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<1> 十一月二十七日 火曜日
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トンと背中を突いただけで、緒方涼介の身体は奈落のような闇の底へ落ちていった。すぐに基底部の石の床にぶつかって、頭が潰れる胸の悪くなるような音がした。アッと小さな声を漏らしただけで、叫び声さえ上げなかった。
(こんな簡単なことだったんだ)
殺害者は、自分でも意外なほど落ち着いていた。息も上がっていなければ、鼓動が速くなってもいない。この崩れかけた鐘楼に上がってきた時よりも、かえって落ち着いていた。
満足感さえ覚えながら、殺害者はしっかりした足どりで石段を下りていった。異様に高い鐘楼の底に、緒方は仰向けになって死んでいた。両手を投げ出し、首が有り得ない角度に曲がっている。頭の下から流れ出した血が、成長するアメーバのように蠢きながら広がってゆく。
確かめるまでもなく、完全に死んでいた。
十日前の地震で、この古い納骨堂は鐘楼と壁の半分を残して、屋根が崩れ落ちていた。空をおおった厚い雲の隙間から時折月の光が差し込んで、強い風が周囲の木々をざわつかせている。石棺の上にも床にも、崩れたままの瓦礫がうず高く積もっていた。
使われなくなってから何十年も経つ納骨堂だった。鐘楼の鐘も、とっくの昔にはずされていた。以前から危険視されていたのにずっと放置され、荒れるがままに捨ておかれていたのだ。屋根が崩れたのを機に、ようやく明日、取り壊すことになっていた。
ここ数日、解体の下見に何人もの業者がやってきて、歩きまわっていた。鐘楼の上も石段も、彼らの靴が万遍なく踏み荒らしてくれていたから、自分の靴跡が分かる懸念はない。
唸り声をあげて風が逆巻き、冴えた月の光が納骨堂を白く照らしだした。唐突に、誰かに見られているような気がして、殺害者は根拠のない恐怖を覚えた。
(誰もいるはずがない)
と分かっていても、一度ハネ上がった鼓動は速くなるばかりだ。
長居は無用。コートの襟に顎を埋めて、立ち並ぶ墓標の間を、殺害者は足早に立ち去っていった。
風が悲鳴のような音を立てて吹き抜け、遠ざかってゆく足音を、すぐに掻き消した。
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