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FROM JAPAN
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成田空港から、電車を乗り継ぎ、マシマのあとを着いて歩く。途中でタクシーに乗り換え、祖父母が住む、といわれる家に連れて行かれた。
祖父は僕を一瞥すると、英語で
「今は、声が出ないそうだな。少なくとも、妻は英語が話せん。日本語が話せるようになるまで、日本語学校に通ってもらう。アメリカでは大学を卒業したようだが、こっちでもいろいろ学んでもらう。うちは私立の学校を経営している。他の従兄弟連中と一緒に経営陣として名前を連ねることになるだろうから、勉強は怠らないように。」
それだけ言うと、今度は日本語でマシマや、近くに座る祖母と思われる女性と話をして、その場を離れていった。祖母らしき女性は、僕の容姿を見て、戸惑いを見せるだけで、日本語でマシマに何かを話しているが、何を話しているのかは、まったく理解できない。
僕を日本に呼び寄せたはずの父は、その日、祖父母宅に現れることはなかった。マシマは、父のスケジュールが合わなかった、とだけ告げた。そこからは、マシマの運転する車で、連れて行かれたのは、僕の新しい生活スペースだった。
日本語の一つも出来ない僕が、日本に用意された部屋は、父はもちろんのこと、誰かと一緒に暮らすわけでもなく、2LDKのマンションと言われる鉄筋のオートロックのアパートメントだった。
僕が暮らしていた場所よりは、ずっと豪華で広いスペースに大きなテレビやソファ、家財道具など、必要最低限の生活用品が揃っている部屋だった。日本では、こういった建物を「マンション」と呼ぶのだそうだ。17階という高さからの景色は夜景としてはとても綺麗だったが、昼間の景色は、箱が所狭しと並んでいるだけの景色だ。
一人で暮らすには広すぎる気がするが、ベッドもあるし、不自由はしそうにない。キッチンにも鍋などの調理道具も揃っていた。
クローゼットも備え付けのマンションで、最初にしては至れり尽くせりだ。ただ、靴を脱ぐ習慣がない僕にとって、最初につまづいたのは小さな玄関スペースだった。
部屋は駅からも近く、大きな駅への交通面をみても、悪い条件ではないのはなんとなくわかるが、はじめて来た国で、何もわからないのに来週からは語学スクールに通え、と強制的に言い渡された。まだ、声も出ない状況だが、文字を聞いたり覚えたりは出来るだろう、という祖父からの命令らしかった。
日本での生活用に渡された携帯電話と、ノートパソコンがすべてと言っても過言ではない情報源だった。スマホもパソコンも原語が英語に設定されたものを渡された。マシマには『慣れたら日本語設定にしてもいい』と言われた。
テレビを見ても、なにを言ってるのか、さっぱりわからない。だが、こちらのテレビは便利なもので、副音声というので、ニュースなどは英語音声にすることが出来る。映画も音声を英語にすれば、それほどわからないことだらけではなかった。日本に来て半月で、やっと少しながら声が出るようになってきた。
けれど、会話をする相手すらいない国で、声が出たところで、どうなるものでもなかった。
日本語と英語で書かれた駅名を辿りつつ電車に乗る。
初めて目にした漢字は記号にしか見えなかった。初日は道案内に、とマシマが同行してくれた。学校のある駅までは二駅、乗り換えもないし、駅からも近い。どの電車にもペインティングがないことも新鮮だった。たまにアニメーションのプリントがされている電車を見かけたが、スプレーペイントではない電車は綺麗に見えた。
生活費用に一枚のカードを渡された。自分名義のブラックカードだ。無駄遣いする気はないが、金銭感覚のわからない街で、まずは円についての勉強をしなければならないようだった。
『僕は向こうではカードなんか使ったことはないけど、日本ではカード払いが普通なのか?』
『いえ、現金の方が一般的ですね。けれど、このカードからも現金は引き出せます。』
見本を見せる、とマンション一階にあるコンビニのATMからの現金の出し方を教わる。コンビニでの買い物の仕方、カード払いの方が楽には楽だということ、近所のスーパーの場所を確認し、2日分くらいの食料を買う。
日本料理はまだ見たこともなく作れないが、今まで食べてきたようなものでなら、作れる。しばらくは、この国の素材に合った料理も探さなくてはならない。
この国の髪の毛はカラフルだった。特に大きな駅の周りでは、自然の色ではない髪の色の人を多く見かける。そのなかで、地毛で金髪で動いていても、アメリカ並みに目立たないが、瞳の色は…?とも思ったが、カラーコンタクトを使っている同世代の子も多く、違和感なく街中に溶け込める。たまに日本語で何かを聞かれるがまだ、話せないので
「Sorry,I can't speak Japanese」
苦笑してそう答えるしかなかった。それほどに僕の容姿に違和感を感じない国だったのだ。ただ、顔立ちは東洋人ではないので、質問してくる方も、謎なのだが、それだけ、日本に馴染んだ外国人が多いということなのかもしれない。ただ、日差しが厳しいので、外ではサングラスを使うことが多くなった。
たまに、ミッション系の大学生が英語を話しながら歩いてる姿を見かけた。
なぜミッション系とわかるのか?
たまに、大学内のチャペルや、賛美歌といった単語が、その会話が出てくるからだ。
ただ、言葉のわからない街で、母国語を話している姿をみているのは、一つの安心感に繋がった。
「その大学の学祭の時には行きたいなあ」
とマシマに話してみると、「手配します」と快諾とも取れる返答が返ってきた。
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