、ミハイルの動きが止まる。ニコライから少し距離を置いたまま、ベッドの上に座った。
「君は望んでここにいる。二週間前から、ずっとそうだ」
「……それは、」
「レオ君を守るため?」
「…………私が彼の手を掴んだとしても、あなたは私を逃がしはしなかった」
「さあ、それはどうかな」
曖昧なミハイルの返答に、美女桜色の両目を細めたニコライ。数秒置いて、再び口を開く。
「私がレオの手を取らなかったのは、レオを守るためではありません」
「……ふぅん? でも俺を本当に愛しているわけじゃないでしょ」
自嘲を含んだ口調のミハイル。ニコライは視線を彼から離してベッドのシーツに落とした。
「いいえ、私はあなたを愛していました」
そう言った彼に、ミハイルは目を見開いた。俯いている彼の横顔を見つめる。
「君が俺を愛していたのは恐怖からだ。君は自分を守るために俺を愛していると思い込んだに過ぎない」
「そうかも、しれません」
動揺気味のミハイルに、再び顔を向けるニコライ。
「でもあなたを愛したのは私。あなたに愛されることを望んだのも、あなたに抱かれて喜びを感じたのもっ……紛れもなく、私です。…………言い訳なんてできない。今更、その事実は消せない」
「コーリャ……」
「元々ここに望んで来たのは間違いなく私です。あなたはあなたを殺そうと、ここに来た私を迎え入れたに過ぎなかった」
自らの死を目前に、もう恐れを抱いてなどいないニコライの双眸。そこにミハイルの戸惑いがちな顔が映る。彼は少しだけニコライに近づいた。
「君は死ぬ。俺のせいで」
「生きてどうします? 分かっているはずです。私は生きたいなんて思っていない。ただ、死が怖いだけ」
美しい天使の、強い瞳。血の気は失せ、窶(やつ)れた顔でそんな目をされると凄みがある。
その両目を見つめるミハイル。
「君は欲が無さすぎる。だから生物らしくないんだ」
唐突にそう言われ、ニコライの目つきが少しだけ和らぐ。
「何の、ことですか?」
「最初は大した理由があるとは思ってなかった。でも君と暫く一緒にいて、色々君のことを知って……君の欲の無さは異常だと思った。何か理由がなければそうはならない」
誰よりも異常な趣味の男に異常者呼ばわりをされ、ニコライは眉に眉間を寄せる。
「私の精神に異常があると? それはあなたのせいではありませんか」
「違う。もっと昔からだよ。君にはレオ君以外の友達も、趣味も、出世欲も無い。それだけなら社会的欲求だからまだ異常とまでは言わないよ。でも君は食欲も極めて希薄、寝かせなければいつ迄でも起きてる。女にも興味が無い。俺が刺激を与えなければ絶対に勃たない、求めもしない。異常だよ」
淡々と、ミハイルはそう告げた。
自分の異常さを冷静に教えられたニコライ。その心中の動揺は、表情には出さなかった。知らなかった、今まで誰も教えてくれなかった——自分は普通ではないことを。
「……それが何だって言うんです?」
乾いた唇が、そう返した。
ミハイルはまた少しニコライに近づく。
「君は幼くして両親を同時に亡くし、二人の天使の死を眼前で見て、肌で感じた。その強いショックとその後のストレスが、君の精神に異常を引き起こしてしまった。昨晩の夢で、分かったんだ」
「…………でも私は何も困らなかった。異常があったからといって、何も問題はなかった」
「ううん、あったでしょ」
断定的に即答したミハイル。ベッドを軋ませ、ニコライの目の前まで近づいてきた。彼が何か返答をする前に口を開く。
「俺と出会ってしまった。君にもっと生きたいっていう欲があれば、無理な命令を受けて俺のところに来ることもなかったでしょ? 監禁されて、傷つけられて、洗脳されて……ここで死ぬことも、なかった」
そう言った刹那、ミハイルの視界は90度回った。ニコライに押し倒されたのだと、頭がベッドの上で跳ねてから気づいた。自分の上に四つん這いになったニコライが自分を見下げている。
「あなたは、私にたくさんのことを教えました」
「コーリャ?」
「私は私を何も知らなかった。自分がどれだけ弱いか、傲慢な男か、知りませんでした。あなたが教えてくれた」
美女桜の瞳が濡れている。震える片手が、ミハイルの頬を包んだ。
「ミーシャ……あなたのことも、たくさん知ってしまいました。あなたの弱さも、優しさも、恐ろしさも。もう、あなたのことを嫌うことなんてできません」
ニコライの言葉に、今にも泣き出しそうな顔をするミハイル。
「……っ、コーリャっ……!」
「愛しています、ミーシャ」
低くそう言い、ニコライはミハイルの唇に唇を重ねた。
初めてのニコライからのキスだった。腕を彼の背中に回すミハイル。貪るように深い口付けを求める。
ミハイルの舌がニコライの口内に滑り込む。舌が絡み合い、唾液が湿った音を立てた。彼の体を服の上からミハイルの手が撫でる。その形を確かめるように。
「んっ……く、はぁっ……」
銀色の糸を引きながら唇を離した頃には、ニコライの頬は僅に赤くなっていた。しかしミハイルが涙を溢れさせていたことに気づいて目を丸くする。そして、少し困ったように微笑んだ。
「ミーシャ、私はもう長くありません。多分……明日には死ぬと思います」
そう言うニコライのシャツを、ミハイルが掴んだ。
「そんな、分からないよ」
「いいえ、分かります。自分の体のことですから」
「でも……コーリャ、」
「抱いてください……これが、最後です」
震えた声で紡がれた言葉。ミハイルの彼のシャツを握る力が強まる。
涙に濡れた目を瞑り、ミハイルは言う。
「わかったよ。だけど君を死なせたくはない……コーリャ」
そして悪魔は、若菜色の双眸を開いた。長い指でニコライのシャツの釦を一つ一つ外すミハイル。白い肌が紺色のシャツの中から露わになっていく。
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