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最悪の出会い
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狙っていたノンケが、ゲイになった。
その相手が俺だったらよかったのだが、残念ながら違う。
「……」
こんなことがあっていいのか。こんなことが許されるのか。
俺がずっと狙い、慕い、焦がれていた相手を、こんなあっさりと奪われてしまうなんて。
「……マジで意味分かんねーんだけど」
地を這うような低い声が漏れる。
視界の端で、近くにいた通行人がこちらを見たのが分かった。
15歳の夏。
先輩に誘われ、バイクの後ろに乗せてもらった。
何もかも置き去りにするスピードに興奮しながら、広い背中に抱き着く。子供のような所作だが、それでも初めて先輩の隣に並べたような気がして誇らしかった。
先輩を真似てバイクに跨った。バイト資金を貯めて単車を買った。気の合う仲間が増え、学校に行く時間も惜しんで走り回った。
それは俺にとって新しい世界であり、至福の時間でもあった。
だが、それに比例して信じられない感情が芽生えていった。先輩を見るたびに、先輩の声を聞くたびに、信じたくない欲望が襲ってきた。
日に日に強くなる衝動を抑え込むため、俺はひたすら暴走行為に明け暮れた。走っているときは何もかも忘れられた。嫌なことも、悲しいことも、何も考えられずにいられた。
そしていつしか、俺は暴走族になっていた。
我に返って周りを見渡してみれば、俺は族のリーダーになっていた。
隣に先輩はいなかった。その事実に焦燥したが、やがて俺はほっと胸を撫で下ろした。
――何だ。やっぱり男が好きだなんて気のせいだったんだ。俺は先輩を追いかけていたんじゃない。ただこうやって、バイクに乗っていたかっただけだ。
先輩への気持ちはなかったことにした。単なる年上への羨望だったんだと自分を納得させた。
やがて族は代替わりを果たし、俺は地元を離れて就職した。
そこで今度は、彼――梅田さんに会った。
神経質そうな鋭い目つきは全然違うが、雰囲気が少し先輩に似ている。そう思ったときには、俺は恋に落ちていた。
『……っ』
それは、先輩への想いを認めることでもあった。バイクを手放して現実逃避することもできなくなっていた俺には、自覚するしか選択肢はなかった。
梅田さんは、社内で少し浮いていた。話してみれば普通にいい人なのだが、整いすぎている見た目、完璧な肩書、余裕のある振る舞いが逆に人を遠ざけていた。
だが、俺は違った。大型の新規プロジェクトでともに仕事をするようになってから、妙にウマがあい距離を縮めた。
梅田さんが監査役に抜擢されてプロジェクトを抜けてからも、親交は続いた。
『こら、越水。用もないのに監査室まで入ってくるなって、いつも言ってるだろ』
『いや、用ならありますって。はいこれ、出張のお土産です』
迫力はあれど丁寧な口調で話す上司が、二人きりだと言葉遣いが崩れることが嬉しかった。俺だけには隠し事もせず、素の姿を見せてくれているんだと思っていた。
だから、梅田さんが男相手に恋人のようなメッセージを送っている画面を盗み見たときは驚いた。
『……え? それって……』
背後からの声に相当驚いたのだろう。弾かれたように振り向いた梅田さんは、咄嗟にスマホを隠した。だが、覗き見た画面は到底忘れられるものではない。
『梅田さんらしくない熱烈なメッセージでしたけど……それ送った相手、男ですよね?』
梅田さんの表情から、余裕が消えた。弱々しく眉尻が下がり、頬と耳に紅が差す。
『……男が好きだったんですか』
どこかの脅し文句のような言い方になってしまったが、そんなつもりはなかった。ただ俺と同じ趣向であったことが嬉しく、それと同時に他の男のことが好きだという事実にショックを受けていた。
『……いや、男性が好きってわけじゃないよ』
『じゃあ、運命の相手ってやつですか』
場を紛らわそうとしてみただけだったのだが、図星だったようだ。梅田さんの顔がさらに赤くなる。
『望みは……あるんですか』
『いや、全然。いつまで経っても他人行儀が抜けなくて、友人かどうかも危うい』
『あー……梅田さん、迫力ありますもんね』
『親しみにくいと思われてるのは間違いないな。お前くらい気軽に話せればいいんだけど、避けれられるかもしれないと思うと……少し怖いよ』
あれから数か月しか経っていないのに。
望みはないと言っていたくせに。
俺の知らないところで、うまくいってしまっていたのか。
「恋愛は自由ですしね。大人同士が互いに好き合ってるんだったら、素直に応援っつーか、見守ればいいんじゃないのかと思うんです」
好きな人の幸せを願う、なんて殊勝な考えはない。
梅田さんは、俺が手に入れたかった。
俺のものにならないのなら、誰のものにもなってほしくなかった。
「あー、何だ。だから、今どきLGBTQは珍しくないわけであって……」
「……」
「自分自身には嘘つけねえっつうか、やっぱり自分の気持ちに正直になることが大事だよな、と。そういうことを言いたいんだ、俺は」
だから、さっきから聞こえてくる声が耳障りで仕方がない。
俺は大きく舌打ちをすると、手に持っていた何かをテーブルに叩きつけた。ゴン、と固いもの同士がぶつかった音がする。
「……てめー。さっきから聞いてりゃ、随分と好き勝手言ってくれんじゃねーか」
「……は?」
「知ったような口きいて、偉そうに説教垂れてんじゃねーぞ」
じろりと睨みつけると、目の前の男はぽかんと口を開けて固まった。
「……」
ふと、右手が濡れる感触がして視線を落とす。握ったジョッキからビールが溢れていた。
道理で冷たかったわけだ。近くになったおしぼりを取り、乱暴に手を拭く。
そうしながら、俺は考えた。
「……?」
ちょっと待て。
ここはどこだ?
どうして俺はビールを持ってるんだ?
というか、そもそもこいつは誰だ?
頭に浮かんだ疑問はすべて口に出ていたようで、男は呆れたように顔を歪ませた。
「あのなあ……。あんた、ショックなのは分かるが飲み過ぎだぞ」
「飲み過ぎ……?」
「そうだ」
そう言われても、何のことか分からない。
明るい店内、夜の喧騒。皿同士がぶつかる音に、客のオーダーを繰り返す店員の声。
どこかの居酒屋にいることは分かったが、だったらどうしてここにいる?
やっぱり意味が分からず、困惑は鋭くなって男に向かう。
「知らねーし。つーかてめー、マジで誰なんだよ。何で俺が知らねえオッサンと飲んでんだよ。マジでしばくぞコラ」
「だから、最初に名乗っただろうが! ……ああもう面倒くせえな。俺は鷲垣 桐吾。弓削 大地の上司だよ」
「……弓削……?」
「ああ。今度は忘れんなよ、威勢のいい兄ちゃん」
男はセッターを咥えると、ライターで火を点けた。
「あんた、あの色男……弓削の相手と知り合いなんだろ? 弓削のこと、すごい形相で睨んでたしな」
「……」
「気に入らなかったんだろ? 色男を弓削に取られたことが」
「……」
「ふん、別に答えなくてもいい。とにかくあんたが弓削に掴みかかりそうな勢いだったから、とりあえず引っぺがしてここに連れてきたんだよ。飯食わせりゃ大人しくなるだろと思ったが、とんだ計算違いだったな」
それでもなお合点がいかない俺に、男は呆れたように溜め息を吐く。
「あんたがあの二人を目撃してショック受けてるところを、たまたま俺が通りかかったんだよ。いい加減思い出せ、この酔っ払い」
「……あー。オッサン、あのとき近くにいた通行人か」
「なんとでも言え。とにかく、俺の部下のことで無駄な騒ぎを起こしたくなかったからな。今にも喧嘩吹っかけそうだったあんたを捕獲しただけだ」
何だそりゃ。俺は動物かよ。
感情のまま眉根を寄せれば、男は灰皿に短くなった煙草を押し付けた。
「……」
つまりこいつは、その弓削とかいう男の知り合いなのか。
梅田さんの恋人。
俺から梅田さんを奪った、憎い男。
そう思った瞬間、不意にあの光景が蘇った。雑踏の影で、仲睦まじく顔を寄せ合っていた二人。梅田さんを抱きしめ、髪にキスをした男。
嫉妬と怒りが炎のように燃え上がり、握った拳がわなわなと震える。
「……まあ。あんたの気持ちも分かるぜ。知り合いがゲイだなんて、普通はビビるよな」
「……は?」
「それにあんた、あの色男を慕ってたんだろ? だから余計にショックを受けちまったあんたの気持ちが分かるよ。俺もそうだったからな」
男は諭すように話しながら、新しい煙草に手を伸ばした。
「でもな。弓削が……身近なやつがそうなって、やっとわかったんだよ。ただ人を好きになることに、性別なんて関係ねえ。誰かに惹かれる理由なんて、理屈じゃねえんだ」
「……」
「男同士で何が悪いってんだ? 誰も傷付けてねえし、本人たちが幸せならそれでいいじゃねえか」
目の前の男の言葉は、酷く薄っぺらかった。
理想論だけで組み立てられた恋愛観。リアリティのない恋愛講釈。
聞けば聞くほど、反吐が出る。
「だからよ。弓削のこと、認めてやって欲しいんだよ。あんまり感情を見せなくてよく読めねえやつだけど、悪いやつじゃねえんだ」
「……」
「な? ほら、あの色男……あんたの知り合いの方だって、弓削のことが好きなんだろ? だったら、そっとしといてやるのが一番いいって思わねえか?」
――こいつ。
何も知らないくせに。
俺の気持ちも、ゲイの気持ちも――何も分かってないくせに。
「……マジで勝手なこと言ってくれんじゃねーか」
怒る気にすらならなかった。今日初めて会った部外者に何を言われても、どうでもよかった。
こいつに話すことなんてない。ゆえに、ここに留まる意味も理由もない。
俺は無言で革鞄を引っ掴むと、適当に紙幣を置いて席を立った。
おい、と引き留める声がしたが、立ち止まる気にさえならない。
「……」
外に出ると、冷たい風が吹いてきた。やけに頬が冷たくて、まるでさっきビールで手が濡れてしまったときのようだと思い指でなぞる。
「……かっこわりー」
そこで初めて、自分が泣いていたことに気付いた。
だが、それもどうでもいい。
俺は深く息を吐くと、タクシー乗り場へと向かった。
すべて忘れて、早く眠りたかった。
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