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「おはよ……」
目が覚めて、知らない和室の低い天井をベッドの上から見ていた。声が聞こえた方へ顔を向けると、静樹の顔を隣で見ている旭と視線が合った。
「あ……の」
「うん」
にっと笑いかけられる。二日酔いで頭が痛いのもあったが、それ以上に、使ったことのない全身の筋肉があちこち悲鳴をあげていた。どこからが夢で、どこからが現実か全ての記憶があいまいだった。
昨夜、静樹が今まで絶対に考えてはいけないと思っていたイケナイ妄想が、一から十まで全て叶ったような気がした。
もちろん、それが酒が見せた夢じゃないなら。
「旭、さん」
静樹は掠れた声で名前を呼ぶ。知らない部屋なのに、実家の静樹の部屋と同じだって思う。洋間じゃない畳の上にベッドが置いてあったから。
「よし。名前は、ちゃんと覚えてたな。で、どこまで記憶あんの? 途中で寝ちゃったしなぁ。静樹くんを二階まで運ぶの大変だったんだからな」
「あ、あの途中……って」
混乱した頭で、恐る恐る静樹は旭に訊く。あやふやな記憶の中でも、とても気持ちよかったことだけは身体が覚えていた。
「途中は、そりゃ途中だろ。セックス。俺はイってないし、一人で寂しくお前見てヌいた」
「ぅ、うん」
「お、照れてるな? まぁ、初めてだもんねぇ、赤飯炊く?」
「い、祝うようなことなんですか」
「童貞卒業おめでとう?」
「旭さんに挿れてない」
「え、男に挿れたい方だった? そりゃ悪かったな。そっちはご期待に添えなくて」
「いえ、そっちは……別に、したいとは」
「ま、良かったんだろ? 静樹くん超喜んでたし」
からかうような旭の声に段々と意識が覚醒してきた。
くあ、と欠伸をした旭は、ベッドから体を起こした。上半身が裸でトランクス姿。その肌色と筋肉がバランスよく付いた上半身をいたたまれない気持ちで見ている。静樹も旭と同じようにパンツしか履いていない。ありえない場所に、何か入っていた違和感はあるので、間違いなく旭と寝たんだと思った。
酔って知らない男の人とセックスした。その事実に、かぁぁと顔が赤くなる。
自分が望んだことだし、合意だし、後悔していないが、それ以外にも、とんでもないことを旭に言ってしまった気がする。
「あ、旭さん、俺、昨日、もしかして変なこと言いました?」
旭は、静樹に背を向けて、床に落ちているジャージを拾って履いた。
「変なことって? あぁ、静樹くん幼馴染と結婚するんだろ」
そこまでの記憶は鮮明だった。大事なのは、そのあとだった。
「で、ゲイのお前は、なんかよく分からん理由で、彼女にノンケって嘘を貫きたいとか。あと、一回くらい、男とヤりたかったって。だから俺が抱いたよ」
着替えをしながら話す旭は、箪笥からTシャツを出して袖を通すと静樹に振り返った。
「あってる?」
「……それは、はい、そうなんですけど」
「覚えていてなにより」
はっきりと、素面で自分の性について口にするのは、時間がかかった。今更どう取り繕ったところで、男と寝ることが出来たのだから、自分の性的指向は間違っていなかったと認めるしかなかった。
親にも、幼馴染の舞にも言ったことがなかった秘密を、旭に初めて口にしてしまった。
「あの、旭さんは……ゲイ、なんですか?」
いくら自分がそうでも、旭がノンケだったら嫌だったんじゃないだろうかと思った。訊かれた旭は、静樹のその質問には笑うだけで答えなかった。
「あ、そうだ。ところでさ、アサ兄と、ずっとえっちしたかったって、あれ、どういうこと? それって中学生の時? まさか小学生とか?」
「なッ」
驚きで、声が引きつる。
「アサ兄って、山の麓んとこの家に住んでただろ、熊川さん。――俺、その人のこと知ってるよ」
「なっ、んで、アサ兄のこと知って」
にこにこと楽しそうに言う旭は静樹の頬に優しく触れる。
ぱくぱくと口を開くだけで、驚きでなかなか次の言葉が続かない。いくら酒で酔っていたにしても、地元で、気が緩みすぎだと思った。生まれて、二十五年も隠し通してきた秘密を、こうも、あっさりと全てバラしてしまっている。田舎で、隣近所、全員身内みたいな場所だからこそバレることが怖かった。
「んー? そりゃ狭い田舎だからねぇ。同じ年の人間なんて全員クラスメイトだし知ってるだろ」
ゲイであること以上に、ずっと厳重に封印していた自分の秘密を洗いざらい告白してしまったことが分かり、血の気が引く。同時に絶対に誰にも見られないように、部屋のベッドの下に隠していたエロ本を見られてしまったような羞恥がこみ上げてきた。
もちろん静樹は、見つかるリスクが怖くて買えた試しがない。スマホの検索履歴だって綺麗なものだ。たまたまネットで目に入ったゲイ動画を勇気を出して再生したときは、あまりの過激さに、興奮よりは混乱の方が強かった。
きっと自分は、長年の断片的な知識のせいで、性癖がこじれている。心も身体も知識も、全部が静樹のなかでかみ合わない。バラバラで、満たされない欲求に振り回されて苦しかった。
昨夜の夢が全て現実だったのなら、静樹が秘密にしていたことは、全部、旭に話してたし、酒でふわふわした記憶は全部正しかった。
「だ! 誰にも、言わないでください」
アサ兄への恋心は綺麗なまま、墓場まで持っていくつもりだったし、誰にも話すつもりなんてなかった。
「……別に、必要ないから言わないけど」
「あと、昨日変なこといっぱい言ったかもしれないですけど、ち、違うので、アサ兄では、あの、変な目で見たことなんてないし」
一度見た、動画が罪悪感とともに頭の中でフラッシュバックする。
「変なことってそれ? 別に、変とは思わなかったけどな? ま、思春期の欲望って、適度に発散しないと、こうなるんだなって。俺は、面白かったよ。可愛かったし」
顔を近づけられて、唇がくっつきそうな距離に旭の顔がある。顔が一瞬で熱くなった。大好きだった近所のお兄ちゃんとは、少しも似ていない男に、心臓がドキドキしている。
「気持ち良かったかい?」
「……ぁ。ぅ……は、はい」
「俺もすげー良かったよ」
多分誤魔化せないくらい、顔から好きが漏れている。本当の自分を全部受け入れられるってこんなに嬉しいんだって思った。
(いくら、セックスしたからって、その人を好きになるとか)
欲望が満たされた途端、ただの男好きに成り下がってしまったんだって思うと、自分が汚い人間に変わったみたいで複雑だった。けれど、自分で今の好きだって思う感情を制御出来ない。
「静樹くんはさ、アサ兄に会いたい? 俺が会わせてあげよっか。連絡できるし」
心臓が、どくんと跳ねた。病気で亡くなっていて、もう二度と会えないと思っていた初恋のアサ兄が生きていて、また会えるかもしれないと思うと純粋に嬉しい。けれど、こんな自分は、もうアサ兄に会うべきじゃないとも同時に思った。
「あ、アサ兄……は、ずっと憧れで、だから」
「ふーん。そっか、そっか。ま、確かに気まずいよなぁ。静樹くんは、憧れの人に、あーんなこととか、こーんなことをやって欲しかったわけで。あの頃と同じような弟分の顔しては会えないかぁ」
にこにこ、にやにやと笑ってる。
「あの! ち、違うんです。本当、昨日のあれは、ただの妄想で! 実際にして欲しいとかは……思ってなくて、あんなこと」
「ほんとにぃ?」
「ッ、ぅ」
どう繕ったところで、静樹が望んだことは、全部旭が叶えてくれた。それが現実だ。声が、どんどん小さくなる。
静樹は、どんな顔をすれば正解なのか分からない。全てが初めてのことばかりだったから。
「はいはい。ま、静樹くんの理想のアサ兄じゃなかったかもしれないけど、俺も、そこそこいい線いってなかった?」
旭は口を押さえて肩を震わせて笑っている。
「か、からかわないで、ください」
「可愛がってんだよ」
いたたまれなくて、今すぐにでも、その場から去りたかった。
「俺、飯食うけど、静樹くん朝飯は? 卵焼きとおにぎりくらいなら出せるよ。あと漬物? 古漬け食える?」
「いえ、か、帰ります」
「そう? 下にシャツとか洗濯して置いてるし、夏だしもう乾いてるんじゃね? 昨日直したスーツは、店に掛けてるよ」
旭は、そう言うと先に下に降りて行った。
(どうしよう、俺、この気持ち、この先どうしたらいい?)
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