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フラれる
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佐川さんは太陽だ。いつも明るくて元気で皆を気遣って笑っていて、優しい。俺みたいに無口で無愛想な後輩にも他の人と変わらない笑顔を向けてくれる。おまけに猫みたいな大きな目が特徴的な美形だ。好きにならない理由がない。
大学の長い夏休み、バイト先に決めたピザ屋で初めて佐川さんと会ったときから、その顔に目を奪われた。背は俺よりちょっと低い。日に透けても黒い髪、前髪を額の真中で分けてまるで高校生みたいだけど大きな猫目で見つめられると、その奥にあるものいわぬ迫力みたいなものが五歳も年上なんだと訴えかけてくる感じ。
俺と同時にバイトに入った女子高生の川合ちゃんなんかは、まだ仲良くもない俺に興奮気味に囁いて来た。
「佐川さんってまじイケメン!」
俺も初対面だと女の子に悪く言われたことはない。背も高いし、短く切った髪は清潔そうだそうで、切れ長の目がクールだとか無口なのが格好いいだとか褒めてくれる。まあ、すぐにその無口が無愛想に変わり、クールが怖いに変わるんだけど。
その点、佐川さんは口を開いても完璧だった。まず愛想がいい。あと笑顔が可愛い。佐川さんが、うはは、と声をあげて笑うと、皆が笑顔になる感じ。まさに太陽。でも厳しいところは厳しいから仕事もちゃんとできる。教えてくれるときも分かりやすいし。俺が配達をミスったときにも、ただ怒るんじゃなくて、ミスの原因を一緒に考えて、ミスを繰り返さないためにはどうすればいいか、最後まで一緒に考えてくれた。面倒見がいい、と皆が言っている。
人を「明」と「陰」に分けるなら、明らかに佐川さんは「明」の人だ。俺は陰だと自覚はあるけれど、いつだって明のひとに引かれてしまうのは、もうどうしようもない。
あるとき佐川さんが休憩室でうたたねしていた。パイプ椅子に座って腕を組んだまま豪快な寝息を立てて寝ている顔を見て、つい、我慢ができなくなった。
「佐川さん、好きです」
鼻唄のように独り言のように無意識で口から出た言葉だった。その声が自分の耳に届いて青ざめた。
――俺は何を言ってんだ。
男を好きなんて絶対他人には知られたくないことだ。まして佐川さんには。
このマイノリティーは歓迎されないことくらい分かっている。だから俺はこの陰を抱えたまま生きていくのだ。佐川さんに背を向けて休憩室を出ようとしたときだった。
「田川―。言い逃げかよ」
心臓が止まるかと思った。息を飲みながら振り返ると、さっきうたたねしていた姿と変わらない格好で俺を見ている佐川さんと視線が絡む。
――聞かれたなんて。
ミスだ、俺の、とんでもないミスだ。ミスを起こすには原因がある、この場合、寝ていると思って気を抜いたことだ、だからミスを起こさない為にはもう二度と佐川さんの前で気を抜かないという方法がミスを繰り返さない為に――
「田川、お前、今、頭ぐるぐるしてんだろ、落ちつけって」
うはは、と面白そうに笑った佐川さんに、俺はますますパニックになっていく。だって、これは笑うところか? でも佐川さんはまだ笑っている。その顔を見ていると俺も落ちついて来た。
「あの、佐川さん、俺」
「おお、俺が好きなんだって? ありがとうな。二十歳の大学生にモテるなんて俺もまだまだ捨てたもんじゃねえなあ」
わざとらしく顎に手を当ててキメのポーズを取る姿に思わず吹き出した。
「なに笑ってんだよ! イケメンだろ?」
「ソウデスネ、佐川さんはイケメンです」
「棒読みひでえな」
佐川さんがまた笑う。それから、不意に真面目な顔になった。
「ありがとな、けど、俺、好きなやついるんだわ」
「あ、はい、なんかすみません、言うつもりなかったんです」
「なんで謝る」
「なんでって、だって、俺、男……」
「ああ、お前は真面で優しいから相手の気持ちとか想いやってしまうんだな?」
「は? いや、俺は男で」
「けど恋なんてのは一番に自分の気持ちを大事にするもんなんだから、好きなら好きでいいんだよ、特にお前はまだ若いんだからさあ」
なんだろう、佐川さんの言っていることが分からない。いや意味は分かるんだけど、これが自分に好きだと言ってきた男にかける言葉だろうか? そこには侮蔑も嫌悪も無神経な好奇心も、俺の今までの恋につきものだったものが欠片もない。
ぎゅう、と心臓の辺りが締め付けられる。この甘い痛みは俺の恋心だ。あー。俺、佐川さんが好きだなって、また思い知らされる。
「田川は一生懸命バイトするし素直だし、俺は可愛いと思ってんだよ、だから気まずいから辞めるとか言うなよ?」
佐川さんはパイプ椅子から立ち上がって俺の前で首を傾げると、おもむろに手を伸ばしてくる。その手が俺の頭をぐしゃと撫でた。
「はい、返事は」
「あ、はい」
「ん、いい子だなあ。けど、俺より背が高いのはけしからん」
「なんですかそれ」
また弾けるように笑った佐川さんは俺の背中を軽く叩いてから休憩室から出ていった。
途端に色を失ったように静かになった休憩室で俺は小さく息を吐く。さっきまで佐川さんの座っていたパイプ椅子に座りながら、叫びだしたい言葉を必死で飲みこんだ。
ああー! もう! くっそ、佐川さんが好きだ!
あんなひと他に知らない。見た目だけじゃない、その中身も、ぜんぶ、好きなんだ。付き合いたいとか抱きたいとか、そんなもんと別のところの感情が佐川さんに向かっていく感じだ。
「あ、でもフラれたんだった」
フラれたのに前よりもっと好きになっている、そんな失恋は初めてだった。
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