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✽日本一高い建物から見たいもの✽ 1
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明治25年10月。共に暮らせる様になり三ヶ月が過ぎ、近衛は仕事が休みのこの日、屋敷がある麹町区から人力車で京橋区まで行き、そこから東京馬車鉄道を使い那由多を浅草へと連れ出した。
「.......わぁ〜、」
着いた先、そびえ立つ凌雲閣を見上げて那由多は口をあんぐり開けたまま見つめている。
何と高い建物なのだろう。ずっと東京で暮らしては居たが、こんなに高い建物があるなどとはよもや思うていなかった。てっぺんがお天道様からあんなにも近い。
きっとこの顔をするであろうなと思うていた近衛は目を細めて那由多を見つめていた。
私の屋敷に初めて来た折にも那由多はこの顔をしたし、先程乗った馬車鉄道の時もそう。目新しい物を見るといつもこの顔をするが、そんな姿は二十歳という齢よりうんと幼く見えて可愛いげだ。
凌雲閣は明治23年11月、浅草六区にある浅草公園の道路を挟んだ直ぐ横に、眺望用に作られた12階建てのモダンな高層建築だ。
1階から10階はレンガ造りで、11階から12階は木造となっており、雲を凌ぐほど高いという意味をこめて凌雲閣と銘打っているが、十二階という通称で呼ばれることの方が多かった。
高さは約52メートルで、明治のこの時代には50メートルを超える建築物は珍しく、日本一の高さから街並みや山々を一望できるその眺めが評判を呼び、料金も大人8銭、子ども4銭と比較的安価であったため庶民にも親しまれ、開業当初は多くの客が足を運んだ。
また、凌雲閣は日本初の電動エレベーターを設置した建物として話題を呼んだが、故障が続いたため、開業半年で当局の指導によりエレベーターは運転停止となった。
いくら話題の場所といえど、12階まで階段を上がるのは辛い事だ。客足が遠のくことを危惧した凌雲閣の運営者は頭を悩ませた結果、階段の上り下りを飽きさせない為の工夫を凝らし、美人の写真を張り巡らせた。
これは通称「東京百美人」と呼ばれ、柳橋・吉原・芳町・赤坂・新橋など、東京各地の花街から100人程の芸者が選ばれ、写真家が撮影した芸者たちの写真を館内に張り巡らせた。それを客は階段を上りながら眺め、最後に投票をするというものだ。
すると、なかなか拝めない芸者を見ようと庶民が殺到し一時は盛況だったが、明治24年に日本史最大の直下型地震、濃尾地震が起こり、東京も震度4から5という揺れを観測した為、凌雲閣の様な高い所で地震でも起きたらという国民不安が広がり、今はまた客足が遠退いていた。
「さぁ、今度は上から見てみる事にしよう。口を閉じて」
言うて唇を摘まれ那由多は気恥ずかしさから眉を下げた。なれど上からは一体何が見えるのだろうと胸踊らせ、「参りましょうか」と近衛ににっこり微笑んだ。
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