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敗北 -5-
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「……珍しいな、お前ら」
櫻井は前を見たまま、後部座席の2人にポツリと話しかけた。
「あ?」と木田。「なにが」と前島。
「そのまま帰れる仕事だったのに、飲みに行かないなんてさ」
「うっせーな、そろそろ休肝日も挟まねーとしんどい歳になってんだよ」
「だっせぇな」
「毎日二日酔いみてーなテメーが言うか!?」
木田の子どもみたいな挑発にも、前島はいい反応をする。
「……うっせぇなぁ」
背中越しの喧噪がひどくいとおしく、そして寂しかった。
そんなことばかりも考えていられない、仕事のことも考えなければいけないのに。
櫻井は速度を緩めないように気を付けて、車の流れに続いた。2人が言い争う姿が時折ルームミラーの中によぎっても、それも見ないようにした。
今日の仕事場と前島の家は、思ったよりも近かったようだ。家が見えてユルユルと減速する頃には、2人もブツブツとお互いの罵倒を呟くだけとなっていた。
「じゃ、どーもね。また明日」
「おぉ、寝坊すんなよ」
前島が車を降りて、背中を向けて帰っていく。帰りに2人を送る仕事があると、いつもその姿に仕事の終わりを感じてしまうものだ。
でも今日は、木田を送り届けた後も仕事は続く。櫻井はあの寒々しい部屋のことを思って、一瞬だけ目を伏せた。
鏡越し、その一瞬の表情を見逃さなかった視線には気付かず、櫻井はアクセルを踏み出した。
「……あんたさ」
「ん?」
呼ばれたのかどうかも怪しいくらいに小さな声が聞こえて、櫻井は返事を返した。
「最近忙しいの?」
木田からの問いに、櫻井は今朝、木田と目が合った瞬間の事を思い出した。
「……何言ってんだ、いきなり。別にどうってことねぇよ」
チラと後ろを向いて笑顔を見せたが、木田からの反応が返ってこない。
「なんだよ……お前が俺の心配してどうする?お前らはお前らのこと考えてりゃいいんだ、無駄なことで気を揉まんでくれよ」
「……無駄じゃねえだろ」
木田がぼやいた言葉に、櫻井の思考が急に止まった。ただ視界だけが、妙に冴えわたったようだった。
「確かに余計なこととか、めんどくせーこととか、俺は全部あんたに投げてるよ」
「……それは、最初からそういう約束だからだろ」
眼前の道から目を離さないまま、櫻井は答えた。
「そうだよ。だからすげぇ、音楽のことだけ考えられてっし、あと、酒とか飲めたり」
「本当だよ、俺が作ったお前らの時間を飲み明かしやがって」
「うっせ、必要なんだよ……それだって」
「分かってるよ」
「……じゃなくってさ、全部あんたが、そういう余計なの、考えてんじゃん」
「だから、それが俺の仕事なんだって」
「だからさ、おかげで空いた時間とか、頭とか、ちょっとはあんたに使うの、無駄とは思わねえよ」
木田の家に着くまで滑らかに、当たり障りなくやりとりを流すつもりだったのに、櫻井は言葉を詰まらせた。
木田も言葉を加えたり、返事を求める態度すら与えてこない。
櫻井は唇が震えることに気付きながらハンドルを切った。光と車が溢れる通りから一本、静まった暗がりへと入りこむ。
少し進んだところで車を止めて、櫻井はやっと理性の糸を切ることが出来た。
「あぁ……ああああぁぁ……!!」
ハンドルに倒れ込むようにして、櫻井は声をあげた。涙を落とすこともためらわなかった。
「ごめんっ……!ごめん、なっ……!」
顔を真っ赤に腫らしても、その色は夜闇が何も言わずに隠した。櫻井の謝罪の意図が分からなくとも、それを追求することは木田もしなかった。
あの時と同じだ。
子どものように泣きじゃくる自分を、他人事のように眺める自分がボンヤリと考えた。
一歩引いたところにいるその自分は、今のように恥も外聞もなく泣き声をあげた日、2人と初めて会ったあの日に心を移した。
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