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車掌のアナウンスで目が開いたのが夜の八時過ぎ。静樹は懐かしい田舎の香りがする無人駅に降り立った。電車の中はクーラーが効いていて体が冷えていたが、外は夜でも蒸し暑く、上着を脱いで右手にかけて持った。
ホームのベンチには、三毛猫の花子がいて静樹を迎えてくれた。駅のポスターによると観光資源に恵まれない地元は、苦肉の策で招き猫作戦を始めたそうだ。ただ、辺りを見回しても静樹と猫以外には誰もいなかったので、今のところ猫は集客に繋がっていないらしい。
「久しぶり。お前キャンディーって名前の名物駅長になったんだって? 花子のくせに」
そう話しかけると、花子は、背中のオレンジのキャンディ柄を見せるようにして、駅舎の方へ歩いていった。口に出した途端、猫に言った言葉は、すぐ静樹に跳ね返ってくる。
田舎の自転車屋の一人息子で、どこにでもいる田舎育ちの一般人のくせに、有能でエリートなサラリーマンのふりをしている。
静樹は周りから、ちやほやされるキラキラした自分が大好きだった。そうやって好意的に周りに受け入れられることで同じだって安心出来たから。でも、そんな見栄っ張りな性格が災いして、周りに持て囃されていくうちに、いつのまにか肩書きと外見だけがエリートのハリボテ人間が出来上がってしまった。
どこかのタイミングで自分の本性をバラせば良かったのに、周囲の想像と期待を裏切ってしまう気がして、どうしても出来なかった。
正直もう後戻り出来ないと思っている。
いつまでも無駄な努力を重ねている静樹を幼馴染の舞は「ほんと、静樹くんはバカだねぇ」と笑う。静樹は大学の頃から舞に彼女のふりをしてもらっていた。表向きは見栄のため。舞には言っていないが、本当は、ゲイバレが怖かったからだ。
そんな舞から突然「結婚してよ」と言われてしまった。
「で。なんで今さら実家に帰ってきたんだろ」
貯まった有給休暇で夏休みを取るまではいい。
何故、今更、居心地が悪くなって逃げた田舎に帰ってきたのか。でも、来るつもりなんてなかったと心の中で反発する気持ちに反して、周りに猫一匹しかいない場所に立った途端、急に全身の力が抜けていた。――この場所が一番、楽だなって。
静樹は東京でアパレル製品等の企画・販売をしている会社で働いていて、今は、社割で買った憧れのブランドスーツと、それに合うように、すぐに癖がつく猫っ毛の髪を、ショウウインドウに並ぶ男性のマネキンのように綺麗にセットしていた。改札を出る時、そんな自分が駅のひび割れた鏡に映った。
お気に入りのスーツで全身武装しても、見せる相手が猫しかいない駅に立っている違和感。
静樹も、ゲイであることに気づくまでは故郷を愛していた。鏡から目を逸らし、待合の椅子に座る花子改めキャンディの頭をよしよしと撫でてから駅舎を出る。すると突然、記憶と違う風景が目の前に広がり、一瞬だけ思考が止まった。
ボロボロのタバコ屋の横にあったはずの小さな家が消え、少ない街頭の灯りが、風変わりな建物を夜の闇にぼんやりと浮き上がらせている。白い木目の外観、スポットでドアの横に淡いライトが当たり、くまのシルエットが描かれたガラス窓を照らしていた。
(テーラーこぐま……?)
こんな場所でオーダーメイドの服屋なんて経営は成り立つのか? と思った。店前の立て看板には、デザインから縫製まで貴方だけの一着を。――仕立て直しもお引き受けします。洋服のお困りごと等、お気軽にご相談ください、と書かれていた。
歩きながら、田舎に不釣り合いのおしゃれな店の外観に気を取られていた次の瞬間、視界が地面になる。田舎の舗装されていない小石の多い道に足を取られて、両手を投げ出し子供みたいに転んでいた。
いい歳した二十五の大人が。
転んだことよりも、ずっと大事に着ていたスーツの方が先に気になった。案の定、ズボンに小さい穴が空いている。
「まじかぁ、三歳児みたいに下手くそに転ぶやつ、久しぶりに見た」
その場で破けた服に絶望している間に、見知らぬ男が目の前で静樹を覗き込んでいた。顔を上げて最初に目に入ったのは、ジャラジャラと右耳につけた三つのピアスだった。反対側には二つ。明るく染めた髪をアップバングにした男が、ニマニマとこちらを見ている。灰色のジャージに黒のエプロンには店のロゴが入っていた。そのエプロンがなければ、店の人間だと気付かなかった。
あ、知ってる、これ田舎のヤンキーだ。
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