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鈍い頭痛と物音で目を覚まし、咄嗟に枕の下を漁って拳銃を取り出す。ファシストの将校から奪ったモーゼルもどきは今やすっかりラロの相棒と化し、これがないと何処へも出掛けるにも不安を覚えるようになっていた──尤も、今の彼に外を歩くことそのものが危険な賭だったが。
幸い、すぐさま扉に取り付けた錠前を外す音が聞こえたので胸を撫で降ろす。元は森番が住んでいたらしい、山の麓にひっそりと佇む小屋の鍵を持っている男は1人しかいない。
「俺だよ」
「ラロ?」と不安そうな呼びかけに、安全装置を戻すかちりと固い音が重なれば、ノノは「ふざけるんじゃない」と本気で怒られた。
「ふざけてなんかいるもんか。いつフランコの手下どもが押し掛けてくるのか分からないのに」
ノノは毎日ここを訪れ、食糧やその他必要な物資を差し入れてくれる。ラロが最も欲しがる新聞は難しく、情報に飢えていたが、仕方ない。生きる為には目を瞑らなければならないこともある。義勇軍の民兵として反乱軍との戦闘に従事する中、負傷して意識を失っていた己を匿ってくれるノノの身分へ対するのと同様に。
質素だが洗濯やアイロンのこまめな手入れを受けている、きっちりした身なりから、この男が資本家の家で雇われていることは疑いようがなかった。協力者ではあるが、本当の勇気を持てない人々。彼らが一斉に立ち上がれば、怠惰に肥え太った金持ちなど瞬く間に打ち倒し、より早く理想の世界へと近付くことが出来るのに。
そうラロが息巻く度、「理想主義者だな」とノノは呆れつつ、一応最後まで聞いてくれる。その振る舞いは、幼い頃に兄を小児麻痺で失ったラロにとって、懐かしい温みを感じさせた。実際に齢も30前、兄が生きていたら同じくらいの年の頃だ。
今も顎でしゃくられたラロが「自分で出来る」と抗したところ「怪我人は大人しく」と幼子へ言い聞かせるように遮る。従順に木製の寝台へ横たわり直すラロの側に、ノノは今にも脚の折れそうな椅子を引っ張ってきた。最低限しかない家具は何もかもが壊れかけている。つい数日前も、壁に据え付けの棚が缶詰を乗せた途端、真っ二つにへし折れてしまい、修理する予定だった。
昨晩交換された包帯はよれておらず、傷口に当てられたぼろ切れにも血は殆ど付いていない。下腹を縦一文字に走る傷跡は未だ生々しいが、これは時の経過を待つしかないだろう。
「何はともあれ、逸物が吹き飛ばなくてよかったよ」
煤けた天井を仰ぎ、ラロは縫い目に染み込む消毒用アルコールに、ぶるりと身を震わせた。
「アレに合わせる顔が無くなる」
「本当に心から想い合っているなら、例えものが無くても愛してくれるさ」
「でも、彼女の悦びを奪うなんて」
「大丈夫だよ、必要ない」
冷えた指先が敏感になった周囲の皮膚をなぞり、また肩が大きくびくつく。ノノはじっとこちらの顔を覗き込んでいた。故郷の大地のような茶色い瞳は、温かく、乾いている。まるで彼の表情を模倣したように、己も顔を微かに強張らせていると、そこに映る姿を見て気が付いた。
身じろいだのはノノが先だった。いつものように醒めた態度でふんと鼻を鳴らし、包帯を巻き直し始める。
「彼女は処女か。ならその棍棒で天国を見せてやらないとな」
「おい、彼女を侮辱すると承知しないぞ」
「悪い悪い」
からからと首を逸らして笑う様子は虚ろで、疲れて見えた。彼が己へ会う為に為危険を冒していることは知っている。これ以上迷惑は掛けられない。傷も回復したから出て行くと何度も告げたが、ノノは「まだ駄目だ」と頑なに押し留める。大体、1人で野山に飛び出して何になる。人民軍と連絡を取っているから、指令を待って近くの部隊と合流した方がいい。辛抱強く待つのはお前達の十八番だろう。
理路整然と諭されればぐうの音も出ない。同時にもどかしさと空しさも噛みしめる羽目になる。義勇軍だ何だと持て囃されたところで、政府にとって一介の小作人の倅など、結局歯牙にも掛けない存在なのだろう。趨勢を握るのは一部の知的ブルジョアジー達。読み書きがやっとの己に、新しい国を作ることが出来るとはとても思えない。
「そんな萎れるなよ……ずっとここに篭もってるせいか。顔色も悪いし」
「しょうがないだろ。いい加減、体も鈍って仕方ない」
既に何度か繰り返されたやり取りは、いつも通り「我慢しろ」で締められると思っていた。予想に反して、沈黙が室内を満たす。薄汚れた窓から差し込むなけなしの朝日も、深い森の奥から漏れ聞こえてくる雲雀の明るい囀りも、彼にとっては忌々しいだけのようだった。
やがてノノは席を立ち、ひんやりした影の中に沈む壁の棚へと歩み寄った。
「それじゃあ、少し頼まれ事をしてくれないか」
降ろされた琺瑯の洗面器には古びたひげ剃り用のナイフと、乾燥して固く縮こまった石鹸が放り込まれていた。
「人に会って欲しい。お偉い方だよ」
「あんたの主人か」
「ああ。だが、お前と同じ義勇軍だ。ただし、もっと上位の人間。彼も戦地帰りで静養中だから、退屈してる」
つまみ上げた石鹸の匂いを嗅ぎ、「まだいけるな」と呟きながら、ノノは頷いた。
「今後の出世に繋がるかも」
「よしてくれ」
即座にラロは叩き返した。
「俺は、地位や財産なんか望んでない。ただ愛する人が幸せに暮らすこと、それが何より重要なんだ」
「なら彼はさぞ鼻持ちならないだろうな」
「そうかも知れないが……でも同志だし、俺で役に立つなら、幾らでも話し相手位はなるさ」
正直なところ、こんなところで日をやり過ごし続けるよりは、農作業だろうがブルジョアの暇潰しだろうが、何でもましに思えた。
「ほんとにお前は……」
ぴかぴかのひげ剃りの刃を光に翳しながら、ノノはまた嘆息を漏らした。
「まあ、そうなると思ってた。じゃあ服を持ってきたから、体を洗ったら早速行こう」
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