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九章 10
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————白い。
乳白色の世界に、私は存在している。私——ニコライ・フォン・ヴィノクールという、もうすぐ息絶えるであろう存在。
ここは一体何なのだろう。もしかして、死後の世界なのだろうか。それとも生と死の狭間なのだろうか。私はひたすらに白い周囲を見回した。
「コーリャ」
聞き慣れたテノールの美声で声をかけられ、私は驚いて振り返る。
「ミーシャ?」
そこにいたのはミハイルだった。色素が薄い金の短髪に、鮮やかな若菜の色をした大きな両目。中肉中背で非常に綺麗な顔を持った悪魔。
「やあ、コーリャ……ニコライ・フォン・ヴィノクール」
「……ミーシャ、何故あなたがここに?」
「俺が君の夢に出てくるなんて、珍しくもないでしょ?」
そう言いながら近づいてくるミハイルに、私。
「夢? ……これは夢なのですか?」
「うん。一般的にはそう言われるね」
そうか、夢なのか。そう言われると自然と納得できてしまう。現実にはこんな真っ白な世界は無い。
私の目の前まで来たミハイルが、再び口を開く。
「俺は、ダヴィード・ユスティノフだよ」
「ダヴィード……ユスティノフ?」
彼は頷いて、少し目を伏せる。
「そう。それが、両親が俺にくれた名前。でも両親を殺したときからダヴィード・ユスティノフと名乗るのはやめた。……俺が親からもらった名前を名乗る資格なんて、無い気がしたから。だから自分でミハイルと名乗った」
「……どちらで呼んで欲しいのです?」
私がそう尋ねると、彼は私の頬を両手で包む。夢の中なので、彼の手を感じることはできない。
「ミーシャって、呼んで。君は俺を〝ダーヴァ〟と呼んだ母さんじゃない」
嗚呼、彼は私を母親に重ねていたのではないのだろうか。そんな自分が彼自身、許せなくなったのか。
「わかりました、ミーシャ。…………でも私はもう……」
私の命は尽きようとしている。ミハイルにいくら愛されようと、私が彼をどれほど愛そうと、これはもう終わってしまう。
しかし彼は首を横に振った。
「死ぬのは君じゃない」
「え?」
「俺が君に命を与える」
私は目を見開いた。彼の言葉の意味が理解できてしまう。
自分の命を他人に移す術。できなくはないが、相当な魔力や神通力の扱い手でなければ不可能な上に、禁忌とされている術だ。
「な、何を言っているのです? ミーシャっ……」
「もう術は始まっている。止めることはできないよ。君は目覚めて、俺は永遠に目覚めない」
「そんなっ!」
私はミハイルの肩を掴んだ。
「どうしてそんなことを? 私は生きることなど望んでいません!」
「それは俺も同じだ。君を殺してしまった上で、レオ君達に怨まれながら意味もなく生きているのなんて御免だ。だからせめて君にこの命は渡す」
「嫌っ……嫌です!」
私は私より小さな彼の体を抱きしめる。私を幾度も傷つけ、抱き、愛したその体を。
「私だって……生きてどうしろというのですか? 生きる喜びを知らない私を一人、あなたは置いて逝くのですか?」
「君には君の帰りを待つ友達がいる。彼らのところに行ってあげて。それに天界に行けば、君にならいくらでも仕事はあるでしょ?」
そう言ってミハイルは私を見上げ、私の唇に唇を重ねた。
感じない。夢の中のこの世界は何も感じない。彼からの温もりも、痛みも、快感も、愛も、恐怖も、もう感じることができないのか。
唇が離れ、私の目から涙が溢れ出た。そんな私を見て彼は困ったように笑う。
「何度も傷つけてごめんね? もう俺のことは忘れて」
「か、勝手なことを言わないで下さい! 今更忘れるだなんて、出来るはずありません!」
「うん……ごめんね」
「あなたは狡い悪魔です! 私を傷つけて、犯して……それなのに私に愛してるとまで言わせて、一人にするなんて!」
「そうだね。でも君は一人じゃない。レオ君も、ダニロフさんも、モローゾフさんも、ナターシャさんもいる」
感情的になる私を、ミハイルは穏やかに宥める。彼の片手が私の髪をゆっくりと撫でた。
「ごめんね。もう行かなきゃ」
「ミーシャっ……!」
憂愁混じりの微笑を浮かべ、ミハイルは私から数歩離れる。
もう間に合わないのか、と私は思った。だから私は涙で霞む視界の中、彼を真っ直ぐに見る。
「愛して、います。ミーシャ……ミハイル!」
私がそう言うと、彼も目を潤ませ、形の良い唇を開いた。
「До свдания……Николай фон Винокур…………Я люблю тебя」
何と言ったのかはよくわからなかったが、ミハイルが長年住んでいた人間界の言葉だった。
そして彼は、私の目の前から姿を消した。
私の意識も、ぼやけていった。
ニコライ
ごめんね
もし俺が悪魔でなかったら
例えば俺達が人間として出会っていたなら
俺達の関係はまた別のものになっていたのかも知れないね
所詮天使と悪魔では
長くは一緒にいられないんだ
君は俺の母親に似ていて
君を見ると抱きたくて
同時に傷つけたくて
壊したくて堪らなくなって
そうする度に自分も嫌いになった
ちゃんと君を愛せない自分が
凄く嫌だった
君の精神を壊して
記憶を塗り替えて
変わっていく君を見て
何と無く自分が求めていた君と
違うことに気づいた
そして俺は
自分が求めていたものが
母親とはまた別だったと
気づいたんだ
俺はいつの間にか君を
君自身を
愛していたんだ
子供のときの傷が癒えない
俺と君
俺達は全く違って
凄く似ていた
大人になれなくて
それなのに強くはなって
でもやっぱり脆い
硝子の獣
この世界は俺達が生きていくには
ちょっと辛いけれど
生なんて君も望まないけれどね
俺は君に生きて欲しくなった
やっぱり愛する人を
死なせたくはない
君は他の天使達にも
必要とされる存在で
周りから大切にされる
君が死んだら
レオ君も凄く悲しむだろうし
ねえコーリャ
最後に
〝愛しています〟
だなんて言ってくれて
ありがとう
さようなら
ニコライ・フォン・ヴィノクール
君を愛しているよ
俺は君の命となって
君の中で生き続ける
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